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巻末の【おまけ】部分で、「最後に受験生諸君へ」と題した一文を作者は添えている。そこで、“実は私は、「受験生用のわかりやすい文学史」を書きたかったんです。”と語っている。しかし、内容そのものは専門的な古典解釈に触れる個所もあって、元受験生にも役立つ内容だと思う。
古典の手引書として傑作だけに、もう一歩突っ込んだ内容も期待してしまうのだが、専門分野には立ち入らないという意味で、「受験生用のわかりやすい文学史」ということにしたのかなという気がした。とにもかくにも、古典入門をテーマにした名著である。
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苦手だった古典。「これで古典がよくわかる」なんて言われた日には、読んでみるしかないと思い手に取った。
「源実朝はおたく青年の元祖」とか、言いたい放題で面白い。軽いタッチで書かれているので、天皇を始め、遠い時代の人々が少し近く感じられる。
私が古典を難しいと感じるのは、古典訳を読むと「××には~があるけれど、○○は…だなと感じる」の「××には~があるけれど」の部分が短歌のどこに該当するかわからないことが多いからだ。その理由は、当時の人と私との教養の隔たりにあるということが分かった。
西洋絵画を観賞する時は、百合はマリア様の象徴などを理解していなければ、ただ「いい絵だな~」となってしまう。それと同じことが古典の世界でも起こっているということだ。
そう思うと、高校生の古典好きより、人生経験・教養ともに豊富なご老人の古典好きが多いのも納得ができる。あんなに嫌いだった古典だが、いつかすんなり理解できる日が来るように、教養力を深めていこうと思う今日この頃だ。
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古典常識みたいなものを説明する内容かと思いきや、文学史だった。
これで古典がよくわかるかというと謎だけど、面白いです。
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枕草子をはじめ古典の現代語訳で有名な著者が、古典がよくわかるよう指南した解説書。
本書がユニークなのは、和漢混淆文の発生論を論じた上で昔の日本人が日本語とどう取り組んだかを考察し、古典をめぐる文学史をビビッドにさせている点。受験勉強向けの古典にどっぷり浸ってしまった中高生にも読んで欲しい一冊です。紙面の都合でカットされちゃったそうですが、室町~江戸時代の部分も是非読んでみたいですね。
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橋本治の語りが好きなのです。わからない、というところから初めてくれるので。源実朝に関する記述が胸を打つ。
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後半に読ませどころがありますね。しかし盛り上がった(?)ところで、あっけなく終わってしまうところがやや残念。
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「これで古典がよくわかる」→ なんで、古典がわからないか?、を、いろんな視点から、考えてみることを試みてる本だったと思います。
日本語の変遷、作品の生まれた時代背景、著者の生い立ち、現代との関係性、それらを主たる道具にして、
「古典」に漠然と覆われている「わからない」を、ゆっくりと紐解いて、いろいろな視点から丁寧に解剖していっている様な内容だったと思います。
古典を描き、また古典に描かれているのは、自分たちと同じ「人間」であるということ。
「教養」もあるにこしたことはないんだろうけど、それよりも「感性」が実質的に重要だということ。
この二つが、古典に近づく際には重要な鍵になるんだろうな、と、この本を読んで思い馳せた次第です。
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去年の三月の補習期間に、国語の先生から頂いた本。さすがに読まなきゃな、って思って読んでみた。
誰に何を言われようが、今後私は古文を好きになれることはないだろうなーって、ぼんやり考えた。
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妙に、橋本氏の著作は納得できるんですよね。批判的に読もうと試みるんですが、毎回感心してしまいまいます。外山滋比古氏もそうなんですが、一貫性がありますね。
橋本氏の「わからない」という原点にかえる思考は、説得力があります。
本書での古典には、漢字だけでかかれた漢文としての『日本書紀』、漢字を使った万葉仮名の『万葉集』、ひらがなだけで書かれた『枕草子』など大別して3種類の分け方があるとの指摘は理解しやすいですね。鎌倉時代にはいり『方丈記』をへて『徒然草』にいたり和漢混合文の完成にいたり現代使用されている日本語に近づいたとの指摘は、なるほどと思いました。
話言葉の重要性を考える良い機会をいただけました。
第3章での「和歌というものは「生活必需品」から「教養」へと転落するするのです。」はするどいですね。
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職場の大先輩からの頂き物。
これで古典(との向き合い方)がよくわかる、といった趣きの良書。
古単語のゴロ合わせやら助動詞の働きやらを萌え絵やマンガで解説する参考書の類を何十冊読むよりも、この本で「なぜ古文はわからないのか」をレクチャーされた方が、よっぽど「生きた」古典への理解が深まりましょう。
とは云えコレだけでいきなりセンター古文で満点取れるようになったりはしないので、まだ時間がある高校1・2年生、その指導者、もう受験の必要がなくなった大人向け?
「古典は、体で覚えるもの」とか超納得。
私も中学生時代、『枕草子』『平家物語』『奥の細道』の冒頭文を暗唱させられたものですが、20年経ってもまだ諳んじること出来ますもんね。一度身体に叩き込まれたことってなかなか忘れないもんです。どんなに学習指導要領が変わっても、中学古典名物「冒頭文の暗唱」だけはやめないでいただきたい。
そしてせっかく覚えた文章(なり和歌なり)に血を通わせるためには、「”きれい”ということ」をわからなきゃ!ってもう眼からウロコでした。
桜の美しさに感動しまくった人が詠んだ歌を「意味わかんね」で片付けてしまう人は、じゃあってんで「意味」を教えてもやっぱり「全然わかんね」って顔してることが多いかも。まあ私の教え方がマズかったんじゃないかというのはこの際置いておいて、そもそもその人自身が桜の美しさに感動したことがないという可能性は大いにあり得るような。桜の美しさに心打たれていれば、和歌そのものの「意味(現代語訳)」を正確には知らなくても、なんかイイ気分で口ずさめるような気がするんですよね私の場合。
そんな事を考えながら読んでいたら、ただでさえ山のように積みあがっている「読みたい本」の中に、古典文学まで加わってしまいました。
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薄い割に読みごたえのある本でした。学生の頃、もっと古典を勉強してればなあ…。橋本さんは「古典の暗唱と言えば昔は直立不動で大きな声でしたものですが…」と書いておられましたが、アラサーの私も暗唱やりましたよ。枕草子で。田舎だからなのか?五感をフル活用して体で古典を感じろ!という解釈は新鮮でした。ドント・シンク!フィール!の世界ですね。「あはれ=感動した!」「をかし=ステキ!」というのが解りやすかったです。本当、私には知らないことだらけです。係り結びとかミニ文法コーナーがお役立ちでした。あー受験終了とともに捨てたマドンナ古文の参考書でも買い直そうかなあ。
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難しいことをわかりやすく書くには、難しいものを読まなきゃいけないと言うことがグッと来た。あと孤独な和歌オタクの実朝に萌えた。
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とっかかりにくく思える日本の古文。それでも結局、古文も時代は違えど同じ日本人が書いたものなんだと思い直せる内容。
漢字だけ、ひらがなだけで書かれた文章から和漢混淆文に至るまでの歴史、感情を基にして詠まれる和歌、それぞれの時代に生きた人のリアルな想いが書かれた文章。教養としての古文が、生身の人間が書いた生き生きとした文章に思える、そしてこう思えることこそが古文への理解の第一歩だと思えてくる。だからこそ、
◼️p172 古典をわかるうえで必要なのは、「教養をつけるために本を読む」じゃなくて、「行き当たりばったりで"へー"と言って感心してる」の方なんです。
昔の人も抱いかようなこんな自然な感情を自らも感じることが大切なのだ。
◼️p209「あはれ」は「ジーンとくる」で、「をかし」は「すてき」、それでいいんです。
なるほど、なんて分かりやすい訳だと思わず膝を打つ。機械的に暗記するのではなく、こういった古文の"感覚"を掴めるように精進したいと、この本を読んでそんな風に思えた。
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民族の思想のルーツは、その国の文字や「話し言葉」に現れるということから、このごろ古典の重要さを感じるようになった。言語学者や民俗学者の本を1冊読むのも骨が折れるのに、この入門書はサクサク読める。
対象がこれから古典を学ぶ中高生向けだと思うので平易に書かれているのだけれど、その中でも『漢字しかない中国で、日常に起きたことをそのまま表現する日記のような文章を書き記すのは大変なことで、どうしても表現が「白髪三千丈」みたいに極端になってしまう』など、言葉の違いが根本的な考え方の違いに繋がるような本質的な筆者の指摘が新鮮だ。
古典で和歌がらみになると途端に点が取れなくなった自分は、和歌の根本的な意義である「人間の感情を言語化すること」が当時できなかったんだろう。「あはれ」と「をかし」の訳し方は難しいんだと言ってくれる。だから、たくさん古典の文章を読んで学ぼう、と。10代の時に悩んだことに対して「難しいんだからわかんなくても仕方がない」と言ってくれることは、なんと安心することか?
「感情を学ぶこと、教えること」は、今の教育における最大の欠如だと思う。道徳教育でできるとも思えない。
この本に10代で出会うことは自分の当時の生活を想像すれば不可能だと思う。でも、10代の時に知っていれば、もっと違った古典に対しての接し方があったのではないかと思ったりもする。自分が国語の教師だったら、生徒に読んでもらいたいと思う。
橋本治が学術的な文庫や新書で繰り返し言っているのは、『「わかる」ということは「わからない」を経ないと経験できない。だから、「わからない」ことに出会ったら、怖がらずに向き合おう』ということで、こういうことがわかるのは、「わからない」状態で置き去りにしたことを後年になって振り返って初めて味わえるものなのだと思う。「後悔先に立たず」。だからこそ、同時代的な偶然な出会いの一回性に意味が生まれるのではないか?
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かなり満足しました。
漢字やかたかな、ひらがなが使われた歴史的背景、また源実朝や兼好法師の実像など、「なるほどそうだったのか~」って、読みながら何回も納得しました。
時間をおいてまた読みたい。