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月神の民シリーズ最終巻。アヤのクニを舞台に大きな戦いが起こり、ムラだけでなくヒメカのクニも巻きこんだ大きな動乱になっていきます。その中で和解の道を模索するポイシュマとワカヒコ。二人の築く未来はどんなものなのか…。 4冊続いたシリーズもいよいよ完結。ずっと見守っていたシクイルケと流れ星の神の漫才が面白かったです(笑)
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はっきり言ってしまいます。
この本は、ハリーポッターやダレン・シャンと肩を並べるくらい面白いです!
縄文だとかそういう古い舞台なのですが、本当に面白い。お勧めです。
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はるか昔に起こったこと。
血で血をあらう激しい争い。
二つの文明が交錯したとき、二人の少年は、仲間に、友人に、支えられ、運命を生き抜く。
すべてを信じる心と敬う心。そんな気持ちが今でも持ち続けられるだろうか。話しあうことがルール。わかっていても、今の時代で、それだけではやって、いけないんだろうな。
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ラストは少しまとまりすぎた感じがしてしまった。
シクイルケの優しさがあたたかく、関係性はとてもステキだった。
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縄文文化と弥生文化をここまでよく対比させて書いてるよなー。
ムラとクニ、平等と奴隷、狩猟と農耕、月と日、対話と神懸かり、見えない国境と柵などなど。それがぶつかりあって、最後には融合してしまう、その筆致に驚くばかり。
序章
第一章 よくない知らせ ムラでの不安
第二章 暗雲 立ち上がるムラの人たち
第三章 婚礼 ワカヒコの結婚
第四章 始動 ポイシュマ、アヤへ
第五章 アヤへ アテルイとの語らい
第六章 助力者たち 穢された川のカムイなど
第七章 凶星 タジシヒコヒメカへ
第八章 合流 脱出したワカヒコ、ムラのものと
第九章 偵察 ポイシュマとワカヒコ合流
第十章 襲撃 ワカヒコの決意
第十一章 血戦
第十二章 オオモノヌシ
終章
日本の文化の中から発信するファンタジーも必要だと感じた、とあとがきに。同感!
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あとがきで著者が書いているように、
日本の歴史や文化を基盤に創造された話を
ファンタジーというカタカナのジャンル区分と
同じくくりにするのは、少し違和感が残る。
高校の古典の授業中にもよく思ったことだが
当時の会話や、昔もきっとあったであろう、通訳や翻訳が
どんなふうに行われていたのか、見て知ることができたらどんなにいいか。
本文中にもヤタカ達が通訳する場面がいくつかあるが、またそう思う。
昔の日本列島の言語の分布って今とは全く違っただろうし、
山一つ、川一つ、海一つ越えただけで
全く違う生活習慣を持っていたかもしれないし、
物々交換と貨幣経済の過渡期や混在期も
もめごとや人情がたくさん行き交っていたのだろう。
情報が少ないだけに、古代の日本に生きたご先祖様
の暮らしぶりを想像するのは、とても楽しい。
次に美術館で土器や矢じりを見たら、きっとこの物語を思い出すと思う。
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『月神の統べる森で』から続くシリーズの完結編。
ムラとクニの文明の衝突に罪なき人々の血が流される。調和を目指しながらも戦争が起こってしまう矛盾をどうすれば解決できるのか。
児童文学ながらこの作品が訴えているものはとても深いです。
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2010.6 再読。
昔読んだときと、記憶違いが結構あった。救えた人、救えなかった人。ヒメカの奴や女奴も、自由に結婚できるようになれていればいいけれど。願わくば、ワカヒコが「奴」という身分を撤廃してくれますように。
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古事記や日本書紀が大和朝廷という支配者によって編纂された神話だとは知っていた。その奥にもっと古い物語があるだろうとも思っていた。それをこういう風に描いたことに感動。オオモノヌシをそうもってくるかあ。なるほどなあ。忘れられた月神の物語。憎しみも悲しみも消えない、けどそれでもそれを越えて生きることはできる。生きられたらいい。
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「月神の統べる森で」
に始まる、たつみや章の縄文ファンタジー。
アニミズム思想に基づく、すべてのものには「カムイ」が宿ると考え、人を、ものを大事にする北の国のムラ。
対して、弥生文化が始まり、貧富の差も生まれて人が人を虐げることを覚え、それを常とした西のクニ。
相容れない考えから勃発する対立、戦はさながら現代の宗教戦争のようでもある。
中々に壮大な内容で楽しめた。
ただ、児童書であるが故か、曖昧な表現が多すぎる部分もあり、4部作の最後である本書では結論を急ぎすぎた感も否めない。
ファンタジー、古代スキな方は読んでみて損はしないとは思う。
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「月神の統べる森で」から始まった、月神シリーズも、この巻で終わり。
ポイシュマはカムイの息子としてカムイらしい心のままオオモノヌシになったと私は思う。
カムイらしい心とは、私たち人間が思う美しい心のありようとはちょっと違くて、善いことも悪いことも、鏡のようにその身にありのまま映し、泥が混じれば容易く濁ってしまうような─常は透き通っているけれども─水のような心ではないかな、と思うのだ。
神様は菩薩様とは違う。祟る神様だっているわけだし。
また、清濁併せのむワカヒコは、あくまで人間として立派な王となった。
人間として、目指すべき高みにのぼったような。
哀しいかな、人はきれいごとだけでは生きていけないからだ。
確かにアヤの国との闘いは、一番の見せ場だろうけれど、
闘いが終わったあとのエピソードは、慌ただしく駆け抜けたような印象。
もう少し丁寧に描写してもらえたら、良かったな。
それにしても、全編通しての東逸子さんの絵は、見ているだけで、心が潤っていく感じだった!
この先、約500年後の「裔を継ぐ者」を読むのも楽しみだ。
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結局は人間のみならずこの世に生きとし生けるものはすべて他の生き物の命 or 領分を食らい、侵すことによってしか生きていけないのだから、そこに現代的な価値観である「純粋」だの「穢れない」だの「善意」だのを持ち込むことに居心地の悪さ(読み心地の悪さ?)を感じました。 どうせならもっと開き直ってその穢れに首の中までどっぷりつかって、その中で「清きもの」を求めて工夫をこらす人々の努力や葛藤を描いてくれた方が、KiKi には感銘できたように思います。
もう一つ全作を読んでみてどうにもはっきりしないのが、「神」と「カムイ」の位置づけなんですよね~。 万物に宿る西洋的な表現をするなら「精霊」とでも呼ぶべきものが「カムイ」なのか、それとも「神(但し一神教の神とは異なるもの)」とほぼ同義のものが「カムイ」なのかがよくわからない・・・・・。 これはシクイケルを「カムイ」と呼んでみたり、「月神の息子」と呼んでみたりするうえに、地上にある宿るべきもの(川とか木とか石とか)のそば近くに常駐しているらしい「カムイ」がいるかと思えば、シクイケルのように「神のお膝元(≒天上)」にいる「カムイ」もいるし、ポイシュマの父である「ほうき星の神」とシクイケルが同列に扱われたりすることによってますますこんがらがってしまいます。
挙句の果てに、この「ほうき星の神」が結局のところ「オオモノヌシ(≒ 古事記の神代篇の神様)」の父であるとまで言われちゃうと何が何だかさっぱりわかりません。 著者が第1作のあとがきで「記紀が編まれる際に取りこぼされてしまった大事な神話」と仰っていたことから察するに、月の神様を頂点とする神話体系の中に「ほうき星の神」もいて、その子供が「オオモノヌシ」という文字で書かれた神話体系(こちらは太陽神を頂点とする)の神様につながったという落としどころっていうことなのかなぁ・・・・・。 う~ん、わからん・・・・・ ^^;
意欲的な作品で扱っているテーマももっともっと掘り下げれば素敵な物語になる要素をいっぱい持っているのに、何となく中途半端感が残り、小奇麗にまとめ過ぎた感もあるうえに、ついでに言えば唐突にすぎるプロットも多くてちょっぴり残念な作品だと思います。 これが児童書の限界だ・・・・と言ってしまえばそれまでなんですけどねぇ。
「ワカヒコ」がとにかく素晴らしい!! 清らかな面を持ち続け、しなやかな逞しさを示し、異文化の良さを理解してその世界観に敬意を持ちつつも己の場所を知っている・・・・・。 彼が「ムラ」での生活を懐かしみながらも「クニ」に身を置いたときにそこに漂う空気に嫌悪感を感じつつも落ち着くというくだり、そんな嫌悪感を抱く世界の中での生き方がわかる自分の中に見え隠れする「毒」を自覚しながらも、その中での泳ぎ方を冷静に考える成熟。 2つの価値観の間で苦悩に苛まれる彼の姿ほどこの物語の中で胸を打つものはないと感じます。 日本民族が持つと言われ外国からは「曖昧 & どっちつかず」と揶揄される性分はそんな精神性を持つ人の末裔であるからこそと信じたいし、そしてそう信じることを誇ってもいいのではないかと夢想したくなってしまうようなキャ���クターだったと思います。
(全文はブログにて)
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2巻の終わりくらいからかなり引き込まれていった
感じ。
縄文?弥生の頃。
日本書紀や古事記に消された(?)超古代神話を
描いてみたらしい。なかなかおもしろかった!
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“犯してはならなかった罪を犯したモノたちよ その罪の重さを罰として背負い 罰の重さに引かれるままに落ちるべきところに落ちよ”
落ちていったモノたちと残ったモノの境界はどこにあるのだろう。
私にはホムラとポイシュマの間に線を引くことができない。
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シリーズ最終巻。縄文から弥生の過渡期に神話も絡めて「全く価値観の異なる者たちが遭遇した時の軋轢をどう乗り越えるか」「善き心と悪しき心のせめぎ合い」「自分の命を含め自然と他者を敬う気持ち」と言う事を始終訴えかけていた物語だったように思います。よい物語でした。でもこの時代、この土地でなくても、同じような事が繰り返されているのは人が進歩してないからでしょうか。そう思うと悲しいですね。