紙の本
神話を生き直す
2011/01/23 18:21
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の序章にこうある。
「あらゆる神話には、ひとつの目指していることがあります。
それは空間や時間の中に拡がっておおもとのつながりを失ってしまって
いるように見えるものに、失われたつながりを回復することであり、
互いの関係があまりにバランスを欠いてしまっているものに、対称性を
取り戻そうとつとめることであり、現実の世界では両立することが
不可能になっているものに、共生の可能性を論理的に探り出そうと
することです。」
神話は、常に現実との接点において人々の生活の中に太古から存在して
きたものであるが、熱狂のうちに理想的な始原の状態が「ありうる」とする
宗教と違って、あらゆる区別がなくなることなど「ありえない」という
前提の下に、それでもそういう状態を思い浮かべることを願って、
神話的夢は紡ぎ出されてきた。
感覚を離れた観念的論理が一人歩きする宗教やイデオロギーは、
異なるものとの対立の中に接点を見出せずに袋小路に陥ってしまい、
現実の日々が理想から離れすぎて凄惨なものとなって、にっちもさっちも
行かなくなってしまうのだが、神話は、そんな現実に苛まれる生きた
五感を、再び日々の生命の中に解き放つための論理を再構築しようとする。
シンデレラやオイディプス王のような古典的神話の雛形が広い範囲で
残っているのは、人類がその身体感覚において同じ類であることの証で、
話の筋が微妙に違ったりするのは、ある地域での暮らしが他の地域とは
やっぱり違うということで、それはつまり人間が自然や天や冥界と
どんな距離感で持って生きてきたかの証である。その価値はこれから
薄まるどころか、知恵の宝庫として今後ますます発掘が進むことに
なるのだろう。人類の神話は、まだ始まったばかりなのだ。
神話を読むということは、神話の中に語られていることを五感で
感じ取ることで、だから神話の最良の読み方は、それを己の感覚として
生きることである。天地とのつながりの中に己の居場所を見出すこと、
見出そうとするうちに、己の神話は駆動しているのだ。
紙の本
人類最古の哲学
2004/06/07 15:40
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yuyuoyaji - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者によれば、人類最古の哲学としての神話は新石器時代に根ざしている。ここでもちいられる「神話」とは民話をふくみ、神話学や民俗学、民族学の枠をこえた領域を占めている。著述の大半を占めるシンデレラ物語も民話としてではなく、3万数千年まえから伝承され変形されてきた神話としてとりあげられている。というよりも、脈々とうけつがれてきた世界観から民話と神話という従来の枠をとりはらって、原初のかたちにそって考察をすすめている。
南方熊楠がはじめて紹介した世界最古の中国のシンデレラ物語が死と水の領域に深い関わりをもつのとどうよう、グリムのシンデレラ物語も妖精の仲介によってもっとも高いものともっとも低いものを結びつける。自己変形のプロセスが大規模かつ執拗にくりかえされ、中国からポルトガル、スペイン、インドネシアへとうけつがれるなかでも、ヘーゼルの小枝や豆、カマドは死者の世界と生者を媒介するもの、あるいは自然状態から文化への大転回を仲介するものとして物語の中核として据えられてきた。北米インディアンのミクマク族はペロー版が現世のしあわせに限定してその価値をおとしめているのを変形して、仲介機能を発見しようとパロディに生き返らせている。
このように神話とは、大きな矛盾をかかえながら進行する文化にとって論理や構造をとりだすだけでなく、具体性の世界との関わりのなかにのみ価値をもつ。幻覚を利用してきた宗教(オウム?)の側にのみこまれず、材料は現実の社会構造、環境、自然の状態からとりだすのが神話なのだ。著者の言外の主張を推測すれば、ここにこそ、大国主義に汚染され蹂躙されている現代の世界にとって神話復活を意図する意味がある。
民話や神話に関心をもつ者にとって、その源流は朝鮮や内陸アジア、さらにはインドネシアなどにもとめられることが多かった。あるひとは海上の道に祖先のすがたをおもいうかべ、あるひとは騎馬民族をおもいえがいてきた。著者はレヴィ=ストロースを媒介にすることによって、環太平洋という枠組みを析出し、新石器時代に形而上学の革命を指摘する雄大な構想をえがこうとしている。民族学や民俗学の壁をとりはらって源流への旅立ちをうながす書である。
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構造主義的神話論。メインはシンデレラ伝説。確かに面白いんだけど、ちょっと読み易過ぎかな。。。もうちょっと歯応えがあっても良いような気がする。入門書としてはお勧め。
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「人類の思考のすべての領域を踏破する」試みの全5シリーズの1冊目。主題は「人類最古の哲学」として神話です。最初、自分には読み切れないかなと思っていましたが、時には笑いながら楽しく読み切ることが出来ました。「宇宙」とか「愛」とか「闇」とかを曖昧で面倒くさいものをしっかり内容しながら何かを構築するって素晴らしいなと思いました。 中沢氏企画のときの愛知万博がやっぱり見たくなりました。
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中央大学教授、2006年度からは多摩美大で芸術人類学を研究される、人類学者であり宗教学者の中沢先生の、中央大学での「比較宗教論」の講義録『カイエソバージュ』シリーズの第一弾。
国家や一神教が発生する前の人類(旧石器時代後期から)は、神話という様式を用いて宇宙における自分たちの位置や、自然の秩序や人生の意味などについて深い哲学的思考を行ってきた。国家というものを持たなかった自然民族の語り伝えた神話には、現実の世界とのつながりを失うことのない、素朴だが複雑な成り立ちをした論理の体系が潜在している。神話は非合理的、非科学的であるというイメージを払拭し、神話は人間が最初に考え出した、最古の哲学であると、私たちに教える一冊。
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ファンタジーを読む上で指標になっている本。
新たな批評の視点を与えてくれた。「神話の思考」に根ざしたファンタジーはどういうものなのか。いつも考えている。
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人類的分布をみるシンデレラ物語分析がなんとも興味深い。全てを疑い穿りかえす思想家だの宗教学者だの文化人類学者だのがいてくれるから、世の中は面白いのだと気付かされるのだ。
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神話は、現実の具体的な存在や事象を離れては存在し得ないもの。それは人間の五感や社会構造、自然の生態と密接に結びついている。迷信や子供っぽいつくり話と一蹴されてしまうのはいかがなものか。世界の各地で語り継がれている神話には、いろいろなエッセンスがちりばめられているというのに。
2006.01.09-17
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各地・各時代のシンデレラの話もとても面白いけれど、「最古の哲学」としての神話の考え方や有り方について書いた第1章がとにかく素晴らしかった。(20070516)
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中沢新一先生の中央大学での講義を基にした1冊。読みやすい文体は元が授業故の口語文体だからでしょう。内容は神話。最古の哲学とはなるほど、と感心しきり。シンデレラを軸にその話の展開は一気に読まされてしまうほどワクワクしました。
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あまりに面白くて一往復半で読了。
シリーズ?まであるそうなので図書館で予約しなくては。
アンデルセンよりグリムが好きな方は、もれなく楽しめること請け合い。
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面白い・・・二日で読んでしまった。
ただし、注意しなければいけない。実際に存在する神話を題材としているが、学説というわけではない。学術的な裏付けのあるハナシではないのである。レヴィ=ストロースや南方熊楠などの研究に基づいてはいるが、この話は中沢新一という思想家の、あくまで一つの、世界の捉え方であると、それだけを心の片隅に置いて読み進めれば問題はない。
僕自身、これまであれこれと考えてきた「人間の根源は何か」とい問いに答えてくれそうな気がして、中沢新一を読み始めたのである。このシリーズはまだ4冊続くが、読み終わるころにはきっと、自分の中に新しい地平が開けていそうに思う。
なお、芸術人類学研究所のHPの「芸術人類学とは」という文章だけでも読んでおくと、中沢新一の言わんとするところがより良く分かるだろう。
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人類学者の中沢新一によるカイエ・ソバージュシリーズの第一弾。
僕にとって初めての中沢新一。
とりあえず気になるところをつらつらと書いてみる。
以下ネタバレあり。
第一章人類的分布をする神話の謎
・北米インディアン版の竹取物語では両親に愛された娘は中国の纏足のように足が小さい。皆が求婚するが断り、族内婚を嫌い、熊や狐、シャチと結婚する。人間の世界で一切の媒介された状態を実現できていない。
・燕石に関する伝承はさまざまある。
・ヨーロッパの民間伝承で鳥の巣あさりがあるが、これは思春期を迎えた少年を青年が登らせて卵などを取りにいかせる習慣だが、ここで巣に手を入れてはじめて性の手ほどきが行われるといわれている。
第二章 神話論理の好物より
・アメリカインディアンは豆とトウモロコシをよく似た位置のものと捉えている。豆は睾丸、トウモロコシはペニス。柔らかい睾丸はより女性的。
・豆と燕はよく似た存在。豆は解剖学植物学的なレベルにおいて生と死を仲介する両義的な存在。ピタゴラスはそのため豆を取り入れずにいたし、同じ理由で燕を入れてはならなかった。
・ピタゴラス哲学はこちら側にはモダンの純粋主義にも通じる性格を持ちながら、向こう側には神話の世界が広がっていた。豆などを嫌っていたピタゴラスが蝶つがいの役目をになっている。これは節分でいう呼びながら払うという二重の性格を現している。つまりピタゴラスが豆と同じ働きをしている。
第三章 神話としてのシンデレラより
・現代の神話舞台は芸能界が担っている。
第四章 原シンデレラのほうへより
・民話は単調な反復を好む。
・原シンデレラは残酷な結末。姉たちは足を切り落として靴に足を滑り込ませる。さらに結婚式で小鳥に目を奪われる。
第六章 シンデレラに抗するシンデレラ より
・ミクマクインディアン版のシンデレラ「見えない人」は批判精神により作られた。「美しい」は単に見た目だけの話である、と。精神の話。
・カマドは人間と霊界を仲介する場所。
・見えない人に見てもらおうと美しく着飾っては見えない。
・最後にボロボロの娘はきれいに着飾ってもらうが、これは自然の美しさの話。それは誰もがもっている。
第七章 片方の靴の謎
・オイディプスの神話でもオイディプスが片方の足を引きずっているのは死者の領域に踏み込んでいるため。
・シンデレラは死者の領域と自由に行き来できる能力者。
・シンデレラが脱ぎ捨てた片方の靴は彼女に打ち込まれた死者の王国の刻印。
終章 神話と現実より
・神話は哲学。
・現実を失ってでもバーチャルにいくことに神話は警鐘を鳴らしている。
さまざまなシンデレラに対するアプローチは必見。
知識がつまっている。
他のいろいろな神話も調べたい。
やはり今と昔はぐるぐると回って同じところにあるのだ。
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リアル教養醸成本! 中沢新一の講座を本にしたシリーズ第一冊目。人間が考え出した最古の哲学として「神話」を探求する。世界各国に存在する酷似したプロットの神話に「隠された意味」とは? あるいは地域によって異なる理由は? など興味深い問題意識を提起したうえで、シンデレラなど誰もが知っている具体的な物語を読みながら判り易く展開されている。
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<ブックレビュー>
人類の歴史や文化、思想といったものを、「神話」という観点から大胆に読み解いていく書。講義形式なので、口語調だし、難解な言い回しもなく、学術書なのにすらすら読める。
著者は、新石器時代に起こった人類の変化を、人類史上最大の革命的な出来事であるとし、それ以来、人類は根本的な変化や進化を迎えていないという(8千~1万年前から人間の脳味噌は根本的に進化していないのだ)。
そして、その新石器時代の大変化が生み出したものこそ、神話的な思考であり、その神話的思考の原型は世界に散らばる様々な神話やおとぎ話の中に見いだせるのだとし、実際に様々なおとぎ話や神話を題材にし、その中に神話的思考を読みとり、解説していく。
本著で大きく取り上げられているのはシンデレラの物語だ。今ではディズニーのアニメが有名だが、シンデレラと同型の構造を持った物語は、世界中に存在し、中国のシンデレラやインディアンのシンデレラ、日本のシンデレラなど、ヨーロッパのシンデレラと非常によく似たシンデレラの物語が世界各地に存在するのだという。そして著者は、その物語の類似性の中に、人類の中に眠る神話的思考を見いだしていく。そのことで、人間が無意識のレベルで自然に対してどういった思想を持っていたのかを明らかにしようとする。(別にユングのいう普遍的無意識云々の影響で物語が類似した形を取るとかそういう議論はしてなくて、ちゃんと人類学的理由でその類似については説明している)
最終章では、著者による神話的思考による分析の射程は、現代日本のヴァーチャルな文化にまで及んでいる。
近現代の日本で大きな発展を遂げたアニメやゲームといった文化の分析だ。こういったサブカル的なものを、文化人類学的思想や神話によって読み解く本は他に見たことがなかったので、新鮮だった。
ただ、本書ではそれはまだまだきちんと理論化され十分に分析されているとはいいがたく、ある種の予見というか、試論とか準備論の段階にとどまっている。
(著者によると日本のゲームやアニメの文化の根底には、古くから日本人の思想の中に生き残っていた神話的思考が生きている。しかし、ゲームやアニメが古来の神話と異なるのは、神話が現実的なものとのつながりや五感が捉える現実とのつながりを保持しようとしていたのに対して、ゲームやアニメはヴァーチャルな領域だけで完結してしまっている点だ。だからゲームやアニメの体験は、現実的なものや具体的なものとの接触の中で弁証法的関係を築けない。つまり、それは快楽原則の充足のためだけに、ヴァーチャルな部分だけが肥大化した思想であり、自然の根底に触れ、それを理解しようとする神話の思想から離れてしまっている。そのことで具体的な自然的世界への深い理解やつながりは失われてしまう。と、現代のヴァーチャル文化に対して軽い警告を発している。あまり深いレベルにまで分析が達しているとは正直言い難いなと)
全体として刺激に満ちた本だし、教養としてもすばらしい体験をもたらしてくれるので、興味ある人は手にとって読んでみてもいいのではないかと思う。