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ボルヘス、文学を語る 詩的なるものをめぐって みんなのレビュー

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紙の本

こうしてわたしたちはまたボルヘスを読むためにボルヘスを読むのだ

2002/04/15 22:15

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投稿者:赤塚若樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ハーバード大学には、傑出した芸術家を毎年ひとり招聘し、その芸術家が選んだテーマで講義をしてもらう制度があり、「チャールズ・エリオット・ノートン詩学講義」と呼ばれている。「詩学」はこの場合「広い意味で解釈される」ものらしく、実際に文学はもとより、それ以外のさまざまな分野からもこの講座の教授が選ばれている。思いつくままあげてみるだけでも、たとえばT・S・エリオット、チェスワフ・ミウォシュ、イタロ・カルヴィーノ、カルロス・フエンテス、ウンベルト・エーコ、ジョージ・スタイナー、イーゴリ・ストラヴィンスキイ、レナード・バーンスタイン、ジョン・ケージ、バックミンスター・フラー……といった名前が浮かんでくるが、いずれにせよ、1967年から68年にかけてノートン講義を担当したのが、われらがホルヘ・ルイス・ボルヘスだったのだ。

 本書はその講義録。「詩的なるものをめぐって」という副題、それから「This Craft of Verse」(詩の技術)という原題からわかるように、ここで話題の中心におかれているのは「詩」。ボルヘスといえば、とくに短編小説やエッセイなど散文作品がよく知られているが、初期の活動の中心には詩作があった。つまりもともとは詩人だったのだ。おそらくこれも講義のテーマとかかわっているのだろうが、しかし、本書を読むにあたっては、あまりそういった伝記的事実を気にかける必要はないだろう。そしてさらに、少々暴言めいたことをいうなら、この本については、そこで展開される詩論そのものもそれほど重要ではないかもしれない。いまのわたしたちにとって、魅力的であったり刺激的であったりするのは、むしろ講義を行なっていくボルヘスの言葉自体なのだといっていきたいと思う。論旨の展開うんぬんよりも、さりげなくいわれる「ボルヘス」の「ことば」、それがことのほか興味深く読めるのだ。「ボルヘス」が口にするからこそ意味をもつ「ことば」とでもいえばいいだろうか。

《エマソンがその著作のある個所で書いています。図書館は、死者で満ちあふれた魔の洞窟である、と。しかも、これらの死者は甦ることが可能なのです。われわれがページを開くと、生命を回復することが可能なのです。》

《言葉はもともと魔術的なものであり、詩によってその魔術に引き戻されるのだという、この考え方(…)は真実であると思います。》

《今回の私はやや戸惑い気味でした。抽象的な思考はまったく得意ではないからです。》

《私自身の習慣にしたがって、若干の具体例から始めましょう。すべての議論は具体例なしにはできないと信じるからです。》

《私の理解によれば、はっきりした物言いより、暗示の方が遥かにその効果が大きいのです。人間の心理にはどうやら、断定に対してはそれを否定しようとする傾きがある。(…)しかし、ある事柄が単に語られるか、あるいは——この方が遥かに効果的です——仄めかされたときには、われわれの想像力に好意めいたものが生まれ、喜んでそれを受け入れます。》

《われわれは考えます。「なんだ、こんなもの、その気になっていたら〈われわれだって〉書けたぞ」。しかし、その気になったのはバイロン一人でした。》

《これらの詩行は何事も意味しません。何事かを意味するために物されたわけではないが、しかしそこに在る。美をあらわすものとして、そこに在る。少なくとも私にとっては、尽きることのない悦びなのです。》

 まるでボルヘスがみずからの作品について語っているようではないか、などというつもりはない。こうした言葉を読みながら気づくのはそのことよりもむしろ、わたしたちがまたボルヘスを読むためにボルヘスを読んでいるという事実ではないだろうか。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・芸術批評 2002.04.12)

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