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買売春と日本文学 みんなのレビュー

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みんなのレビュー2件

みんなの評価4.0

評価内訳

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紙の本

フェミニズム論の視点から日本文学をきる斬新な試み

2004/10/05 16:53

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:音羽ふらと - この投稿者のレビュー一覧を見る

タイトルに「買売春」という言葉が使われている。「売春」は耳慣れているが、「買春」は目新しい。その意味するところは、私なりの解釈では、「男性が圧倒的に買う側に立つ男性優位社会において、金銭などと引き換えに女性の性器と人間存在をモノとして所有し、消費し、あるいは破壊してきた男性行動、およびこれを支え、促進してきた社会的、文化的装置」と要約できる。

 本書は徹底して女性の性と人間存在の擁護の視点に立っている。近年日本でも盛んになってきた女性学だが、日本文学の領域におけるフェミニズム論に立脚した研究成果が、買売春を描いた文学書についての解説・分析を中心に、ひとつの実りをみせていると思う。

 まず「買売春問題へのアプローチ」と題し、特定の文学書を取りあげるのでなく、より根源的、包括的レベルから4人の研究者が論じる。問題は「性の商品化」よりもむしろ女性が男性に「所有」される奴隷性にあること、日本の国家権力が編み出した性暴力装置である「従軍慰安婦」制度の根底には当時の公娼制度(国家公認の買売春統制)があり、それは女性への性的搾取を合法化するシステムであったことなど、本書の切り口と響きあう重要な洞察が散見される。

 次に「文学に描かれた買売春」と題し、平安・鎌倉から近世、明治、大正・昭和、敗戦後、現代と大きく五つの時代に分け、遊女の誕生から「援助交際」する女子高生にいたるまでの買売春行動が描かれている様々な文学書について、25人の研究者、歌人、詩人がおのおの25のテーマに沿って解説・分析する。各解説が参考になるとともに、時代による買売春行動の変容が浮き彫りにされ、女性を蹂躙する買売春装置を無自覚に受容しつつ創作された文学書や、これを高く評価する既存の文芸批評が照射され、女性の性と人間存在を擁護する視点にたった新しい見解が提示される。

 他に「ポルノグラフィー」「遊郭」「援助交際」など5つのコラムが処々に配置されている。巻末に索引と参考文献一覧があればなおのことよかった。

(『書誌年鑑2003』より転載。)

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紙の本

日本の「恥の文化」。

2002/07/30 23:51

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:凛珠 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 売春を合法化するだけでなく立派な職業として認知せよ、というセックス・ワーカー論。女性差別というと貞操観念の押し付け・良妻賢母礼讃、と思っている手合には都合が好く、フェミニストでもうっかり騙されてしまいそうな主張だが、本書は概ねそれに反対する立場で書かれている。
 しかし私が疑問を抱いたのは萱沼紀子氏の「芸者と女郎の職業意識」の項だ。江戸時代の娼婦、それも吉原の高級娼婦などではなく、性交だけが売りである飯盛女の職業意識やプライドを「東海道中膝栗毛」から取り上げている。だが、飯盛女に限らず近世文学に書かれた娼婦の職業意識に思える部分などは、借金を返して自由の身になる為に・楼主からの私刑を避ける為に、必死で客の気を引こうとしたという事実が背景にあった行為なのである。
 性奴隷と娼婦は異なる。人身売買されて奴隷のように使役されている女性に職業意識を持ち込むのは、彼女たちの苦境に蓋をするのみならず、彼女たちが売春に全く苦痛を覚えず好きでやっていたかのような事実誤認を生じさせることになる。彼女たちは好きで売春していたわけでもなければ売春を立派な職業だと思っていたわけでもない。人身売買に限らず当時の売春は貧困が原因だということは、著者も「好色一代男」を引いて説明しているのにも関わらずだ(売春が嫌悪の対象であるゆえに西鶴も娼婦に同情している)。彼女たちに罪が無いのは当たり前だ。だからこそ蔑視などしてはいけないのであり、そこに職業意識を持ち込む必要は無い。
 最近の浅薄な江戸文化本はこの手の誤りで溢れている。萱沼紀子氏は恐らく古典畑の方だろうが、近世文学の一見無邪気な暗黒性に騙されてしまっている。当時の男は娼婦の必死の職業意識的行為の裏にある地獄など、書きはしなかった。そこに当時の男の、女性特に娼婦へのまなざしの残酷さが現れているのである。
 私はフェミニズムというよりも、ただ人間としてかつての奴隷制の遊郭を許せない。かつての遊郭は、自由恋愛の禁止などといった近代的家族制度における必要悪から生じた部分もあるという。本書の執筆者も概ね家族制度から遊郭について論じている。
 だが私が思うに、確かにそういう要因もあるだろうが、当時の男はたとえ自由恋愛が認められていても、奴隷制の娼婦を罪の意識も無しに買っただろう。買春が擬似恋愛などというのは奇麗事で、殆どの男は性欲を発散させようと思うのである。それは遊郭が一番栄えた江戸時代の実態を見れば分かる。フェミニストの方には是非江戸時代を詳しく研究して欲しい。そうすればきっと新たな真実が見えてくるだろう。娼婦を買ったのは決して近代の性の抑圧の犠牲者などではなかった。
 抑圧されていようといまいと買春が礼讃される状況なら、男は喜んで買春するだろう。それも当時は安い娼婦が大勢いるのだ。昔の男は禁欲だったなどと妄想している人が多いが、素人女性に手を出さなかっただけで、性奴隷女性への態度を見ただけでも到底現代より酷い。
 私は性暴力の立場で遊郭を見ているが、本書の著者たちは近代家族というものを通したうえで見ている人が多いように感じた。それは自分の主張を言える立場にいた女性(フェミニストなど)は、性暴力よりも家制度における女性差別を受ける立場だったからではないのか。性奴隷にされて強姦され続けた下層の女性よりは、貞操や良妻賢母で縛られた中産階級の女性の方がまだマシである。ここをわきまえないから、セックス・ワーカー論に付け入られるのではないのか。
 私は買春を認めぬ為にセックス・ワーカー論には反対だ。性奴隷女性も買えるような買春礼讃嗜好を持った人種に買春は許されない。
 また女性が如何に主体性を持っているつもりでも、強姦を嫌がる性である限り、性において女性は客体である。例えば肌を見せれば男に都合が好いだけなのである。 

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