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言わずと知れた建築家、安藤忠雄が書いた、建築の機能や都市の在り方についての話。もとはNHKの教養番組「人間講座」のテキストだったらしい。
安藤忠雄の建築というと、なんか無機質で観念的な現代美術みたいな感じ、という漠然したイメージしかなかったが(おれが見たことある石川県の西田幾多郎記念館とか)、それらはただただ安藤忠雄の感性で作ったものという訳ではなく、安藤自身が世界中の建築を見て回り、古今東西の様々な建築家について勉強し、その都市の歴史や地形、人々の生活を考察したというバックグラウンドに裏打ちされた、安藤自身の思想なり哲学があって、その上でああいう建築が建つ、ということが分かった。なんとなく岡本太郎とかぶるイメージがあったけど、って岡本太郎についてもおれは知らないから何とも言えないけど、岡本太郎とは違うようだ。
この本の中で何度か出てくるテーマは「経済性や合理性だけを追求する、日本人の都市に対する意識の軽薄さ」というのがあった。例えば戦後、日当たりを条件にして極めて画一的な住宅が作られていき、「固有性や地域性といったものが無視され、徹底的に画一的な住環境が作り出され」(p.43)、「非人間的スケールで街路空間を欠くといったような問題」(pp.43-4)ということ。面白いと思ったのは「そこには、経済の論理が最優先されてきたことともう一つ、持ち家一戸建てにこだわれ、特に南面に固執し続ける日本人の住宅観の問題が要因としてある」(p.44)ということだった。「日本では南向き崇拝とでもいうほどに、個人住宅、集合住宅に限らず、部屋はすべて南向きを良しとする傾向があります。」(同)ということで、確かに、アパート探しなんかやっても必ず「南向き」というのは、その物件の価値を高める分かりやすい指標になっている気がする。ちなみにこれは、書院造の庭があって成立した思想だそうなので、庭がなければこういう思想が貧困である、ということだそうだ。
同じように思想面の貧困さという点で批判されているのはブラジリアやキャンベラだそうで、「これらも機能主義に基づく理想的な都市としてつくられはしたものの、その都市空間の画一性、それによる疎外感などから現在では批判の対象となっています。何故上手くいかなかったのか。それは、年が都市であるために必要な固有の論理と言うものを、それらの計画が考慮していなかったから」(p.100)だそうだ。もう一つ、日本人の特性めいた内容としては、「日本人というのは、よほど破壊好きの民族なのか、何かつくろうとすると、とにかくまず、白紙に戻して考えたがります。(中略)長い間を街ととともに生き続けた歴史的建造物が、ためらう間もなく取り壊されてしまうのも、官だけでなく市民の側にも街に対する愛情が、また都市に生きるという公的意識が欠如していたあからではないでしょうか。」(p.214)ということで、阪神大震災後にいくつか取り壊された歴史的な建造物についての話も印象的だった。確かに、今だったら原宿駅の駅舎、とかもその例なのか。
ということで、これを一冊読めば、建築家という人たちは、単にその建物一つだけを考えればよいのではなく、「コスト、法規、工期、そして施主の要望といった諸条件」(p.244)の中で、いかにその建築が都市に影響を与え、人々の記憶を構成するものになるのか、という複数のことを高い次元で考えてこその建築家、ということが分かった。(19/07/27)
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安藤さんの建築を見て素敵と思うことはあまりなかったけど、思想の断片として素直に理解できるところは結構あったし、切り口も初心者向けでおもしろかった。
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平易な文章、自分のような一般読者に向けられたわかりやすい文章ではあったが、やはり建築の専門用語に詳しくないと、本当に筆者が言いたかったことを理解できているのだろうか・・・と不安になってしまう。建築界は本当に敷居が高い。やはり、建築物は実際に見て感じて、そして立ててみないとなかなか理解できないものなのか。
住居として、人が集う場所として、都市の一部として、歴史の一部としての建築を筆者はとき、これから筆者が設計したいろいろな建築を目にすることがあろうが、ぜひ参考にしたい。
建築を巡る旅をいつかしてみたいと思う。