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ドイツの詩人、ヘルダーリン。
もっと観念的で固い詩なのかと思っていたら(ドイツ人なので)、自由で世界の広がりを感じる詩が多かったです。
解説では、ドイツの詩の最高峰はゲーテ、と書かれていたので、ゲーテの詩を次は読んでみたい。
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詩として線形に構成されているというよりは並列だ、というのは納得。
憂鬱な内面と感傷、土地や自然への愛着が、壮大なギリシャのイメージと重ね合わさっていて、多重なスケールの重ねあわせ。それは大小でもあり超越性でもあり。そこからすっぽりキリスト教が抜けているような気がしなくもない。予断かな。
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ヘルダーリンと言えば、「憧れ」! *^^*
東京育ちの人にはピンと来ないかもしれませんが、
インターネットのなかった時代、
地方の子どもに世界は実感しにくいものでした。
ずっとずっと遠いところに、自分と違う人達が
暮らしている世界がある。
そういうことを本当に実感したのが
ドイツ語購読で「ヒュペーリオン」に触れたときでした。
いやあ〜我ながら、若かったなあ ^^;
翻訳者の解題・解説が手厚いです。
昔の角川文庫にはなかったぞ・・・
今読むと、若者の感じる「老い」のなんと甘美なこと。
いざ来たれ甘い眠りよ!心は多くを望みすぎる。
しかしいつかは燃え尽きる
休みなく夢想に耽る若さとて。
やがて来る老いは 平和で晴れやかだ。
−夕べの幻想 最終連−
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わたしはハイデガーの倫理学に関する着想にとても興味があった。その着想では「故郷」というワードが提出されていた。その過程で、彼はヘルダーリンの詩『帰郷』を挙げていた。そこで図書館でこの詩集を手に取った。以上がヘルダーリン詩集を読むに至った経緯である。
『帰郷』ももちろんよかったのだが、特に『平和の祭』がよかった。
このように、きっかけとは違う結末。このような裏切りが起こり得る、すなわち “出会い”がある本であることは確かである。
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このヘルダーリン(1770-1843)の詩をずいぶんとハイデッガーが気に入っていたようで、先日読んだ『「ヒューマニズム」について』(ちくま学芸文庫)でも何度も言及していたから気になってしまい、この岩波文庫の詩集を読んでみた。
少なくとも前期の詩は平易なもので、素朴なポエジーをストレートに伝えている。自然の風光のなかに「神」の顕現を見るというテーマで繰り返し書いている。この「神」とは前期の詩では古代ギリシャの神々であるが、後期になるとそこにイエス・キリストも混入してくる。
古代ギリシャへの憧憬がとにかく溢れかえっているが、そのような傾向を西欧の幾人もの文学者が示しているのを私はこれまでも触れ親しんできたので、特に新しさは感じなかった。
後期というのはだいたい1800年頃からとされているようで、この時期からヘルダーリンは精神疾患(統合失調症らしい)にかかっていてだんだんひどくなっていったそうだ。
かなり後期の詩になると、わかりやすいようで途中で「お?」となる箇所があり、どうも構成が複雑になっており、単純でストレートなポエジーとは言えなくなってくる。この後期の作品の評価が高いようだ。
まるで文構造の異なる日本語に翻訳された詩は、ヨーロッパでも伝統的だった「韻律」の部分がすっかり失われてしまうので、もちろん、その辺を間引いて受け取る必要がある。
それにしても、何故ハイデッガーがあんなにもヘルダーリンに突出した高評価を与えていたのか、結局今回は理解できなかった。その点は、今後ハイデッガーをさらに読んでいくうちに、本書をまた拾い読みして考えていきたいと思う。