紙の本
頑固さと緩さのバランス。
2011/09/09 08:06
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のちもち - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルから容易に想像できるが、著者がメインを務めた「ニュース23」にまつわる話。「キャスターニュース」という形態や、そこに座るキャスターの位置づけ、報道のありかた、などを、当番組が継続する中で起きた出来事を通じて、語る。クリントン大統領の来日(市民対話の実施)、NY同時多発テロ事件...その時々で、テレビは、番組はどうかかわってきたのか、という本質的な内容です。
ご本人は、朝日新聞という「権威」の中で仕事をしてきた経験もあり、そして持って生まれたキャラクターもあって、「報道のありかた」につては自論をお持ちです(当然ですけれど)。本書の中で出てきましたが、当番組を受け入れるにあたり、メインキャスターであり「編集長」という役割を担うにあたり、「君臨すれども統治せず」を軸にされた。これは、報道番組云々ではなくて、それに携わるチームの作り方、に関することだけれども、TBSの社員ではない立場でありながら、ある意味では同局の「顔」でもある「重い」ポジションを、「チーム」として固めてきた彼なりの哲学があるように思う。
また、番組作りにあたっては制作側の「見せたいもの」と視聴者側の「見たいもの」のバランスに苦慮された様子がうかがわれる。よく比較される久米宏・ニュースステーションは、後者に比重を置いたものであるのに対して、著者のそれは前者寄りのイメージかな。「活字」出身である故、かも知れないけれども、テレビという電波媒体の中で、「オピニオン雑誌」のようなコラム的な味付けを施してきたよう。これが「多事総論」のように形づけれらてきた。
視聴者側の立場からすると、どちらがよいか、或いは面白いか、はもちろん個人的な趣味によるもののの、個人的には、「若いうちは久米さん、ある程度の年代からは筑紫さん」となってきたのは事実。また、テレビというメディアに対してある程度の距離ができてくると(物理的な距離も含む。すなわち、「ながら視聴」の度合いが増えてくると、という意味で)筑紫さんのほうが、受け入れやすくなった。そしてさらに年代と距離が大きくなると、NHKの「事実のみ」のほうが、簡潔で押しつけがましくなく、という事象になる。自分の親世代がNHKを偏重する姿勢を「なぜ?」と思っていたけれども、いつのまにか自分もそうなってきている事実...
現在は、次世代に引き継がれている「ニュース23」だけれども、そこを流れる空気というのは、「創設者」たる筑紫さんのそれが受け継がれているような気がする。古館さんが久米さんの流れを自分流にアレンジしているのと同様に、その精神は引き継がれているようだ。著者自身も言っているように「活字」の人ではあるけれど、そしてテレビ向きではないのかもしれない、という意見もあったけれども、どんなメディアであろうと、「見せたいもの」を「見たいもの」に昇華するような「思い」という本質は変わらない、はず。
もし今ご健在ならば、大震災、原発事故に関して、どのようなことを「発言」されるのだろうか。もはや聞くことは不可能だが、とても興味がある。
【ことば】まちを行き交う人たちが普通の日常を送っている限り、それが「ニュース」になることはまずない。
この「普通の日常」に異常が生じたときに「ニュース」になる。それを追い求めているようなところがメディアにはある。筑紫さんにはそういう「自覚」があった。それはおかしいのではないかと...報道にかかわる人がすべて、その自覚があれば、もっと「質」は上がるはずだ。この人の思いに比べると、今の報道メディアの質はあまりにも低い。
紙の本
筋金入りのリベラリスト
2002/06/28 14:23
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:沖 海明 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あの立花隆氏が「筑紫さんは筋金入りのリベラリストだ、この人がいなかったら世の中はもう少し悪くなっていただろう」と言ったことがある。本書はそんな筑紫氏がキャスターを務めるTBSの報道番組「ニュース23」のウラ話がいろいろ書いてあり面白い。
他局のヘッドハンティングを警戒してアメリカに特別ポストまで作って筑紫氏を隔離した話。
音楽のパワーとポテンシャルを見据えたうえ、番組に導入する洞察。テレビに映る人を裸にしてしまうメディアの特性とインタビューテクニック。クリントンや中国首相との対話番組の顛末など、放送からは見えないジャーナリストとしての苦労や番組制作の紆余曲折がわかり面白い。著者の幅広い好奇心も健在のようだ。音楽、映画、美術など以前は「第二部」として放送していたが、今は「低俗バカ番組」に乗っ取られてしまった。
偉大な教養人の素顔が垣間見える一冊だと思う。
投稿元:
レビューを見る
報道の形、ということを思わずにはいられなかった。
新聞 対 テレビ はもちろんのこと、テレビの中にも 当然ながら さまざまな伝え方があるのだ。同じ素材でも 切り込み方・味付けによって 見る側には全く別のものになってしまう恐れもあるのだ、と 改めて番組作りの難しさをも思わされた。
そんな中にあって、同じ報道番組のキャスターを10年以上の長きに渡って務めるというのは 並大抵のことではないだろうと容易に察せられる。
ご本人は謙遜して書いておられるが、それは筑紫哲也という人が ご自分の立ち位置を常に明確にしておられるゆえだろう。
それにしても、生放送の報道番組の綱渡り感を毎日しのぐというのは どれほど神経をすり減らすことだろうか・・・と想像すると気が遠くなる。
投稿元:
レビューを見る
日本で最も有名なジャーナリストの一人、筑紫哲也氏が自分とテレビ番組との関わりについて主として書いた本。
投稿元:
レビューを見る
著者に関しては賛否両論ありますが、キャスターの舞台裏といういみではおもしろく読めます。ただ偏重報道の観点からこのニュース番組は公平な立場で報道しているという番組がないんですよね。
投稿元:
レビューを見る
TBSの「ニュース23」について、メディアについて、ジャーナリズムについて、筑紫哲也さんの日常を通じて自分の中でいろいろなことが見えてきた気がしました。
投稿元:
レビューを見る
ニュースの心がけ
(1)あわてたり、上ずらないこと――現場からの中継はいくら興奮してもよい。そのほうが空気が伝わる。だが、それとの対比を出すためにも、受けとめるスタジオは冷静さを保ったほうがよい。とくにパニックを起こしかねない題材の場合は。
(2)とりつくろおうとしたり、ミスをおそれたりしないこと――失敗を恥ずかしがる日本人の性癖を私も人なみ以上に持ち合わせているが、それが無用の緊張、こわばりを生むくらいなら、捨てたほうがよいと思うようになった。ミスはかえって臨場感を出す効果もある。
(3)俯瞰、メリハリ、“総括”を忘れないこと――番組の途中から見始めた人もいるだろうし、忙しくチャンネルを替えて番組のハシゴをしている人もいるだろう。要所、要所でこれまで起きたこと、わかったことをその都度まとめていくことが必要だ。
(4)目に映りしものの背後を見ること――映像が伝える情報の強さがテレビの生命であることはもちろんだが、それが意味するものをどう理解するかによって、同じ情報でも受け止め方が異なってくる。
(5)入ってくるものを鵜呑みにしないこと――いったん伝えた情報について、その後も再確認、再点検を続けていくこと、時には“消去作業”をしていくことである。
ニュースキャスターは人形じゃない。
しかし、オピニオンリーダーでもない。
それでも、メディアには力がある。
クロンカイトの信じたもの。
それは確かに、世界を動かした。
投稿元:
レビューを見る
筑紫さんが亡くなった時に興味を持って。
ニュースキャスターとして駆け抜けた筑紫さん自らの体験記で自伝本のような感じ。読んだ時期もあり筑紫さんの遺書のように感じてしまった。
この本で知った坂本龍一さん作曲のニュース23のテーマ曲は好きな曲の一つ。
投稿元:
レビューを見る
「青春と読書」での連載として読み物らしい文体で、「9.11」「阪神大震災」「クリントン大統領来日特番」「小泉内閣発足」などさまざまな事件を、普段自分の意思を表立たさないニュースキャスターという立ち場から少し距離を置いて語られている。
筑紫氏の面白いところは、ここまで世間にキャスターとしての立ち場が確立されていながらも、つねに「キャスターとは何か」を自問しているところであり、文末に「無軌道修正を連鎖していくのがこの仕事」と括っているあたり、興味深い。
朱鎔基のインタビューにて、経済皇帝の異名をとる要人を前にしても、彼の人柄にこまかく言及している下りが、この人を面白く奥深く見せていると思った。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
初めて現場から語る「ニュースキャスター論」。
かつて新聞、雑誌の記者・編集者であった著者が、テレビのニュース報道という未知の世界に飛び込み、そこで何を見、何を考え、何に苦悩してきたか。
「ニュース23」の創設から現在に至る経緯を、自らの体験を軸に書き綴った迫真のノンフィクション。
数々の事件、事故、災害、政局…。
激動する時代と斬り結びながら、一般の視聴者には知ることのできないテレビニュース報道の舞台裏を活写する。
そして、ニュースキャスターとは一体、何者なのか。
[ 目次 ]
番組誕生
音楽の力
「北風型」と「太陽型」―インタビューの攻防
テレビは「小泉首相」を作ったか
「主持人」の周辺
大統領がやって来た
「モニカおばさん」のガツン
「赤い皇帝」の椅子
世界が変わった日
「多事争論」のできるまで
TBSが死んだ日―オウムビデオ事件をめぐって
神戸震災報道
ただの現在にすぎない仕事
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
1989年から18年間News23のアンカーを務めた筑紫哲也さんの本著。
坂本弁護士事件では自らの番組内でTBSの対応に疑問を呈するなど、権力に迎合しない姿勢は、数ある報道番組にあっても好感を持てた記憶があります。(逆にいまの報道番組はWBSくらいですかね。。)
新卒で朝日新聞社に勤務し、後にニュースステーションのメインキャスターを務める久米宏さんがTBSの人間だったことからスワップ人事だったことを明かすエピソードなども。読んで損のない本です。
投稿元:
レビューを見る
2012/2/3読了。
率直に、この方のつくるニュース番組を見たかった。題材の出来事の多くは、私にの認識ではニュースよりも歴史に近いものであるため、自分の中にある出来事のイメージを、今のニュース番組に重ねる事で想像するしかない。
だが、本書から受け取る印象は、現在のどのニュース番組の印象と比較しても異質であるように思える。見せたいものと見たいもの、両者の絶妙なバランスの上に成り立ったニュース番組だったのではないか。その差異を生んだのは、筑紫さんの意思であったのだろう。
投稿元:
レビューを見る
筑紫哲也さんの視点。ジャーナリズムとは。様々なことを考えさせられました。裏も少し垣間見ることができた気がします。高校のとき読みましたが再読しました。
投稿元:
レビューを見る
筑紫さんのこれまでの仕事と、エポックメーキングな出来事を絡めて、その時に何が起こったのか、どう報道したのか、報道現場はどうだったのか・・を真摯な言葉で語っている。
筑紫さんの人柄が出ている。テレビの裏の世界は興味深い。
投稿元:
レビューを見る
筑紫哲也氏が亡くなつたのが、四年前の本日(11月7日)でありました。
世間の褒貶が極端な人といふ印象でしたが、改めてその著書を開きますと、傾聴すべき提言が多いのです。
『ニュースキャスター』は、筑紫氏が長年メインキャスターを務めた番組「NEWS23」の舞台裏を中心に語られてゐます。
番組誕生のいきさつや、テーマ音楽への思ひ入れ、「多事争論」ができるまでの経緯、クリントン大統領(当時)の出演、オウム事件や神戸の震災...番組の変遷は、そのまま平成現代史の歩みと申せませう。
筑紫氏といへば、その発言がしばしば物議を醸したものです。しかし、それらは失言といふよりも、世間の意見を承知の上で、あへて述べるのが役割であると自身で思つてゐたのでせう。
本書にも(169頁)、「多事争論」で世論に逆らう少数意見を述べる予定の日は、スタッフに「今日は(抗議の電話が多く)来るぞ」と予告してスタジオ入りしてゐたと書かれてゐます。
くどいやうですが、公正中立な報道は有り得ません。必ず「偏向」してゐるものです。
他人の意見に惑はされないやうに心がけてゐるわたくしですが、判断に迷ふ時にいつも参考にしてゐたのは筑紫氏の言葉でした。頼るべき指針と申せませう。(あくまでもわたくし個人の場合です。)
では又お会ひしませう。
http://ameblo.jp/genjigawa/entry-11399133781.html