紙の本
しがまっこ溶けた詩人桜井哲夫との歳月キム・チョンミ著書評
2003/09/20 16:58
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かんぴれのすずき - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本はとてもいい本だと思います。心を洗われます。
そしてほんとうに人に対してのやさしさを教わります。
この本は表現がまっすぐで嫌味がありません。よけいな
ものは何も加えず、詩人桜井哲夫氏の魂から出てくる何
かを代弁しているだけです。彼女はプロの作家ではあり
ませんが、プロの仕事をしました。NHKラジオでの彼
女の生の声での朗読も聞きました。よかったです。
我々が差別用語として、ぐっとこらえて使わない言葉
それを使わないで別の言葉を使ったりしますが実はひど
く差別しているんですね。それも我々が障害者をよく理
解しないで、勝手に「かわいそうだ」などと思いこんで
いること自体から始まるたいへん失礼な「差別」だった
んです。
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同い年の作者のすなおなきもちがすばらしい。さらにすばらしいのは桜井さん。ひさびさによき本に出逢えた。
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哲ちゃんとちょんみさんの心の交流。
哲ちゃんの言葉ひとつひとつに胸が打たれる。言葉はいつも色鮮やかで。
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在日韓国人である金正美さんが桜井哲夫さんとの8年間の交流を描いたもの。19歳~27歳の金さんと70歳~78歳の“哲ちゃん”との心の交流が、とても素直な言葉で綴られています。
桜井哲夫さんは、らい病(ハンセン病)で17歳から60年間療養所に隔離され、病で手の指を奪われ、目も見えません。
でもその生き方の素晴らしいこと。たとえば。
「(略)こんなに不自由でかわいそうだってよく言われるんだけど、全然不自由だと思ったことないの。そりゃ実際は、介護してもらわなきゃ自分でご飯だって食べられないんだから、一人で生きていきなさいって言われても、それは無理な話なんだけど。でも気持ちの上では、まったく不自由ではないってこと。だってね、確かに眼と鼻はないけど、耳と口があるでしょう。耳と口さえあれば、あなたたちの話を聞くことができるし、こうして自分の気持ちを伝えられるでしょう。それで十分なの。何も不自由なことはないの」
「私たちはこのように隔離されました。それは確かにそうなの。それは法律で決められちゃったことだから、どうにもならないわけね。でも体は隔離されているけど、心まで隔離される必要はないわけ。それじゃ、ちょっとつらすぎるでしょう。じゃこの中でどうやって生きるか、ということになるんだけど、まずはここを国立療養所だと思わないの。私はここを国立大学だと思うことにしたの。勉強したければ、好きな本を注文して、朝から晩までずっと勉強するの。これだけ時間があるんだから、真剣に取り組めばかなりの知識をものにできると思うよ。三食ちゃんとご飯を食べさせてもらって、医者が健康の管理をしてくれて、看護婦さんもいるの。そう考えると、ここの生活も捨てたもんじゃないよ」
こんなふうに主体的に生きる。
見えない目で美しい花を見る。風を感じる。
そして、詩を作る。指がないため詩を作るときは頭の中で完結する。
命を削って言葉を紡ぎだす。
さらに、年金や詩集の売り上げを貯金してタイのハンセン病コロニーに寄付する。
まさに明川哲也さんが「なやむ前のどんぶり君」で説く、
「(生きるとは)この世との関係を味わい尽くすことである。そして可能なら、その中で表現をすることである」
という、まったくその通りの生き方だと思った。
しかも桜井さんはユーモアがあり、とてもチャーミングな方。
見事です。なんという人間らしい生き方かと嘆息します。日本人の、いや人類の誇りだと思う。
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4140807040 277p 2002・7・25 1刷
【概要】著者と元ハンセン病の哲さん、二人を取りまく色々な人との出会い。
◎読んでてうるっと来た。
自分の口からは上手く感想が言えない。読
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主食はフィクションでして、手記やルポといったノンフィクションは必要に駆られないと手を伸ばしません。
今回もおすすめされて読み始めたのですが、感涙よりも己の無知に愕然とする衝撃の方が大きくて。
人権や道徳の指定で、かき集めた資料の中にハンセン病を取り扱ったものもありましたが、自分でしっかり掘り下げることもなく、表層的なことしか把握していませんでした。
この本も「ハンセン病について」書かれているわけではなく、あくまで「ハンセン病の詩人の生き様」を描く過程でハンセン病と歴史に触れているにすぎません。
この1冊を読んだからといって核心に迫れたとは言えないものの、「知ってほしい」「知るべき」という周知の一助、入り口にしてほしい作者の想いに触れられたと感じます。
やはりこの本の核は、桜井哲夫という詩人の人間の大きさと才能と感受性。
読めない書けない。見える眼がないから。指はもう残っていないから。
作者をして「機能を失いすぎている」「自分の姿形と比べて、同じ人間だとは思えなかった」と言わしめたその人は、ただただ頭の中でのみ詩の創作を行います。
良い詩を生み出す工程として、育ち、経験、境遇、様々な要素があるのでしょうが、やはりこればっかり感受性と才能によるものが大きいと思います。
文筆活動はいろいろあれど、詩歌って才能がないと他人には響かない……。勉強をして数をこなしても、形は整えどなぜか響かない。刺さらない。
だから実際のところ、ご本人も言っているように「見える」こと「書けないこと」は大した障壁ではないのかもしれない。
ただ、これだけ柔軟であると同時に、多角的な視点を持ち鋭い感受性を持つひとが、「らい」という圧倒的なフィルターを通して世界を見たときに、どうして心が壊れないのだろうかと。
理不尽なこの世の不条理を、悪意を、絶望を体に心に刻みつけられてなお、その詩から生まれるのは怒りや呪いではなくて、凍りついた哀しみと嘆きと希望と愛。
この人間性とかわいらしいキャラクター。
「ハンセン病患者が」ではなくて、ハンセン病患者という側面を持った桜井哲夫という詩人の、長峰利造というひとの60年物のしがまっこが溶け、新たなスタートを切ることができた。
その喜びに共感しつつも、めでたしめでたしでは決して終われない、終わらせてはいけない強烈な楔が、この本を通った全てのひとの胸に間違いなく打ち込まれる1冊でした。