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紙の本
「アヤナミ、委員長が呼んでるよ」「ごっつぁんです」
2008/02/17 02:39
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Living Yellow - この投稿者のレビュー一覧を見る
という会話がなされたか、どうかは知らないが。本書第六章「力士同盟、新橋倶楽部にこもる」には、明治四十四年(1911年・大逆事件の刑が執行された、まさにその月)正月、初(春)場所直前、土俵外で横綱・大関そして角力(相撲)協会を相手に戦う同盟委員・綾浪関を筆頭とする、関取たちの姿が活写されている。
取組の相手は「報酬制度」!
まさに最初期のスポーツ選手による労働運動=ストライキともいえよう。 「相撲最強説」に従えば、史上最強の「運動」である。
そもそもは前年夏場所での欠損のツケが力士たちに回され、不安定な興行収益に対する親方たちによる、ピンハネが続いていた「報酬制度」に対する力士の積もった怒りが、彼らをそうさせたのである。そしてそのツケの遠因はその二年前、板垣退助伯爵をバックに企画され、日本銀行を設計したことでも高名な建築家辰野金吾の手になる、国技館建設による巨額の債務にあった。
さて、綾浪関が国技館の地下に隠された大弓をむんずと。そんなシーンがあるかどうかは続編を待つとして。この取組、行司(仲裁)に萬朝報(当時の東京の有力新聞)社主・黒岩周六<黒岩涙香としてジュール・ヴェルヌ『月世界旅行』をはじめとする翻訳小説の父でもある>まで巻き込んで。力士同盟が見事に押し出し。力士への配当をあらかじめ経費として見込んだ新たな配当金制度が設けられ、昭和三十二年(1952年・講和条約発効)に確立される力士月給制度の基となる。
さて、こんな素敵な争議の一因ともなった、国技館とは?その前は力士たちはどこで相撲をとっていたのか?さかのぼって明治以前・維新期の相撲とは?そもそも何で侍の「剣道」を差し置いて、相撲が国技と呼ばれるようになったのか?という根本的な疑問の数々に、丁寧な事実関係の精査を通じて答えてくれるのが本書である。
特に興味深いのは、明治初頭、文明開化の中、西洋の目を意識して出された「裸体禁止」を定着させようとする当局の目には、褌一本の「相撲」は廃絶すべき対象であったのが、さまざまな力士たち、関係者たちの「踏ん張り」で体を返すことに成功し、議会開設をあせった大隈重信の失墜(明治十四年の政変)を経て、明治十七年(鹿鳴館でダンスの稽古が始まった年)に天覧相撲を挙行することに成功、一転、日本の国威を発揚するスポーツとしてその地位を確立していく、本書第一章「相撲禁止論から天覧相撲へ」である。
さて、冒頭の争議のもう一つの原因は、同じく前年の満州韓国巡業での協会の不明朗会計にあったようだ。
今回のモンゴル場所の成功を謹んで願う次第である。
「そういうときはわらうんだよ」
「ごっつぁんです」
サービス、サービス!
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