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14歳のバースディ―プレゼントとして梢がおばあちゃんからもらったものは、一冊の葡萄色のノートと、2泊3日の韓国旅行だった。
なんとも楽しそうなアイデアで書きだされたこの物語だが、実はこの葡萄色のノートは、梢の先祖にあたる少女たちが戦争を挟んでの韓国での生活を書いた手記だった。
韓国と日本。同じアジア系民族で隣国だが、近いがゆえに歴史を遡れば争いも数多い。いまだに反日感情が強いのもそのせいだろう。
ノートの中の手記は、1911年、14歳の少女「松田すず」が兄の家の手伝いをするために、朝鮮のソウルへ行ったことから始まる。 【月見草の家】
次の書き手はすずの長女高見園子。1931年にすずから葡萄色のノートを譲り受け、修学旅行で内地(日本)へ行き、日本人でありながら、ソウルで暮らしている疎外感を感じるようになる。 【葡萄棚の家】
次は、すずの次女高見千草。園子からノートを受け継ぎ、父の死後のバタバタした家族の様子をノートに綴る。戦争が大きくなりそうで、ソウルから日本へ帰ることを日本の親戚から勧められる。 【森かげの官舎と山の家】
それから、すずの三女高見ユキ。梢の祖母である。敗戦と同時にソウルから日本へ引き揚げてからの苦労と不幸。自分自身も結核にかかり、ノートはほとんど病院のベッドの中から書いている。 【樫木立の病室で】
最後は、花田マミ、園子の長女。1953年 日本へ引き揚げてからの詳細と東京に来てからの苦労、そして、朝鮮で自分の親たちがしていた仕事についての思いが書かれていた。 【もう一度葡萄棚の家】
そこには梢の知らない先祖の歴史があり、日本と朝鮮という二つの国に挟まれて、中途半端な国民意識に苦悶する少女たちの姿があった。
日本人として日本で生まれ育った松田すずだが、ソウルで生まれてそこで育ったすずの子供たちは、すずほど日本になじめない。人は生まれるところを選べないから、仕方がないことなのだろう。
朝鮮に植林の仕事をしにわたり、りっぱにその職務を全うしたすずの夫だが、それも、侵略の手段としてしか見ない社会がある。父への誇りを胸に、「ヒトハタ組」や「在日韓国人」といった、ある意味、言葉の暴力にもたえ、目に見えない戦争の傷を心に負ったすずの娘たち。こんな形でも戦争の爪あとが残されたことに驚いた。
それにしてもこの物語、子供向けに書かれているわりには、ズシリと問いかけてくる重いものがある。銃を構える軍隊が出てくるわけでもないし、銃弾がとびかったり、逃げ惑う人々の姿も一切書かれていないのだが、14歳の少女の日常的な生活の中から戦争の残酷さが見えてくるのだ。
教科書に載っていない「日本が何をしてきたのか」「戦争とは何なのか」ということが、切実と胸に響いてくる作品だ。