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紙の本
田山花袋は原文をどう読んだのだろうか。
2004/06/12 11:10
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:仙道秀雄 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「蒲団」について
これが自然主義文学の代表作というものか。自分の読み続けたい文学ではないが、たぶん当時の日本人には内面を教義の言葉でなく、自分の言葉で見つめなおすことが西洋的脈絡をもった「自己」を発見するうえで必要だったのだろう。なぜならそれがあってはじめて江戸を引きずった通俗的な儒教観念や葉隠れ的なもの、仏教的迷信、神道的神秘主義などから逃れることができ、迷走しながら西洋化する日本にあって内面の自由を得ることができ、そういった日本の変貌から西洋的に距離をおくことができたのだろうから。
明治の日本人がどう生きようとし、その背景にはどんな世界が広がり、どんな言葉遣があったのか、などを知る上では貴重な作品である。その意味でこの作品にたいして当時の同時代人たちがどんな反応を示したかは興味のあるところである。
話は変るが、作品中には西洋の小説が頻出する。西洋の小説の筋書きになぞらえて主人公は自らの境遇を慨嘆したりしている。その場合田山花袋は外国作品をどう読んでいたか。たぶん文字を目で追っていたのではないか。原文で読んでいたと思えるが、声に出せたのだろうか。発音はできなかったのではないか。アクセントにも疎かったのではないか。発音や抑揚の追跡が苦手で再現ができなかったとすれば、音は聞こえてこない、西洋人作者の声は響いてこないはずだ。だとすれば、その読み方は日本古来の漢文式であったろう。
「一兵卒」について
この作品は蒲団よりも高く買いたい。脚気から衝心にいたりみじめに死んでいく日本兵士、どんな気持ちで、どんな周囲の環境の中で「くたばっていくか」、またどんな風に「日本」のために死のうと思い、どんな風に戦争のむごたらしさを知っていくようになるか、などが丁寧に書かれている。
ところで柄谷行人さんは「蒲団」についてこう書いている。
1907年(明治40年)に発表された『蒲団』という作品は社会的に大きな衝撃を与えた。当時、島村抱月は《肉の人、赤裸々の人間の大胆なる懺悔録》と評した。そして、その反響の大きさが、当時の作家たちを、島崎藤村の『破戒』のような方向ではなく、『蒲団』のような私小説の方向に向かわせたといわれている。花袋自身、「隠しておいたもの」を勇敢に告白したという。しかし、後の調査では、これがまったくフィクションであるということがわかっている。また、周囲の人たちにも了解済みであったことも。明らかなのは、これが世間に衝撃を与えるという目的をもって書かれたということである。花袋は『蒲団』を書いても恥ずかしくなどなかった。虚構なのだから。しかし、彼は文壇的競争心のためなら何でもやってしまう自分の心だけは「隠した」。そのほうが恥ずかしいからである。ところで、現在、「私小説」と称して、身勝手な「事実」を書く作家がいるが、金と名声以外に書く動機がないということを恥じてもいない。
やっぱり柄谷さんはアンパンマンの世界が好きなのだ。わたしも好きだが、柄谷さんほど動機善なりやとは問わない。動機はひとさまざまであってよいが、悪い動機は悪い結果をもたらす。その限りでは動機は善であるほうがトクだ。しかし柄谷さんはどうもそうは思っていないように感じられる。