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戦時中から日本の体制がいかに綻びがあるか、解き明かすところから始まる。55年体制以前から、以後60年安保までを多様な資料を援用し、実証しているのは、評論を超えて研究書といっていいだろう。
戦争中を体験した知識人の、戦後における様々な態度は、丁寧に言説を追っている。
体制側の「一億総懺悔」「文化国家の建設」といった事柄に触れないが、「左翼」的知識人に寄り添って記述されて、その面での総括といっていいだろう。
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大学の賢そうな同期のヤツが読んでいて、真似して読んでみたら名作だった。「戦争って何か悲しいし、怖いよね」ってレベル感でしか認識していない我々若い世代にとって、日本の抱える「戦争敗戦」という事実の重みと、今の自分の生活スタイルや価値観の変遷を見つめ直す上で本当に良い本だと思う。どういう経緯で自分はここに立っているのか。そんな事を考える時間を作ってみると日常を見る目も少し変わってくるのかもなあ。また時間のあるときに読み返してみようと思います。
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戦後について昭和30年を境として第一の戦後、第二の戦後に分け、丸山眞男、大塚久雄らの戦後民主主義の旗手が活躍した時代。そして日本共産党の分裂を経て、安保闘争、全共闘の時代と戦後の主な思想家たちをその伝記とともに紹介。私自身の人生を重ね合わせ、あのとき意味がわからずに行動していたことが実はこういう背景にあったのだということが極めてクリアに理解でき、難解な本でありながら爽快感さえ感じました。<民主>と<愛国>が戦後直ぐには結びついていた時代が、今は相対する言葉のイメージになってしまったことに日本の不幸をも感じます。何故、共産党が戦後直ぐに大きな影響力を持ち得たのかも戦争に反対した唯一の勢力であったということが、国民の心の中に「戦争に反対できなかった」(戦争責任というものではなく、黙っていた責任)という傷が残っていたことを語っていますし、意外ながら保守系ジャーナリズムとされる人々(江藤、福田恒存)と革新系とされる人々の共通の接点であった「戦争体験」を感じます。60年安保が何故あのような国民的な盛り上がりを得たのか、終戦後15年しか経っていなかったことが大きいのですね。70年安保はそれに比べて、学生たちも若者層もそのような経験がなかったことが大きいということを痛感しました。丸山、大塚らのほか、加藤周一、竹内好、大江健三郎、江藤淳、吉本隆明、鶴見俊輔、小田実らの紹介が充実しています。とにかく圧倒的な存在感のある本でした。印象に残った記事は丸山が天皇を日本の無責任主義の象徴であると受け止めており、日本人の主体性形成を妨げる存在と認識しながらも個人としての天皇には敬愛を抱いていたとのこと。そしてその無責任主義は左右の違いを超えて日本共産党の戦後史の中でも全く同様に繰り返さえれたとのこと。また特に教育関係者ほど戦争に対する賛美をせざるを得なかった背景。竹内が言っていたという「転向が外に向かう動き、回心は内へ向かう動き。回心は自己を保持することにより現れ、転向は自己を放棄することから起こる」という言葉も吉本の変貌を思うにつけ、含蓄のある言葉です。
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近年の名著ということで買った。長いので通読は難しいが、時々思い出したようにパラパラめくって読んでいる。
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保守政党の政治家が「左翼」と呼ばれる時代となった。戦後レジュームからの脱却が叫ばれる中、そこで問題にされる「戦後民主主義」とは一体何なのか?教育問題を俎上にあげれば、文部省の政策ではなく、今や組織率1割となった日教組こそが絶対的な元凶とされ、拉致問題では外務省や警察の責任ではなく、野党が北と通じて隠蔽したことが問われる。このような図式の中で現代社会の負の部分を全て背負わせる生贄として「戦後民主主義」という鵺のような価値体系が持ち出されているだけではないのか?戦後民主主義とは、一貫性のある主義主張の体系ではなく、時に「安保:九条」であり、「平和:経済」であり、「ヒロシマ:靖国」であった戦後日本のアンビバレンツそのものなのだ。
本書は、標題である「民主」と「愛国」のほかに「市民」や「民族」といった言葉が持つ意味の変遷を終戦直後から60年代にかけてたどり、それらの時代を代表する知識人たちの言説の中に世代的な葛藤を読み取ることで、「戦後レジュームの脱却」などという空疎な言葉に代表される書割じみた歴史観を解体する。
特筆すべきはかれら知識人たちの「戦争体験」がそのまま戦後の言論活動を導いているという説のリアリティである。ことに父親に説得され兵役を免れた吉本隆明の思想が、「お前は自分の好きな道を行くんだな」という戦死者の声に対する自己正当化の思想であるという呵責の無い批判は、吉本を神格化した団塊世代の胸にも痛みを持って響くはずだ。
「戦後民主主義」という概念に託して批判しようとしている対象は何なのか、考える一助になるに違いない。
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子供を育てる中で「イヤなことは無かったことにする」文化に突き当たり、それが何に由来するのか探っていたら「戦後」に辿り着いた。
自分の暗部を直視して消化することを続けなければ、同じ情景を何度でも繰り返すことになる。
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大阪は梅田の地下街。駅前第1ビル~第4ビルの地下の店並みが、僕は割と好きでした。
昭和の香りがぷんぷんと漂う、ちょっと古い感じの店並みなんですが、めっぽう元気で繁盛してて、安くて美味しいお店が目白押し。
そして、煙草が喫える喫茶店が普通にばんばんあったんです。
パイルドライバー、というジャズをがんがんにかけている喫茶店も、その内の一軒。
この本は、パイルドライバーで連日読んだなあ。幸せな時間だったなあ、と思い出します。
2014年の1月に読み終わっていた本
966ページ。
ずーっと、ほんとに何年も読みたいなあ、と思っていた本です。
その電話帳のような存在感に二の足を踏んだ、ということは無いんですが、
正直に言うと、持ち歩けない重さなので、「いつどーやって読むんや」という疑念からなかなか買えませんでした。
この文を書いているのは、2015年正月なんですが。
ちょうど、ほぼ1年前。
たしか2014年の1月に、仕事が切れ目になり、1週間ほど休めることになって。
でも色々都合で、旅行とかはできないってわかったので、
千載一遇のチャンス、だな、と。
「今度の休みは、この本を読もう」
で、一週間。まあ他のことも色々してたんですが。
毎日、2時間だったり4時間だったり、パイルドライバーに通って、コーヒーを飲んで喫煙しながら、読んでました。
何故だか自民党政治では積極的に教えようとしない、戦後直後からの、「民主と愛国」をキーワードとした日本人の精神史です。
戦後直後から、残された雑誌や記録や言論を丹念に研究して考察して、書かれています。
単純に、今ぼくたちが当たり前だと思っていることは、実は全然当たり前ではないことがいろいろと教えられます。
戦後直後、日本国憲法発布直後は、共産党が「こんな憲法は即刻改正すべきだ」と言っていました。
自民党(に将来なる勢力)は「改憲しろ」と非難を浴びつつも護憲に懸命でした。
何があったんでしょうか。
昨日まで戦争があって、明日からアメリカを受け入れる人たちは、どういう発言をしていたのか。
戦後直後の、飢餓、というのは、どういう実相だったのか。
東西冷戦の始まりが、どれだけ我々の「当たり前」を作ったのか。
つまりそれは、当たり前でもなんでもない、その時のタダの都合でしかないんですね。
敗戦国日本の戦後政治は、誰によってどうリードされたのか。
それをその頃の大人たちは、どう受け入れたか。批判したか。
そもそも、戦争があったこと。兵隊に行ったこと。兵隊に行かされたこと。
それはどういうことだったのか。
軍隊の生活。いじめ。暴力。それを戦後にどう語り合っているのか。
そんな膨大なお話から、怒涛にスリルとサスペンスに満ちながら、60年代、学生運動とはなんだったのか、と。
ベ平連とは。市民運動とは。
このあたりの下り、おもわず涙するくらい。小熊さんの思いが感じられます。
司馬遼太郎さんがかつて
「私は右翼でも左翼でもないし、どっちにもなれないしなりたくありませんし、好きでもありません。ただ、右翼には生理的に肉体的に嫌悪感を持っています。左翼に対してはどこかしらかで淡い期待感をもってしまうことは否定できません」
というようなことを発言されてたんですが、ちょっとそんな言葉を思い出しました。
歴史書というか、思想書というか、研究書と言うか。
電話帳みたいな本なんですが、これは上質のミステリー。サスペンス。そして人間ドラマ。
パイルドライバーの幸せな記憶とも混ざって、忘れられない一冊です。
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戦後知識人と1970年までの思想解説。丸山真男はジョンレノンで吉本隆明はミックジャガーだと思っていたけど、丸山真男があしたのジョーで、吉本隆明は星飛雄馬だったと初めて理解しました(笑
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戦後20年くらいの社会と思想状況が立体的に見えるようになりました。800ページ、正直疲れた(@_@)
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大著『1968』と同じく、分厚い本だ。
しかし、身に沁みる内容だね。
特に、戦艦武蔵に乗ってた渡辺清が実体験した、天皇の戦争責任について記述は、考えさせられる。
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江藤淳について詳しく、ページ数も割かれているとの情報を得て手に取る。
戦後思想史について知りたいとする欲望に応える本では。
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考えてみれば、この本が世に出てもう、20年近くたっているわけだけれど、この本が検証した内容なしで、憲法や沖縄を語ることはできないと思うが、レビューがもう2年も3年も書かれていないことに驚いた。
戦後文学、思想について、かなり網羅的に調べて書かれている労作。分厚いけれど、読みはじめると読み進めることは難しくない。近代史や、現代史に関心を持つ若い人に読んでほしい好著。
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民主と愛国が同居し、そして対置される。
それを中心に戦後思想を巡る本。重厚だけど読みやすく、読んでよかった。
言説という概念は大学のゼミで聞いたことあったけど、なんとなくで卒業したあと、これを読んで腑に落ちた。我々は今ある社会の言葉でしか語れない。そして、第三の戦後である今、民主と愛国、ナショナリズムといったなんとなくで語りがちな概念に、新たな言説を生み出せるのか。
この本が出されて15年近く。まだその概念に新たな言説は生み出されていない。それとも過去になった時点で、生み出されていたと気付くのだろうか。少なくとも、何となくで使いがちな言葉を鵜呑みにする姿勢では、社会の在り方は掴み取ることは出来ない。
ベ平連の部分は、社会を変えるには、で読んだ、市民運動のあり方の原型だった
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大変に重要かつ素朴なことが二つ描かれている。
ひとつは、戦後思想は総じて各人の戦争体験に基づいているといこと。
もうひとつはその戦争体験について、本人の属するジェネレーションや戦争との関わり方の相違により、極めて多種多様であること。他者の戦争体験を無視するがごとく自説を振りかざす姿は、それだけ各人にとっての個人的な戦争体験がヘビーであったことの裏返しである。
本書は民主と愛国を対置するが、民主と民族へと読み替えたほうが分かり良いのでは。
本書で述べられていることは、敗戦後の民族の前に、天皇も軍部もアメリカも歴史も、時には国家すら相対化された事実ではないだろうか。
長らく民主と愛国を対置させてきたのは革新勢力と右翼勢力であるが、唯一民主と愛国を調和しえた勢力は広い意味での保守思想だったように感じた。
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世代間で原体験がこれだけ異なり、思想や行動にこうも影響を与えてしまうとは、単純に驚きだった。一つ導き出される教訓は、共通の基盤があるとは、単純に思わないことであろう。
また、言説分析については、初めて良質な実践例を見たように思った。