紙の本
戦後の思想.…
2003/05/21 19:35
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:lielielie - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、第二次大戦の終結から「七〇年安保闘争」までの時期を対象に、「戦後民主主義」とも呼ばれる戦後思想の変遷を、主として批評家・学者といった知識人の言説を踏まえながら検証している。また、戦後日本人が「民主主義」、「平和」、「民族」、「国家」などの概念をめぐってどのように思想し行動してきたか、そのねじれと変動の過程が鮮やかに描かれている。
ある「言葉」がもつ響きは、その時代によってことなる。1950年代、当時は農村人口が多く、「市民」とは都市ブルジョア層の代名詞を指していた。「民衆」や「大衆」は、知識人や年中産層を含まない言葉であった。そして、「民衆」、「国民」という言葉は年中産層と農民の両方を含む集団を意味した。「市民」の定義一つにしても、かつて使われた意味と現在イメージするものとは大きく異なる。また、1950年代の左派知識人たちは、「単一不可分の日本民族」や、「単一の民族国家」という言葉をよく使用している。これと逆の意味を指す言葉が「世界帝国」や「植民地領有国家」、といった言葉であった。戦前の日本はこの「植民地領有国家」と呼ばれている。「民族」も左翼運動のなかで違和感なく「平和」や「自由」と共存し、保守が憲法擁護を掲げた時代があった。
そして西洋文化を受け入れることが都市中産層の特権と考えられていた当時は、知識人たちは「世界市民」を批判し、「民族」を賞賛する傾向があった。例として、マルクス主義中世史家の石母田正はコスモポリタンを強く批判し、日本の政治に関心を持たず大正教養主義を好んだ人物である。西洋文化に逃避する「小市民」の代名詞であった。また、1952年の彼の戦後の評論集、『歴史と民族の発見』の中で、自己の「小市民」的を脱却して、「民族」として自分自身を置きたいと言っている。
本書から伺えるように、丸山眞男、吉本隆明、江藤淳、竹内好、鶴見俊輔などが創った戦後思想の結論は、合成された後、佐伯や加藤の言葉を形成していた。しかし彼らは丸山や竹内を批判し、自らの主張は「戦後」において全くの新しい思想だと唱えたりしているのだ。それはなぜだろう。なぜならば、彼らは「戦後」で育ち、「戦前」を知らない知識人だからだ。「戦後」の言語体系の内部で、自己の言葉を形成したからなのだ。
こうした戦後思想が、多くの人々の受け入れられていったのも、それが既存の言葉も読み替えであったからだ。全く新しい言語体系を欧米などから「輸入」しても我々はそれを共有しにくい。今後もこれらの数々の言葉が、その時の時代背景によって意味を変えるであろうし、「名前のないもの」に仮称がついたりもするであろう。
時代の背景によりどのように言葉の変遷が起きていたのか、戦後の知識人達の思想の図がきれいに頭の中で整理できる一冊である。
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「言葉と物」現代版。現在自明のこととしているものが如何に歴史的なものかが実感できる大作。これを読まずして、誰も戦後を語ることなどできるわけがない。手にしたときに感じる重みはただ、物理的なものだけではない。
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厚さ5cm、966ページ。この量は伊達ではない。小熊英二という人にとって、戦後日本を描出するにはこれだけの量を必要としたということだ。丸山真男、鶴見俊輔などさまざまな知識人の作品とライフヒストリーを描くことで、戦後日本のナショナリズムを描き出そうという試み。それはかなりのところで成功していると思う。〈愛国〉は右翼だけのものではないし、〈民主〉は左翼だけのものでもない。第二次世界大戦というとてつもなく巨大な悪夢を経験したことで、さまざまな様相を見せる日本のナショナリズム。この本を読むと、「左翼/右翼」という対立が、「日本国憲法/天皇制/アメリカ」という三位一体から生み出された虚偽意識、馴化され鈍化した人びとのナショナリズムではないかと感じてしまう。一度は目を通してみるべし。
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丸山真男、竹内好、加藤周一、江藤淳…。「戦後」日本の代表的な知識人の言説のありようを辿ることができます。読後、壮大なストーリーを踏破したような充実感を覚えます。
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日本人のナショナリズムの形成について、よく分かる。また、どのような言説がどのように形成されているか、様々な視点を集めている。本自体は厳ついが、読みやすい。ただ、900ページという長さは、どうにかならないものか。
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相当面白いが、挫折しそう。章ごとに新たな発見がある。と言いながら、5章まで(とあとがき)しか読んでないんだけど。
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日本人のナショナリズムの形成についてよく分かる。また、どのような言説がどのように形成されているか、様々な視点を集めている。本自体は厳ついが、読みやすい。ただ、900ページという長さは、どうにかならないものか。
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恩師から一回目の卒業祝いにいただきました。
国家と国民の関係性
教育を考える上でも必携でしょう。
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どこから来て、どこへ行くのか?
戦後生まれの自分には、自分のルーツとか根っこを知る上で重要な本の一つであり、戦後日本の歴史を知る本としての金字塔。と同時に、一生をかけて読みこなしたい一冊。
この本を脳味噌にまるまる入れてしまいたい…
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第二次世界大戦をどのようなかたちであれ経験した人々は戦後ずっと悩み、苦しみ、考えてきたのだと思う。また多くの死を見てきた人々は、戦争を知識としてしか知らないわれわれ世代と比較にならないほどに「生きること」に真摯であると思う。
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ついに読み終えた。2010年の夏に購入し、ちょうど半年かけて少しずつ読み進め、先ほど読了。400時詰め原稿用紙2500枚の大作。定価は、6800円。それでも、読み終えた今の感想としては、十分6800円に値する。いやむしろ、この本に込められたものを考えると、安い、といってもいいほどの良書だった。
第二次世界大戦後から60年代末までの、「民主」と「愛国」をめぐる言説の移り変わりを、ありとあらゆる一次資料を駆使しながら、丹念に、執拗に、作者が追って行く。共産党、日教組、全学連、べ平連などの組織を、丸山真男、大塚久雄、竹内好、吉本隆明、江藤淳、鶴見俊介、小田実などの知識人を分析、批判しながら、十人十色の戦争体験から生み出された様々な思想、言説を追う。
人間の考えは、強烈な原体験に少なからず規定される。日中戦争、第二次世界大戦は、終戦後の人々の思想を、強烈な原体験として規定し続けた。しかし、戦争がどのような原体験として人々の心に移ったかは、人それぞれである。戦争は非日常だと知っており、平和な世の中を生きた経験がある20代以上の人間と、戦争こそが日常であり、皇国教育のみを受けて育った10代の人間。あるいは、20代以上であっても、従軍経験者と非経験者。従軍経験者であっても、悲惨な戦闘を経験したものとしていないもの。あるいは、都市で空襲を経験したものと農村で空襲を経験しなかったもの。日本人全てが、日中戦争、第二次世界大戦を経験しながらも、それは、全ての人に異なった経験を刻みつけた。そして、その経験の相違が、「民主」と「愛国」を巡る言説に違いを、時には対立を生んだ。
(途中、後日更新)
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とりあえず厚い。ボリューム満点の書。ですが、文章自体は平易でサクサク読める。戦後の日本を考える上で必読では?
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戦後日本の思想の流れをまとめた本。「民主」と「愛国」。2つがどうくっつき、どうはなれていったのか?どのようにナショナリズムを形成していったのか?丸山、江藤、吉本、小田などの戦後思想人の分析からつぶさにみていく。
これらの思想対立は各人の戦争の体験の有無(またはどのような状況下で戦争を体験したか)によってかわっていくことが明らかになった。
戦後思想の言葉はその時代には適したのかもしれない。しかし、現在はどうであろうか?意味が違うものになってくるはずだ。ここからテクストを読み替え、新たなナショナリズムの意味付けをしていく必要がある。
靖国、憲法9条、在日、新しい教科書...今日、いろいろな問題が渦巻くが、本書からそのヒントを得られるかもしれない。
この辺の部分は学校の社会科では飛ばされることが多いので、若い人は特に読んでほしいところ。
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現代からみてしまうと、左翼運動が盛り上がったことや、それを政府が真剣に恐れていたこと自体にリアリティを感じられません(少なくとも80年代生まれの私はそうです)。この本では、ソ連が先進的に見えていた時代、日本は将来的に共産化すると多くの人が考えていたことが紹介されています。後世から左翼運動を馬鹿にするのは容易いものです。でも、きっとわれわれもその限界の中にいるのでしょう。
ちなみに、戦後著名となる人たちが、それぞれが偶然に与えられた環境の下で考え抜いた結果至った、考え方や行動が紹介されています。自分がその立場だったらどう考えたかを想像して読むのも楽しいです。
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良いとか悪いとか、無かった方がいいだとか、一口に言えないのがナショナリズム。それはある時には独立や連帯の強力な波となり、ある時には排外と抑圧の温床となる。
「ナショナリズム」の果たした積極的な役割に正しい注意を払いながら、ナショナリズムとは異なる「公」を模索していきたい。
そのような筆者の姿勢は時に危ういほどアンビバレントに揺れる。
しかし、ナショナリズムを扱う上で、「動揺」は誠意のあらわれだと思う。