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紙の本
ひたひた、ひたひた、ひたひた、ひたひた。
2003/03/15 23:05
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
作家である「私」の現在と日本陸軍の兵士だった過去が入れ子になっている。今の平和な日本と第二次世界大戦時の南の島の戦場。ヴァージニア・ウルフあたりが得意とした手法で、小説巧者の作者らしいクラシックなスタイルが光る。
「ひたひた、ひたひた、ひたひた、ひたひた」。それは軍靴ではなく、軍靴はすでに使い物にならなくなり、裸足で行軍する兵士たちの足音だ。この執拗に繰り返されるオノマトペが心にこびりつく。
行軍中の兵士の所有している大砲は「国体の精華」と、たいそうな名前がつけられているが、張り子のインチキ大砲。潜水艦が沖合いに放出した何缶ものドラム缶。やっとの思いでピックアップして、食糧などの救援物資と期待したら、あにはからんや、竹槍だった。など、悲惨な戦いが笑えるほどに描かれている。
南の島の悲惨な戦場から兵士たちは、自在に時空を超え行軍を続ける。死んでいるのに、死んでいない。成仏できないのか、したくないのか。
現在はリゾート地で若い日本人でにぎわう南の島。彼らがビーチサンダルで歩く島が、かつては同じ年代の兵士たちが病と飢餓、そして何よりも死への恐怖に羽交い締めされていた。
「私」にからむ1945年8月15日生まれの緑川、こんな会話が印象的だ。
「(戦争に)《遅れてきた青年》が腐りかけの老人だとしたら、《戦争を知らない子供たち》は死人です。シビトです」おまえはすでに死んでる、なのだ。ぼくたちはシビトなのか。
どさくさまぎれに靖国神社参拝をした首相のそばにも、その小隊は、現われていたのかもしれない。テレビでそのときのニュース映像が流れたら、よーく目を凝らして見てほしい。木陰に銃を担いだ日本陸軍の兵隊たちが潜んでいるのが、見えるかもね。
永遠に行軍し続ける兵隊たち−敗戦から半世紀以上もたつというのに、いまだ戦争の投げかける影の大きさを改めて感じる。《戦争を知らない子供たち》がイージス艦を派遣させ、《遅れてきた青年》がそれに異を唱える…。本作には、いまの時代の気分や心象がよく出ている。作者の問題提起をどう解釈するかは、ぼくたちの判断にかかっている。
紙の本
とんでもない本を掴んでしまった
2003/05/07 15:00
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:しょいかごねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
奥泉光という作家を意識しだしたのは最近で、朝日新聞の朝刊に連載中の小説を読み始めてからである。調子がよく諧謔じみたユーモアのある文章で、非常に面白く読みやすい。本書もそうである。調子よくどんどん読める。しかし気がついたときには深みにはまってしまっている。本書は一言で言うと戦争小説であり、例えば大岡昇平の「野火」を髣髴させるような極限状態が描写される。途中からはほとんど顔を歪めながら、しかしなにか取り付かれたように一気に読み進んだ。この本は人に薦めるべきなんだろうか。あえて薦めるべきなんだろうと思う。読んで幸せになれるような類いの本では決してない。しかし何か感じなくてはいけないもの、忘れてはいけないことを、この本は暗示してくれているように思う。この平和ボケ日本で普通に暮らしている僕らに、完全に欠落しているもの、かつて日本中の人があまねく感じていた、そして今も世界のどこかで誰かが感じていること、生と死の狭間の極限状態にあって、人間の生とは何かを問いかけること。戦争小説という枠組みを超えた、何かもっと恐ろしい凄みのようなものを感じる。
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