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およそ通常の小説の概念を超えたいろいろな文章の集大成。辞書でもありメモであったり。
まだ読書中なので詳細は次回にしますが。なかなか凝ったつくりで面白いです。
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街の片隅で亡くなった老人の住居に残されていたのは、「家」に潜む無限大の闇について書かれた紙の束だった・・・それを本にまとめたのだから訳が分からない。じっくり読みたい作品。
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『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』をものすごく面白くしたらこんな感じかも。道具立ては似ているが、こちらの方が数段怖い。文章を読んでいるだけなのに、迷宮に入り込んだような錯覚が。読み終わって、自分の家の中におかしなところがないか点検したくなる。
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表紙買いしてしまった本。内容もさることながら、中身の文章構成が幻魔的。回転させながら読まなければならない本は初めてだった。また、ストーリーの構造は迷宮的。ネイヴィッドソン記録について書いたザンパノの文章を集めて脚注をつけるジョニーをダニエレブスキーが描く。1ページ目をめくったときから、すでに仕掛けは始まっているという戦慄の書。
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奇妙で、恐ろしくて、そして最後は胸をつかれるような。
アッシュツリーレーンの家は、自分の中に押し殺している家族との記憶を象徴しているのかもしれない。
ジョニーの母からの手紙が優しく、哀しく、つらい。涙が止まらなくなる。
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ホラーである。ブレア・ウィッチ・プロジェクトというホラー映画を彷彿とさせる本だ。と思って読み終わったら解説にもそのことが書いてあった。何となく心の内を読み取られたような、少しだけ鳥肌の立つ感じがする。この小説を読むとそんな風に気弱になってくる。
この本には何人もの架空の著者が登場する。もともとはネイヴィッドソンという写真家の記録映画が話の中心である。それを、ザンパノという盲目の老人が読み解くのがオリジナルの本文にあたる。そしてそのザンパノを知るジョニーが老人の残した走り書きなどを丹念にまとめていく、というのが話の外枠になり、それを出版する過程で匿名の編集者がさらに註釈を加えて「紙葉の家」という本はできあがっている。主にザンパノの手になるとされる註には、おびただしい数の引用がなされている。引用には実在の人物に混ざって、架空の人々も登場する。読み進めるうちに、読者は本文(?)を読んでいるのか、脚注を読んでいるのか、はたまた添付された膨大な付属資料を読んでいるのか、そして、それらがばらばらに存在していたものと考えるのか考えないのか、果たして、一見もっともらしい引用は本物なのか偽者なのか、自分の居る場所の存在感が怪しくなると同時に悩まなければならなくなる。
そう、この本はサイコホラーである。
著者のダニエレブスキーは1966年生まれ。ということは自分より3歳年下だ。著者の年齢というのはある程度近いと気になるもので、そこから、文章中に出て来る符牒のようなものを探し出す切っ掛けにもなったりする。というよりも、漠然と抱いている原風景のようなものが、ある程度一緒なのかどうかが気になる、と言った方が正しいかも知れない。ダニエレブスキーは、どうもある程度、同じようなものを観たり聞いたりしている世代のようだ。
本の中に登場する様々な人々の中には、アメリカのメディアに露出する現実のする人々も大勢いる。そういう人の名前もある程度まで、その番組と共にイメージされるかどうかは、少なからずこの本を面白がるためには鍵になる。つまり、固有名詞から連想されるイメージにある程度ついて行けると、この本の面白さはきっと増すに違いない。例えば、ティム・アレンがどうのこうの、というくだりがあったところで、彼の日曜大工コメディを見たことがなければ、その意味はギリシャの哲学者の引用から何か無味乾燥な真理を読み取ろうとしてしまうのと本質的に同じことになってしまう。翻訳の難しいところだ。
そう、この本はホラーなのだけれど、とてもエンターテイメント性が高い本でもある。そして、そのエンターテイメント性についてよく考えると、それはエーコの文芸作品やボルヘスの短編集にも繋がる何かであるような気がする。引用によるイメージのハイパーリンクだ。しかし、引用されている文献については、実在するものもしないものも混在している。時には実在する人物の存在しない文献やコメントがあったり、実在しない人物の描く実在の作品まであったりする。この本に引用されているものの出典を丹念に辿ってみるというのも、あるいはこの本の楽しみ方の一つかも知れない。しかし、この本を読み終わってみると、とてもそんな恐いこ��はできなくなるとは思うけれども。
この本を読んで、本当に恐いと思ったことがいくつかある。
一つは、本文に挿入されている註に対する自分の対応についてだ。
取り敢えず、斜め読みでも良さそうな註が出て来る。だらだらとした固有名詞の羅列などが、その例だ。しかし、ここに何も暗号はないと言えるのか? そう考え始めると、もういけない。この本は読み終われなくなる。例えば、ザンパノという主たる著者が書いた部分に最初のエディターとして註などを付けているジョニーの母からの手紙。それは、メインのホラーには関係がない。関係はないが、その資料の存在を指し示された時にそれを読んで先に進まないとジョニーの狂気について理解ができなる。えぇっ、いったいどこまで真剣に読むんだろう、そう思い始めたら、もうダニエレブスキーの罠にはまったということだ。その母親がジョニーに、次の手紙は暗号で書く、と予告する。その次の手紙と思われるものは、一見したところ、意味をなさない文字の羅列だ。さては暗号かと思い至るが、そのメッセージは謎のままだ。
このテキストの言外にあるものによる読者への精神活動の強制感、とても恐い。気が抜けなくなる感じなのだ。
もう一つ恐いと思ったのは、少し個人的なことになる。
それは、自分の持っているイメージが、それを表現する文字が、印象が、何度となく本の中で具現化しているのを発見する、ということだ。自分なりに何かを感じ、表現して来ているつもりでも、その原風景のようなものはどこかにあり、それがダニエレブスキーによって「暴露」されているような感じに取り憑かれるのだ。それは、ダニエレブスキーが博覧強記であるから認識されることでもあるのだけれど、本当にオリジナルなものというのは、やっぱり中々ないものなんだな、としみじみ感じさせられた。これはホラーとは違う意味でとても恐い。
まぁ、とにかく、この本は恐い。
もう一度、読むことはないだろうと今は思う。
今のところは。
でも、この先ももう一度読まないとは言い切れない何かがある。
実際、それは既に始まっている。
例えば、表紙の見返しに書かれた16進数の羅列。
これにはいったいどんなメッセージがあるのか。
気になっている。
そのヒントを探したい気持ちが、もう疼いている。
ジョニーが、そして主人公のネイヴィッドソンが、囚われていったように・・・。
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その家、その世界に入り込んだら、取り憑かれてしまう。。。
本というものの可能性をとことん追求した作りにも感激!
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いやいや凄い本だった。横にしたり斜めにしたり、ぐるぐる回して、あげく鏡まで持ち出して読んだ本は初めて。
本文をまたいで延々と続く脚注も含めて、本をあっちへ向けこっちへ向けして読んでいると、当たり前のことが当たり前ではないような、現実が揺らぐような心もとなさがじわじわ忍び寄ってくる。そしてそれは、フォトジャーナリストであるネイヴィッドソン一家が移り住んだ、虚無を内包するかのような“家”に対する恐ろしさを、より強く感じさせるものとなる。
怖い・・・
『ネイヴィッドソン記録』と称されたフィルムに残された、この“家”の探索の模様は、その場面の緊迫の度合いに従って大きく空白をとって(1頁に1、2行の文章のみといった具合)描き出される。それは怪談の語り手のとる間のような効果を私たちにもたらす。空白の間を想像が暴走する、という風に。
それもまた、すごく怖い・・・
この『ネイヴィッドソン記録』を、膨大な引用や脚注をつけて批評・解釈しようとしたのが、ザンパノと名乗る盲目の老人であり、彼のとり散らかった原稿や資料のメモを手に入れたジョニー・トルーアントという青年が、自らの脚注を加えて出版したのが、『紙葉の家』である、という設定なのだが、そのジョニーがだんだん壊れていく様も、これまた怖い。自らの過去の残虐な記憶に侵食されていく、という風な。
その記憶の中心にいるのが彼の母親なのだが、彼女がジョニーに宛てて書いた54通の手紙も怖ろしい。狂気の進み具合いがそのまま手紙に反映されているので。
暗号化された1通の手紙がある。
「あいつらは わたしをやっつける ほうほうをみつけたわ。 ごじゅうろくさいの ほねのふくろを れいぷするのよ。 (中略) わたしをすくって じょにぃ。おとうさまのなにおいて。ここからにげださないと わたしはしんでしまうわ」
そこに書かれたことが妄想によるものなのか、一片の真実でも含んだものなのか判断する術はないのだが、切々とした調子に痛ましさを感じる。
とにかく、様々な仕掛けに満ちた本であり、多くの謎に満ちた本でもある。
・ネイヴィッドソンの“家”に響く咆哮とジョニーの記憶にある咆哮との関連
・随所に現われる鉤爪のイメージとジョニーの母の紫色の長い爪
・カレンによるネイヴィッドソン救出時、カレンの髪の毛に結ばれていたピンクのリボンと母の手紙におけるピンクのリボンへの言及
・母親に関する決定的な出来事が5月4日に起きたこと、カレンがネイヴィッドソンの声を聞きつけたのも5月4日であること、母親の手紙の数の54
・ジョニーの詩(ペリカン詩)に関する言及が、ザンパノのメモにあったこと
ザンパノの書いたものに、ジョニーが自らの記憶をちりばめて脚色をほどこしたものが、本書とみるべきなのかどうなのか・・・
House of Leaves by Mark Z. Danielewski
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・・・・・・・・・・・・・こわかった。
わかってて読んだんだけど、
怖くて眠れなかった。
特にトムが落ちたあたりで眠くなったときはもう・・・・(泣)
この暑いのに子ども抱いて寝てみたりw
まだまだあると思っていたら、
3分の1くらいは付録とか参考資料とかで、
途中で参照していて、思っていたより早く終わりました。
正直ネイヴィッドソン記録は実在しても怖いから見たくないw
話が迷宮のところは読むほうも迷路状態。
あっちこっち参照して行ったり来たり本を横向けたり上下を逆にしたり。
参照を探さなきゃいけないのにはまいった。
でもちょっと楽しかった。
ラストなんですが。
レイアウトとか入れ子にしては混沌とした構造とかこんだけやらかしといて
なんでラストだけ普通にお約束を踏襲しちゃうのさ〜。
私、危機を乗り越えて愛を確かめあう2人ってアレがもう生理的にだめで。
そこだけは猛烈にがっかりしてます。
もしかして誤字やまちがい同様わざと?
ミスター怪物の正体が結局わからずじまいで
ありがちに退治とかされなかったのはよかった。
トルーアントのお母さんの真実は、やられた!と思いました。
こっちは何か救われた感じがします。
(09.08.12)
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図書館(09.08.06)
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買って読んでないのにこの評価をつけるのはダメな気がするけど、開いて一発目に書いてあったこと、「これはあんたむきじゃない」、即購入した。みんなのレビューをちょっとみて読みたくなったけどもう少し寝かします。老後まで取っておきたい。
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同じページで全く違う話が3つ同時で進行していったり、文字が斜めや逆さまや鏡写しに書いてあったり、1ページに数文字しか書いてなかったり、膨大な量の注釈がすべて架空の本だったり。まさに奇書と呼ぶにふさわしい。
内容は、
家族でが引っ越してきた家が何かおかしい。最初は小さな違和感だったが、次々と奇妙なことが増えていく。長さを測ってみれば家の外周よりも内部のほうが長い。いつの間にか謎の隙間ができているし、コンパスは一定方向を指さないし、大きな空間はどこにもないはずなのに叫び声にエコーがかかる。
夜が明けたら廊下や階段が増えている。その階段を下りると…
といった感じ。
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次第に拡大していく内側は何の暗喩なんでしょう。果てしなく広がる暗闇に怪物が生まれたのか、それとも怪物の存在が際限なく増殖する暗闇を生んだのか。内側の物語と外側の物語が平行して語られ、やがてメビウスの輪のように繋がり、いつまでも循環し続け、終わりは訪れない。
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奇書というから、読みにくいことだけがウリかと思っていたが意外に内容があって驚いた。
訳のせいか頭に入りにくいと感じたけれど、 やたら長い注釈がページのど真中を貫き、鏡文字になったり、空白や塗潰し、音符を読み、本を左右上下斜めに回しながら読むようになればもう何も気にならない。
鏡を持ちながら読む楽しさで☆☆☆
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感想・・・これは難しいなぁ。まず、読んでいるとわかるが、『家』の文字だけが青くその異常さを際立たせている。中には、文字が斜めになっているページもあれば、文字が重なっているもの、1ページにビッシリ書かれているのもあればスカスカのページもある・・・とにかく異色な本でした。ストーリーはホラーで『家』が舞台。レイアウトが面白いので、読んでいて楽しめると思います。
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怖いよ~。
パラノイア的。ペダンティック。メタホラー・・・一言じゃあとても言い表せない。まさに「奇書」・・・なんだけど、やっぱり中心にあるのはホラーだよ。読んでいて、揺さぶられる感情は「怖さ」なんだよね。得体のしれないものに触れてしまった時の。抜け出せない迷宮に入りこんでしまったような読書体験そのものが、怖いです。現実と虚構の境目をどこに置いたらいいのか、眩惑させられてしまう。ブルブル。怖いよー。
読んでいて思い出したのが、
引き合いによく出されるけど、低予算B級ホラー映画「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」、コンラッドの「闇の奥」、ミヒャエル・エンデ「鏡の中の鏡-迷宮」・・・かな。