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かなり過酷な生活を強いられているのに、全然へこたれず、むしろたくましくなっていく著者がとても頼もしかった。
文章も気風が良くて、読んでいて清清しかった。
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清朝最後の王族・粛親王の末娘で4番目の側室の娘
同腹の姉が、川島芳子です
中国で生まれて、日本の学校に通い
戦争が始まって日本に帰って来て
義理の姉が日本人で、兄が日本に亡命し
兄の子供たちを育てるために苦労するのですが
顕琦さん、とてもしっかりものでがんばりやで
そしてなんといっても明るくユーモアがあるのです
王族の娘で、日本びいきと
あることないことでっちあげられ
長い獄中生活や、強制労働、周りの人たちの意地悪に
本当に辛かったのだろうと想像するのですが
文章は、淡々とサバサバとしています
そして、行動力が人並みはずれているように思います
ちょっとだけ「自慢話?」と思う部分も正直ありますが
この人の生きてきた道を
自分で書き残したことはとても価値のあることだと思いました
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時代の雰囲気は伝わってくるが、史料のようなものとして期待するものではなく、元王女の書いた随想として読むべきだろう。平易な文体で楽に読める。日本で教育を受けただけあって原文も日本語ということである。
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ドラマみたいな人生
温室で育った人間が外の社会でもまれてたくましくなる感じ
思想改造が徹底
それって本当?と思うエピソード多い
自伝だから?
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先月、死去した愛新覚羅顕琦(あいしんかぐら・けんき)の自伝。
愛新覚羅といえば、満州国のラストエンペラー、溥儀が有名ですが、
この人も同じ愛新覚羅です。
系図を見ても複雑でよく分かりません(^_^;)。
1912(明治45)年に中国では清朝が辛亥革命で滅びましたが、
清朝最後の王族と言われた粛親王の末娘が、
この愛新覚羅顕琦さんだそうです。
粛親王は清朝八大親王で、革命後、
35番目までの子女を連れて旅順に亡命したとのこと。
愛新覚羅顕琦氏は日本に留学し、日本語も堪能。
それだけに、中国共産党政権下で右派として逮捕され、
6年間、獄中生活をし、一度の裁判もないままで懲役15年を言い渡される。
本人はどうしてそうなるのか意味が分からなかったが、
懲役の方が労働に対する報酬が高いから、
不満があるなら10日以内に申し立てろといわれたときに、
「異議なし」と答えたという。
6年と15年であわせて21年。
さらに、天津での7年間に及ぶ強制労働。
かつての王族が、一文無し同様に。
そして、人がスコップで運ぶ肥やしをはかどるからと手で運搬。
でも、本人に不満の様子はなかったようで・・・・
毛沢東が死に、プロレタリア文化大革命が終わると、名誉回復。
(裁判を調べ直して間違いを正すのを「反平」というらしい)
この本を書いた時点でも、まだ北京市文史研究館の館員として現役で働いていたようです。
なんだか、不思議な人です。
でも、すごいパワー。
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可也の毒舌家だが、劣悪な環境にも過酷な労働にもめげずに黙々と仕事を熟す姿勢はただただ敬服させられる。
溥傑に嫁入りした「流転の王妃」浩は読んで字の如く流転な一生で、常に弾丸の中を娘の手を牽きながら生き延びてきたという死と隣り合わせ的な感じだが、本書の著者は、子供を育て貧乏を脱却するために低賃金労働を続け、刑務所に入れられ、労働改造所に送られ、と比較的同じ場所で忍耐を要する人生が長く続いた印象。良い意味で神経が相当太いのではないかと思う。
浩は流転の最中に数々の歴史的大事件を経験し、目撃し、且つそれは誰でも見られるようなことではなかったために (溥儀の退位式など)、その著書『流転の王妃』は歴史参考史料にもなった。では本書はどうかというと、別の意味で資料になり得ると思う。それは、当時の中国の刑務所、監獄、労働改造所といわれたものなどがどのような所であったかという点に於いて。どんな労働をさせられ、どんな思想教育を受け、どんな人間と接したのか。非常に興味深く読んだ。
筆者の獄中にいた期間、ちょうど娑婆では文革旋風が吹き荒れ、筆者はその批闘の波にもろに揉まれず済んだらしい。ずっと面倒をみていた甥や姪は最後の最後に姪が病気で伏せっていると一言紹介されただけで、監獄にいた期間に子供達がどうなったのかは特に語られていないが、親王の子である父が香港に高跳びし、日本人である母は帰国して生き別れ、叔母である著者は逮捕されて22年会えず、その22年間どうしていたのだろうと凄く気になる。
もう一つ興味深いのは、看守や裁判長の家族のセーターを囚人に編ませたりさせられていたこと。囚人が編んだものを自分の家族に着せるという神経が理解できない。
巻末の上坂冬子の解説がなぜか上から目線で解せなかった。