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貨幣システムの世界史 〈非対称性〉をよむ みんなのレビュー

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みんなのレビュー6件

みんなの評価4.4

評価内訳

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6 件中 1 件~ 6 件を表示

紙の本

歴史学の手法で貨幣論に取り組んだ意欲作

2010/03/01 21:21

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yjisan - この投稿者のレビュー一覧を見る

 貨幣理論というと、抽象的なモデルを設定して演繹的に議論する傾向が強い。近年は複雑系の概念も取り入れ、ますます難解になってきている。本書は冒頭で近代経済学の主要学説である貨幣数量説を真っ向から否定し、徹頭徹尾、具体的な貨幣使用の事例で押しまくる。しかも空間的には中国、日本、インド、アフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカと、まさしく全世界を対象とし、時代的には古代から20世紀までをもカバーする。その浩瀚な学識には圧倒されるしかない。

 古今東西の貨幣流通の実相に切り込んでいくために著者が設定した視角は「貨幣の非対称性」と「貨幣の非還流性」である。どちらも難しい言い回しだが、中味はそれほど分かりにくくはない。
 要するに前者は、諸貨幣の間の相場には複数の評価がありうる、という意味である。貨幣間の交換比率は地域・団体(「支払協同体」)ごとに異なるので、異なる価値基準を持つ2者間で取引を行う場合には混乱が生じる。この問題を回避するために、高額面通貨(「地域間決済通貨」)と零細額面通貨(「現地通貨」)という形で通貨流通は二重化されるのである。だから、複数の通貨を合算して通貨総量を計測するという貨幣数量説は前近代社会の経済を分析する上では使えない、と著者は主張するわけだ。
 後者は、銀行振込など数字上で取引が可能な現代社会と異なり、実際に通貨を手渡しすること(「手交貨幣」)で取引するしかない伝統社会においては、通貨、特に低額通貨は容易には還流しない、ということである。なぜなら農民は収穫期を除けば高額通貨に接する機会を殆ど持たず、たまに入手した高額通貨も低額通貨と交換してしまうからである。農民が日常的に用いる低額通貨は、日用品を売買する下層市場で流通し、奢侈品を売買する上層市場に持ち込まれることは少ない。すなわち、上層市場から下層市場へ散布された低額通貨はそのまま滞留してしまい、なかなか戻ってこないのである。このため「ストック」が大量に蓄積されているにもかかわらず、通貨の追加供給が止まると、「フロー」がすぐに枯渇してしまい、経済危機が発生する、と著者は説く。この辺りの論理展開はまことに説得的だ。


 ただ、貨幣が流通する根拠は、国家権力でも素材価値でもなく、自律的な「支払協同体」である、という氏が本書の中で繰り返す主張は、刺激的ではあるが、議論としてはやや掘り下げ不足に思える。本書を熟読しても、「支払協同体」の内実が今ひとつ見えてこないからだ。「支払共同体」ではなく「支払協同体」としたのは、強制力を持った閉鎖的な団体ではないことを強調するためなのだろうが、ネーミングからして分かりづらい点は否めない。「手交貨幣」を独自に創造し、これを「現地通貨」として受領する地理的・集団的範囲とのことだが、その「範囲」がどのような条件に規定されているのかが問われなければならないのではなかろうか。「空間的に無限ではない」という説明だけでは曖昧すぎる。

 この「支払協同体」という概念に固執したがために、「黒田説は国家を軽視している」などといった非生産的な批判を呼び寄せてしまったという問題も大きい。低額貨幣の非還流性など、空理空論を弄んでいると見落としがちな重要な事実を幾つも指摘しているのに、そちらが論点とならず、「自発的合意」=「国家を相対化」という部分ばかりがクローズアップされるのは不幸なことである。


 あと氏の専門が中国であり、氏の経済論が「貨幣経済が深く浸透していた中国で資本主義が発展しなかったのは何故か」という問題関心から出発しているので、知らず知らずのうちに、現地通貨を発展させた伝統中国の特質を強調するという「中国特殊論」的なものになってしまっている。
 日本と西欧の親近性、そして中国と日欧の相違を説くという構図そのものは、ある意味で非常に古典的なものである。氏の類型論は確かに分かりやすいが、ここまで中国の異質性を喧伝するのは妥当か、という疑問もないではない。

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紙の本

歴史家による理論への挑戦

2003/02/21 18:29

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:梶谷懐 - この投稿者のレビュー一覧を見る

  この本は非常にコンパクトだけど、内に壮大な試みを秘めている野心作だ。「貨幣論」っていうと、「流動性」がどうのとか「交換価値」がどうしたとか、わかったようなわからないような形而上学的な思考が展開されたものをイメージするかもしれない。だけど、本書の著者は、手堅い実証研究で知られる歴史家らしく、20世紀まで使われたマリア・テレジア銀貨から古代中国の紙幣(「銭票」)まで、あくまでも現実の世界で使われた貨幣に関する該博な知識を駆使し、そういった「貨幣の使われ方(貨幣システム)」が、いかに「市場経済」のあり方と分かちがたく結びついているか、ということを、大胆な類型化で明らかにしようとしているのだ。

 本書で黒田さんが強調するキーワードは「貨幣の非対称性」だ。なにやら難しそうだけど、平たく言うと、「通貨の種類が違ったら、購買できるものも違う」ということ。なかでも重要なのは、現地での農作物の取引に用いられ、したがって季節によってその需要に大きな変動が生じる「現地通貨」と、地域間・国家間の決済に使われた「決済通貨」の違いだ。古来、この二つの通貨の間には、そもそも「兌換性」なんてないのが当たり前だった。つまり、銀貨や金貨などの「決済通貨」がいくら価値あるものだといっても、それは地域間のより大きな取引に使われる時であって、農村にそれを持っていって穀物やら野菜やらを買い付けようとしても、お百姓さんからなにそれ、といわれるのがオチだった、ということだ。
 でもこれでは、地域内での取引と、地域間の取引をどうやって結びつければいいのか、という問題が生じてくる。この問題への対応としては、大きく分けて異なる二つの道があった。一つは、商人間の債務の多角的な決済によって、できるだけ「現地通貨」の使用を節約しようとする道。イングランドなどヨーロッパの国家の歩んだ道がこれにあたる。もう一つは、伝統的な中国社会のように、地域の有力な商人が、そういった債務の決済関係に裏づけされない、ただの「紙切れ(「銭票」)」を地域限定の「紙幣」として流通させ、「現地通貨」の需要の変動に柔軟に対応しようとする道だった。
 前者は、国家を代表とする、当事者間の債務の履行を第三者的な権力によって強制する機関に支えられ、やがては一国一通貨的な国民国家のシステムへと統合されていく契機を持ったが、後者の場合、むしろ各地域ごとの現地通貨や価格差の体系が統合されないままかなり後まで存続する傾向があった。かくして、地域ごとの貨幣システムの違いは、その地域の「市場経済」のあり方までも規定していた、という壮大な仮説が提起されるのだ。

 多様なエピソードを駆使して、鮮やかに議論が展開されるので、一瞬「ホンマかいな」と思ってしまうところがあるのも事実だ。しかし、よく考えてみると、マルクス、ケインズ、ポランニーなどの巨匠による「貨幣論」は、いずれも基本的には共同体間の決済機能を持つものとして、イングランド・モデルに基づいて「貨幣」というものを考えており、黒田さんが語るような「中国的」な貨幣システムについてはほとんど語っていなかった。そうした「歴史の多様性」の観点からこれまでの経済学による「貨幣論」への挑戦を行ったものと見るなら、本書が単なる歴史の叙述を超えた魅力を持っていることがわかるだろう。
 

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紙の本

経済史研究のあるべき姿を示す

2003/02/18 12:46

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みゆの父 - この投稿者のレビュー一覧を見る

岩波書店から刊行が始まった「世界歴史選書」は、山川出版社「歴史のフロンティア」シリーズが全共闘世代の研究の集大成だとしたら、それに続く世代の歴史研究の新しい息吹をようやくまとまったかたちで提示してくれそうで、ちょっと期待しているのだ。もちろん、ラインナップ全部じゃないけど。

その第1回配本であるこの本は、世界の(金融史というよりも)貨幣史をたどりながら、貨幣数量説を再検討し、貨幣の存立基盤を思索する。貨幣論に走るとなぜ皆ポストモダンチックになるのか、ちょっと不満だけど、経済史研究の側から経済理論に物申そうという姿勢は、経済史の研究として、おしゃれ。

ついでに、個人的には、経済理論を歴史に適用する「新しい経済史研究」に対する違和感の源が何か、ようやくわかってきた。「経済理論から歴史へ」というベクトルは応用経済学のものなのだ。「歴史から経済理論へ」という逆のベクトルに沿って歴史的な事実を経済理論に適用し、経済理論の修正を試みるのが経済史研究の存在意義ではないのだろうか。

まぁいいか。なによりもかによりも、第1章で紹介されてる、オーストリアで18世紀に作られた「マリア・テレジア銀貨」が20世紀始めの紅海沿岸で流通してたという事実には、驚愕の一言(その理由の説明はいまいちだけど)。 ほ、ほんまかいな。

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2004/11/22 01:26

投稿元:ブクログ

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2009/05/20 22:49

投稿元:ブクログ

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2010/06/11 20:52

投稿元:ブクログ

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