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母性を女性の本質による役割と考えずに両親の「親性」としていくというフェミニズムの目的は、最終的にはそうあるべきだとしても、家父長制的な今のコンテクストの中でそれを推し進めることが、依存する(ケアを必要とする)人を抱え、実際にケアをしているために生計を他人(夫とか)に依存する(二次的依存)女性には大変不利に働いていないか?と考えている。というのも、特に困難を抱えるシングルマザーなどは、実際にはしっかり母親であるのに「逸脱」しているとされる。それは母をしていないからではなく「独身」だからなのだが、核家族を基本に考えていると、そういう人たちは困難から抜け出ることができない。だから依存されるユニットとして婚姻夫婦(核家族)を考えないで母子関係だけにすれば?という提言は、なんでそこで「母」か、ということでまぁ、つっこまれてはしまうわけだ(でも、父親は産んでないから離脱できてしまう、という実際上の問題もあるわけで)。ただ、そこでなぜ依存するものの世話をする人が「異性愛の性愛で結びついた(と看做される)男女のセット」でなきゃならないの?という問いは、ツボをついていると思わざるを得ない。同性婚の権利獲得運動なども、なぜ性愛で結びついた人が社会的な特権(ケアをするものと看做されて、単身者やそれ以外の結びつきより有利になる)を得るのか、と言われたときの答えを準備しなくちゃならないわけだな、と思う。2009年度S大EHゼミ参考書。