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エッセイとは何か みんなのレビュー
- ピエール・グロード (著), ジャン=フランソワ・ルエット (著), 下沢 和義 (訳)
- 税込価格:3,630円(33pt)
- 出版社:法政大学出版局
- 発行年月:2003.3
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紙の本
エッセイとは、試みること——わかりきった定義を真剣に問い直した概説書
2003/08/11 09:36
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投稿者:碧岡烏兎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
エッセイは、単に文学の形式ではない、というのが、著者の結論である。それはエッセイを書く人の気質以上に、エッセイを書く者の気構えに関わる。
エッセイはそれ自体一個のジャンルというより精神の特定の性質かもしれないと直感してもらえただろうと思う。……そしてこれは、少なからぬ要求なのである……。(「結論」)
エッセイは書き手の気質であり、同時に要求される態度である。言葉を換えれば、エッセイは書こうとしなければ書けないものであるにもかかわらず、書こうとしても書くことができない、書き終わって、書いてしまっているものである。つまり、自分ではエッセイのつもりでも他人からみれば、何も試みていないように見えるかもしれないし、自分では言い古された、わかりきったことを自分の言葉で言い直しているだけでも、他人の眼には超人的な試練に見えるかもしれない。この点で、エッセイは非常に逆説的である。
本書は、従来学問的なジャンル分けが困難とみなされていたエッセイを、きわめて学問的な方法で分類、分析していく。ところが、途中でエッセイ的と思われるような脱線があり、読者を悦ばせる。例えば、フランスのエッセイの現状について書かれた次の部分。
最後に、ここ二十年を特徴づけているのは、もしかすると別の現象かもしれない。「民主主義の中心部に自らの考察を書き込もうとする意志」を表明する知識人たち(歴史家、哲学者、学者)が、大学の仕事の傍らで、大衆化の目的のために、エッセイを使っているのである。彼らは自分たちの狭い専門領域から外に出ているが、しかし同時に——ガリマール社の「エッセイ」シリーズの監修者エリック・ビーニュによると「倒錯的効果」として——、「エッセイが生きる生はメディアがそれに許可しているものだ」。
(中略)
書くことよりも理解されることに気を遣っているような、ああした新しいエッセイストたちが無数にいる時代にあっては、このジャンルの活力を物語るような、形式に関わる実験が敢行されているテクストはそれだけますます際立つことになる。(「第三章 歴史(2)近代的な形式」)
エッセイの専門化ないし学問化と、大衆化ないし商業化が同時進行するという奇妙な出来事は、遠い国でも同じらしい。こうした状況は、もちろんエッセイの本質からは遠ざかるものであり、学問のためにも、エッセイのためにもなりはしない。
こうしたことから著者は、本書で展開された文学的研究の次には、社会学的研究がエッセイについてされる必要があると示唆している。どのような社会階層が書き手となっているか、どのような広告文によって宣伝されているか、どのような読み手が、どのような期待感をもって読んでいるか。そして読み手は、読後に何を手に入れたと思っているか。こうした問題は、日本語の出版状況でも研究する価値があるに違いない。
本書は、フランス文学史を代表するエッセイが網羅され、著者が概念構築の材料とした作品は、本論から独立しているのでまとまった引用を読むことができる。文学史的位置づけだけでなく、批評的価値、さらには著者の論じるエッセイの本質との関わりが明示されていて、含蓄ある読書案内にもなっている。
烏兎の庭
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