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著者自身が体験し、巡り歩いた様々なヒンドゥー聖地が紹介されている本書。大半が旅行記のようなものなので、巡礼の旅を追体験できる面白さがある一方、一つ一つの章はほぼ完全に別物となっているので、この本全体を通じて複雑怪奇なヒンドゥー教の教理体系や神々の系図を理解しよう、などと考えるのは土台無理な話。その辺は割り切りましょう。
前の仕事の関係で、インドのお隣のネパールと日本とを8年以上行ったり来たりしてましたが、知れば知るほど分からなくなるのがヒンドゥー教の世界観や神々の関係性でした。
ただ、この本で「輪廻の連鎖を断ち切り、獲得するのが解脱。執着を離れた努力主義、精進主義がヒンドゥー教徒の理想的な行動原理であり、沐浴や聖地巡礼、心身の鍛錬により罪障を浄め、日々の正しい行為の蓄積により努力が達成される」という世界観が紹介されていて、そこは非常に腑に落ちました。ヒンドゥー教徒でなくてもヒンドゥー文化が深く根を下ろしているネパール人達がその奥底に秘めている力強さや信仰に対する敬虔さは、そういうところが原因なんだなぁ、と。
また、ヒンドゥー文化圏でどうしてあんなにも祭りが多いのか(四六時中365日、電気がなくても水がなくても政治が停滞しても祭りは欠かさずやってた印象があります)という点についても、この本は解答を提示してくれます。あ、そういうことだからお祭りは絶対にやるのね、と。
ほかにも、ヒンドゥー教の大神の一柱であるヴィシュヌ神がなぜあんなにたくさんのアヴァターラ(化身)を持っているのか、なぜヴィシュヌと双璧を成す存在のシヴァ神の信徒が麻薬や毒物を服用するのか、といったところも詳しく書かれていて、長年、なかなか分からなかったこのあたりの事実が掴めてスッキリしました。
そのほかにも、ネパールでもよく聞くあの単語には実はヒンドゥー教においてこういう意味があったんだ、という小さな発見が終始、随所に散りばめられていて、それなりのページ量だった割には最後まで楽しめました。
ただ、その意味ではこの本は「既にある程度、ヒンドゥー教やヒンドゥー文化を知っている人」でないと「何が面白いのかが分からない」本になってしまっているかもしれません。
例えば、ネパール固有の暦であるビクラム歴も、月の呼称はヒンドゥー教に依拠している、とか、そういう小さな「へぇ」が楽しめるのは、やはり現地のことを知っているからです。無知の状態で読んでしまうと、気づかずに見落としてしまう面白さが確かに存在します。
この本が面白いと思えたなら、いつでもいいからインドかネパールに行ってみる、もしくはインド・ネパール料理屋に行ってレストランの従業員(たいていネパール人)と話してみるといいかもしれません。
「この本に載っている、このことってどういう意味?」と聞くだけで、きっと彼らは嬉々として、自らの中に血肉となって流れているヒンドゥーの世界観を教えてくれることでしょう。それは必ず、分かりにくくて面白いヒンドゥーの世界を紐解く一つの助けになるはずです。