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滞ってたのを図書館への返却日に一気に読み終えた。「意識の流れ」ってこういうことかとぼんやり思うなど。一気の読み飛ばしたことで結果としてなんか感じられた気がする
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『ダロウェイ夫人は、お花は自分で買いに行こう、と言った。』(冒頭)
「人間のたゆたうような意識の流れを、こころに雨のようにそそぎここむ独特の文体」(カバーの文)で書かれた美しいダロウェイ夫人(50歳を過ぎた)がパーティを開いた日の一日の出来事。
なのだけれども、彼女の意識から意識がはみ出して、登場人物があたかも一人の人間の流れる意識のように現れ、様々な過去、今、行動していることどもを追っていく。私は映画が先だったので、構図を理解できたがちょっと筋がこんぐらかるかもしれない。
青春の日々、ヒロイン、クラリッサは魂の交流のような恋の相手のピーター・ウォルシュを振って、無難なリチャード・ダロウェイを選んだ。同じように心の友サリー・シートンを同性愛のように好きだったけど、ピーターを選ばなかったことで、仲たがいになってしまっていた。
気持ちの良い風の流れる六月のロンドンのダロウェイ邸で催されるパーティ、みんなが一同に会することになる。
ほら、筋は少しも複雑ではない。人生は様々なるやりかたで現れ、その人のおよばない力が加わってなだれ落ちる。こう書くとむなしいようだが、厭世的でもない。何事もないというわけでないが、あまりにも通俗的なほどの普通の日。
さて、あらすじは難しくないのだけれど、ヴァージニア・ウルフの新手法が読みどころ。
自分の頭の中だけで恣意した意識が、流れ出て他人の意識と触れ合って繋がっていくなどということは、神様でなければわからないのに、この小説ではウルフの虚構なのだ。
何とも不審な感覚なのだが、自分も経験しているのだろうか、わかるので不思議だ。知る由もないのだがテレパシーのような電流が飛び交っていて、キャッチしてその意識の流れを他者が続けていってるということもあるのだろうか。
解説にもあるようにそんな「意識の流れ」という新手法は気にしないで、美しい文章の流れで書かれているクラリッサの青春の日々を一緒に思い出し、自分の心は若い時とちっとも変わらないのだと思えば、喜びが湧いてくる読書だ。
クラリッサの娘、エリザベス(17歳)の青春が時代背景を加味してよく描かれていると思う。母クラリッサの青春の思い出を際立たせている。
だが、作家ヴァージニア・ウルフが序で述べている、考えていたもう一つの草稿の筋、結末と、作家自身の結末がこの作品に陰影を与える。(何かはあえて伏せるが)
私はこの本を読むのに時間が掛かってしまった。慣れない「新手法」が読みにくかったとも言える。興味があって図書館で同じ作者の「波」を借りパラパラと見たが、こんどはさざなみのようなモノローグの連続、読みづらいこと「ダロウェイ夫人」の比ではない。ほんとに噛み応えがあること!でも惹かれるのだなー。
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意識の流れを組み込んだ文体というのは当時としては新鮮で画期的なものだったのかもしれないが、正直かなり読みづらかった。加えて何でもない登場人物が多く彼らの描写もそれぞれあり、かなりストーリーが入ってこなく内容が全然掴めなかった。
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ヴァージニア・ウルフの名前は知っていましたが、著書を読んだのは今回初めてです。
著名な作家の代表作であり、最も読みやすいとされている作品だということで期待して読みましたが、私には少し散漫に感じました。
大筋としては、51歳のダロウェイ夫人のロンドンでのとある1日を綴ったものです。主要な三人の登場人物の行動や感情が散発的に描かれ、私には読みにくかったのですが、文学作品的には「意識の流れ」と言われる新手法を効果的に使った最高傑作らしいです。
15歳で精神を病み、30歳で結婚、43歳で本書を発表、59歳で入水自殺を遂げたウルフの繊細な意識の揺れを、多分に感じる一冊でした。
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難しかった!『別冊100分de名著 パンデミックを超えて』の小川公代さんの解説を読んで、どうにか読み終えることができた。
一日のなかで、ひとは、こんなにも意識がうつろっていくのだろうか?私は今、そんな生活を送っているだろうか?毎日あっという間に過ぎ、体は慌ただしくしているが、意識の方はどうだろうか?他の人は、こんなにいろんなことを思いながら生きているのだろうか?
また、小川さんの解説にあった「横臥者」の視点。確かに、私の大きなターニングポイントになったのも、病人のときだったことに思い当たる。その後の人生で、(ダロウェイ夫人ほどではないが)ずっと心の奥底で病を意識していることに気づかされた。