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人間の失われた姿と回復。その回復を待ち望む父(神)の姿がある。私たちはなかなか過ちを認めない。認める事から開ける明日があるのです。
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父なる神の私達への慈しみと愛
イエス・キリストの生涯と重ね合わせながら、
私達を無償の愛で包まれる事への喜びに招きます。
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読み始めた最初、「理に勝りすぎた人だ」という思いが強かった。
あまりに頭が良すぎて、めくらめっぽうの信仰が持てないでいる姿を感じたからだ。
傲慢にも私は、自分が馬鹿で感情的で、求道的でなくてよかったと思った。
が読み進んで行くうち、彼の求める信仰が、私程度のものではなくて
もっと深く徹底した無私であると気づいた。
神に委ねるという言葉に完全性を持たせるほどの深い信仰。
それが出来ない自己を奥底まで凝視して、分析してみせる、その苦悩の深さ。
またそれを理路整然と説明できる筆者の明晰さ。
これまで読んだ信仰書のうち、ベスト3に入ることは間違いがない。
ヘンリ・ナウエンはすごい。
名著である。
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レンブラントの遺作のひとつと言われる「放蕩息子の帰郷」。
著者であるヘンリ・ナウエン司祭が、この絵に強く惹かれ、自分と重ね合わせ、深い信仰から湧き上がる黙想を書き留める。
もともとは、彼と同じ立場の教職者に向けて書かれたものだと推測されるが、
私のように信仰を持たないものにも、非常に読みやすく、また、放蕩息子のたとえ話(初めて新約聖書を読んだ時から心に引っかかっていた部分であった)についての疑問を解いてくれるものであった。
また、余談だが、読み進めていくうちに、今まで歌っていたゴスペルの歌詞が浮かんできて、歌詞に対しての理解も深まったような気がする。
この本に出会えてよかったと思える一冊。
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「心悩む人の理解と支援の本」展こめんと
援助者自身が取り扱われ続けることについて、多くの気づきと促しを与えてくれる。放蕩息子の例え話を描いたレンブラントの絵に,著者がたどった霊的な歩みが重ね合わされる。いつ読んでも、そのときにふさわしい自分自身に対する取り扱いを見つけることができる。(中澤信幸師)
『牧会相談の実際』あめんどう、2014、第四章心悩む人の理解と支援のためのブックガイドP178-179から抜粋引用。
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ルカ福音書15章11~32節のたとえ話と、それに基づいたレンブラントの絵画からインスピレーションを受けて誕生した書物。
父に反逆し、さ迷い出た弟息子。父の家で忠実に仕えているように見えて、内心は弟息子の自由さを羨む兄息子。そして二人の息子を比べることなく迎え入れる慈愛に満ちた父。
ナウエンは、自分の中に弟息子と兄息子の両方があることを覚えつつ、迎え入れられた者として今度は自分が父になる責任があると説いている。
読む人それぞれが、またそれぞれの信仰状況の中で、これら3人と重ね合わせながら読むことができると思う。
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自分はキリスト教徒ではない。
ちょっと理由があって、この本を読むことになったのだが。
どう評価していいのか・・ともかくこういう本もあるのだなと。
父=神の考えを前提としても、兄息子が不満を感じるのは・・神ならそもそも、兄息子が不満を感じないように。傍いるだけで兄息子は満足できたのでは?
弟が帰ってきたら、真っ先に祝福したのでは?
今、兄息子のように感じている人にとって、このようにメッセージを送ると捉えれば、納得できるのだが・・多分納得するとかしないとか、自分のレベルで考える次元の話ではないのだろうなぁ。