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南方熊楠の英語勉強方法が掲載
読書・復唱・筆写癖
シェイクスピア全集読破
辞書をこまめに引く習慣
大学ノート53冊の筆写ノート
方丈記の英訳
日本語と英語で論文を発表
ネイチャーに寄稿
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筆者の英語教育についての意見、全面的に同意である。
知人の家族にも、赤ちゃんの頃に英語教育を平行して行ったばかりに
いつまでたっても言葉が話せなくなったというケースがあったから
まったくもって他人事ではない。
私のような一般人ですら、小学校からの英語教育の導入に不安を覚えたのに
専門家の立場であれば尚のこと日本の先行きが恐ろしくてならないだろう。
未だに反対の声よりも、今までの英語教育法を批判しコミュニケーション能力重視の教育が幅をきかせており
世の中に出回る本や教材もそうしたものばかり。
まったくもって英語コンプレックスの裏返しの、安易な風潮である。
自分の知人で帰国子女がいて、中学生で英語検定1級に合格し新聞にまで載ったが
「帰国子女なんだから当たり前でしょ」
という批評もあった。
本人としては英語を話すのは出来ても書くのは難しく、漢字となると尚更で、苦労の末の合格だったのだが。
こうした批判を身近に聞いていたので
留学すれば英語を話せるようになる、わからなくても兎に角話す、という神話、つまりは英語コンプレックスの問題は非常に重大だと思っている。
こうしたことを、英語を生業にしている人が言ってくれるのは胸がすく思い。
基礎が大事であって、音楽やスポーツなら
まず基礎練習を積むのが当たり前なのに
何故英語では基礎である文法や単語の練習を疎かにするのか。
この表現は目から鱗だった。
私は幼少期から英語教材に触れてきたが
親から英語で話しかけられるようなことはなかったし
英語教材以上に日本文学を多読してきた。
英語に力を入れている中学に入り、英会話の授業もあったが
リーダーとグラマーの授業もあった。
その程度が一番、丁度良いのではないかと、個人的には思っている。
日本人なのだからまず日本語を学ぶべきだし、公用語に英語を使うなど正気の沙汰とは思えない。
日本人としての誇りを捨てる行為であると思う。
他の方のレビューをネットで見ていると、
タイトルにある「学習法」というほど方法が紹介されていない、という批判がいくつか見受けられた。
飽く迄も学習法を紹介しているのであって、英語学習の参考書のような内容が載っている=学習法である
というわけではないので、注意されたし。
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今の英語教育に警鐘を鳴らしてくれている本。「英語も日本語も出来ない人間を育てることになる」と何度も書かれているのが印象的。
まず、日本語と英語は「言語」というカテゴリーにおいてのみ、共通であり、発音や文の構造など、にてもにつかないということを、今一度再認識する必要がある。そして、「英語が出来る」ということは、具体的にはどういうことなのか、まったく分からないまま英語の指導要領は改変されてしまったことに、筆者は嘆いている。
はっきり言えることは、生徒も別に「コミュニケーション」と称したお喋りは、英語には期待していないと言うことだ。そして、その彼らの思いと、今の政府の方針は平行線だ。
英語を英語で教えて、本当に生徒の身になるのか、この本はしっかりと疑問を呈してくれている。
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ザル読み。英会話中心の英語学習ではなく、素読・多読・暗記・文法解析を推奨。また、まず日本語をしっかり学ぶべきとも説いている。明治期の英語習得者の学習法にアプローチしているのが面白い。新渡戸稲造の英文ノートがとてもきれいですごかった。
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・英語は民族・文化的な違いによって誤解が生じないよう、できるだけ言葉の論理性によって意味を伝達する言語となった。
・日本人に一番合った学習法は、やはり日本人が開発したものでしかない。
・まず日本語を大事にする→素読暗唱文法多読➡︎型を仕込む