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若者はなぜ怒らなくなったのか 団塊と団塊ジュニアの溝 みんなのレビュー
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紙の本
出版社からのオススメ
2003/07/30 03:15
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:「社会的弱者」の若者へ - この投稿者のレビュー一覧を見る
なぜ理不尽な目に遭った時に怒らない?
たとえば、会社員の医療費の自己負担が一割から三割になった時。
たとえば、発泡酒の税率が上がった時。
たとえば、若年層は払った額よりも少ない額の年金で我慢せよ、と言われた時。
若者をめぐる社会経済状況はきわめて厳しい。雇用環境の悪化、社会保障の負担増、戦争……。学生運動に身を投じた「怒れる若者」は絶滅したのか? 著者は団塊と団塊ジュニアに挟まれた「くびれ世代」の
紙の本
わかってねーなー
2003/08/04 23:30
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
若者は怒らなくなったのではない。考えるようになったのだ。
以前の団塊の世代のように頭の中を真っ白にしてひたすら
大学の校舎を壊す、警察官を殺す、空港を壊す、爆弾を仕掛け
無実の多くの人たちを殺す、仲間同士を殺しあう...
こういう非生産的な「学生運動」の成れの果てを目の当たりにし
「こんなことやっていてはいけない」としっかり教訓を汲み取り
社会の仕組みについて深く深く立ち止まって考えるようになった
のだ。
例えば「団塊の世代」は消費税値上げに反対だという。消費税導入に
なぜ若者は怒らないのかとアジル。しかし先進国の中で消費税が最も
低いのは日本であること。欧州諸国の大半は18%から25%だ。
それなら日本だって15%位に消費税を引き上げたってちっとも
おかしくないはずだと今の若者は考えている。
例えば「団塊の世代」は成田空港反対派に同情し、成田の農民の
立ち退き反対にシンパシーを寄せ、千葉の公務員の自宅に爆弾を
しかけたり放火したりする過激派に対し見て見ぬふりををしている。
かわいそうなのは成田の農民なんだという。しかし学生の時から
何度も海外旅行をし成田空港を利用している学生は、どうして
成田空港がこんなに不便なのか、何時行っても混んでいるのか
不思議に思っている。そしてそれが成田空港建設反対運動のせいで
空港整備が遅れていることがかなり大きく影響しているという
ことを知っている。
例えば「団塊の世代」は米軍基地に反対を唱える。沖縄から
アメリカは出て行けとアジル。アメリカ軍のイラク攻撃を平和
を壊すものとして糾弾する。しかしその団塊の世代の多くが
なぜか北朝鮮の核武装宣言には何も文句を言おうとしないのを
いぶかしく思っている。台湾に向けて450基もの大陸間弾道弾を
配備し武力で威嚇する中国に対し、何も文句を言おうとしない
団塊の世代や朝日新聞に対し「なんか変だなあ」と思い始めて
いる。
団塊の世代の問題設定を無批判に受け入れた荷宮は、はっきり
いって今の若者が見えていない。サヨク運動ばかりやっていると
こうなる。荷宮よ、今一度自分の問題設定の異常さについて
もう一度振り返ってみてはどうか。そうすれば今まで見えて
いなかったものが見えてくるかもしれないぜ。
紙の本
何とも救いようのない本
2003/08/17 21:04
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くう - この投稿者のレビュー一覧を見る
何とも救いようのない本を読んでしまった、というのが第一印象。
タイトルを額面通り受け取ると、「団塊ジュニアはなぜ理不尽なことに対しても怒らなくなってしまったのか、その原因を明らかにする世代論」ということになるのだが、実態はさにあらず。自称『社会的弱者』である著者が、『最近の若者』や『オヤジ世代』への不満を羅列しているに過ぎない。
『世代論』が世代論たりうるためには、即ち、『人々の行動原則や精神構造を、世代という時間軸的側面から分析する』ためには、どうしてもある程度のデータ的裏づけが必要になるだろう。しかし、本書にそのようなデータは一切ない。本書で裏づけとなるのは著者の思想・信条と僅かな経験だけであって、しかもそれはデータよりも優先されるのである。
例えば、「フリーター人口が増加しているのは、中高年世代がなかなか離職しないことも一因である」という主張に対し、著者は玄田有史氏や宮本みち子氏の著書を引いて、そういう主張がデータに裏付けられたものであることを一応認めている。
ところが、それを認めつつ、結局は、「しかし自分達の世代(の女性)の方が就職は困難だった筈だ。故に最近の若者は甘えている」という結論にしてしまうのである。
しかし他方では、上述の宮本みち子氏の著書の中に、
「1975年から95年までの20年間、中年期の賃金は引き上げられたのに反して若年賃金は据え置かれた」という記述を見つけるや、
「これは要するに、ぶっちゃけていえば、『団塊世代のせいでくびれの世代(=著者の世代のこと)は賃金を上げてもらえませんでした、残念でしたね』ということである。マジかよっ!」と憤ってみせるのだ。
要するに、同じ文献であっても、彼女の主張にそぐわないデータは切り捨て、主張と合致するものだけがサポートデータとして扱われるのだ。一事が万事こんな調子で、著者の思い込みと我田引水の繰り返し。
また、著者は極端なリベラル派らしいのだが、本書の中で頻繁に『保守派』=『団塊世代』という論点のすり替えが行われている。リベラルだろうとコンサバだろうとそれは本人の自由だが、本書のテーマとは明らかに違う筈である。しかも、『保守派』=『団塊世代』という図式は明らかに事実と異なる。
要するに著者は、自分自身を第1次・第2次ベビーブーマーに挟まれた少数派に位置づけ、自分と意見の異なる人々を『団塊世代』又は『団塊ジュニア』のどちらかのグループに強引に押し込むことで溜飲を下げているのだ。従って、本書で云われている『団塊世代』、『団塊ジュニア』には、本来の第1次・第2次ベビーブーマーではない人達も含まれている。しかし、そんなことは彼女にとってはどうでもいいことなのである。著者は、『団塊世代』、『団塊ジュニア』という言葉を使うことで、自分達が『その間に位置する少数派(=社会的弱者)』であることを強調できればよいのであって、要は『弱者の論理』を正当化したいに過ぎない。
但し、『若者が怒らなくなった』というのは一面の真理ではあるだろう。しかし、『団塊ジュニア』である僕に云わせれば、それは著者が云うような『決まっちゃったものはしょうがない』という消極的な理由からではない。『消費税率引き上げ反対』も『医療費負担率アップ反対』も結構だが、それが嫌なら実現可能な対案を提示するのが筋の筈だ。対案もなく、ただ駄々をこねる著者は、かつて「ダメなものはダメ」と嘯いた土井たか子氏と重なるものがある。
「自分が絶対的に正しい」と信じて疑わない著者の無邪気さは、周囲にとって迷惑なだけである。そういう無邪気さと視野狭窄は、土井たか子氏や辻元清美氏、田嶋陽子氏に通ずるものがある。どうしてリベラル女ってこんなのばっかりなんでしょう?
この本がまかり間違ってベストセラーになってしまわないことを願うばかりである。
紙の本
もし,この本が楽しく読めたら,ちょっと思い出して欲しいこと
2003/07/14 04:13
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ヨネ - この投稿者のレビュー一覧を見る
書名は「なぜ〜?」という問いかけ文 interrogative になっていますが,ホントは,「怒れ!」という命令文 imperative の方がふさわしい内容です.たとえば本書215頁に《これまでの章で書いてきたことを,スローガン風に整理してみよう》とあって,箇条書きをしてます.で,それらがそろって「〜しろ」・「〜するな」・「〜しよう」です.つまるところ,この本は,全体としてなにをやっているかというと,「〜しろ」というはたらきかけであって,なにかの解明ではありません.
さて,「なぜ〜?」を書いたものなら,興味がある人の誰もが読めます.「どうしてこうなんだろう」を調べ・考えたものなのだから,それを読むのに大事なのは「わかる」です.誰であれ,その本を読むひとは,分かればいい.書いた人も,「わかった」ことを書きます.でも,「〜しろ」ではそうはいきません.なにかをしなさい・するな,は「誰がするのか」がはっきりしないといけない.そこが「なぜ〜?」と大きくちがう点です.たとえば,教室で「この問題にこたえなさい」って教師がいったら,まず「え,ぼくのこと?」て思いますよね.全編をとおして「〜しろ」といっているこの本でも,やっぱり同じように,「え,誰が?」がはっきりしなくちゃいけない.
そこで,荷宮さんはしきりに「世代」論をすることになります.3つの世代が分けられてます.第一,「〜しろ」の「え,誰が?」は,「団塊ジュニア」.このひとたちに向けて,命令文が書かれています.第二,その団塊ジュニアの親にあたる「団塊の世代」,第三,その両者の間にはさまれた「くびれの世代」.著者の荷宮さんは,ここに入ります.
「〜しろ」と言われているのは,団塊ジュニアです.そして,「〜しろ」と言う荷宮さんは,自分をくびれの世代にいれて,もしくはその世代を代表して,書いてます.その結果,こちら vs. あちらの対立ができます.荷宮さんが団塊ジュニアについて,「彼らはこういう世代だ」・「彼らはこんな特徴がある」と書いているとき,「彼ら」の三人称が使われる.これは,くびれの世代にとっての「彼ら」です.つまり,荷宮さんが顔を向けているのは,くびれの世代です.ところで,ぼくはさっき,命令文が差し向けられているのは,団塊ジュニアだって言いました.「あちら」に向けて荷宮さんが命令文を言うのを,「こちら」でくびれの世代が眺める.そういう構図が,この本にはあります.野球の観戦にいったときのように,この本は読者を世代=陣営別の座席にナヴィゲートします.
「あのぅ,ところで,団塊の世代は?」──ここに核心があります.団塊の世代は,命令文を差し向けられる「あちら」でもなく,差し向ける「こちら」でもなく,ハナシの埒外に置かれます.そして,いまの世の中のよくないことは,埒外の彼らおじさんのせいだって言われています(そのいわれナシとはしませんが).こうして悪役をつくり,話のそとにうっちゃっておいて,あちらの年下にアジり,こちらの同輩にその身振りを観覧させる.これこそ,この本がつくりあげる劇場です.いまの情況に目を凝らして解明するのではなく,むしろ劇場をかりそめに作り上げて,そこにひとびとをグループわけして座らせること.それを荷宮さんが意図したかどうかは,どうでもいいことです.世代論をはじめるとき,劇場のようなこの構図をさけることは難しくなるのでしょう.
荷宮さんのいうひとつひとつのことには同感するときもあるし,最後の12カ条はそのとおりだって思う.でも,それはそれとして,世代論のまずさにも注意して欲しい,とぼくは思います.だから,★みっつ.
garden B
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