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ラピスラズリ みんなのレビュー

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みんなのレビュー38件

みんなの評価4.5

評価内訳

  • 星 5 (15件)
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33 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

一度読んでよく分からなかったから、安易に★五つというわけにはいかない。でも、後ろ髪引かれるっていうか、文章うまいし、話も奥が深そうだし、うーん降参です

2005/03/26 21:11

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

さてさて、難しい本である。正直な話、読み終わったにもかかわらず、殆ど記憶に残っていない。原因は私自身の速読にあるのかもしれないけれど、少なくとも生まれてこの方、哲学書でもない作品でこういう事態に出会ったことがないので戸惑う。

この本、なんと23年ぶりの書き下ろし作品集だという。途中で『山尾悠子作品集成』というものがあったとしても、この出版ペース、周囲よりも本人が不安にならないのだろうか、と思う。でも、不思議なのだ。私は、山尾の作品を読んだことがないにも係わらず彼女の名前を知っていて、この本を見た時、是非読みたい、そういう誘惑に勝てなかった。

そういう作家を私は寡聞にして知らない。勿論、山尾が23年前のベストセラー作家であり、その時点で沢山の作品を世に問うていれば全く別の話にはなる。要は名前のもつ磁力とでも言ったらいいのだろうか。しかし、この幻想譚はお気楽な私のような読者を軽くいなす。

収められているのは、深夜の画廊で見かけた3枚の銅版画、森が描かれた〈人形狂いの奥方への使い〉、冬の寝室が見える〈冬寝室〉、幾何学庭園が刻印された〈使用人の反乱〉、わたしと店主の会話が「銅版」。雪の降った翌朝、使いに出かけた少年が老人から聞かされる落ち葉枯れ葉の物語「閑日」。収録作品中もっとも長い話で、人形を怖がる召使のゴートソングが主人の部屋で見たものや、少年トマニが噂する〈塔の棟〉の幽霊譚などオムニバス風な「竈の秋」。

古い運河のある地方の廃市、通夜のために集まった人々の興奮が包む女系家族の家「トビアス」。僅か10頁のなかに、1226年、生涯最後の年をアッシジの郊外で過ごす聖フランチェスコ、彼のもとを訪ねてきた客は「青金石」以上の五篇。個人的には、前半がちょっとコミカルな展開をして、分りやすいかなと思ううちに混迷の渦に巻き込まれてしまった「竈の秋」が好きだ。

一度読んで理解できない時、山尾の言葉に従ってもう一度読み直すといいかもしれない。彼女は、対談でこう発言する「ストレートな書き方ではどうしても中に入っていけなくて、延々難渋した挙句に今の構成になったんですが、困ったことにわかりづらい構成ですね。不必要にわかりづらくなってしまったのは欠点なんですが、1から3までがひとかたまりで、4は間奏もしくは変奏、5が主題、といったところかな。」。

装丁は、柳川貴代。装画はワッツ。ちなみに、この本の出版時点で山尾は『The Physiognomy』(ジェフリー・フォード作・世界幻想文学大賞受賞)の翻訳というか超訳に取り掛かっていて、それについては私自身、『白い果実』(国書刊行会2004)としてとりあげている。その中で

「訳者後記の金原瑞人の文に、訳者として山尾悠子・金原瑞人・谷垣暁美の三人の名前があがる理由が書かれている。(中略)そこで、金原が眼をつけたのが寡作な小説家で、文章に独特の味がある知人である山尾悠子に、自分たちが訳した原文を、自在に自分のものに移し変えてもらおうということである。」と書いた。

ここだけを読めば、そうか金原と山尾は知り合いなのか、で終る。しかし、調べ物をしていて「幼馴染の同級生でもある金原君」という文に出会い、そうか、知り合い以上ではないかと思い、さらにこの金原瑞人氏が、2004年読書界の話題を独占した二人の若手芥川賞作家、綿矢リサと金原ひとみの、後者の父上であることを知るに及び、驚愕を通り越して愕然とする。

確かに、自分の本に関係ないので、娘の受賞に触れるわけにはいかないのだろうけれど、それが分っていたら、私の書評も少しは変わっていたかもしれない。こういう雑談を挟まざるをえないほどに、この『ラピスラズリ』は一筋縄ではいかない、含みの多い作品だ。

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紙の本

「微笑むガラスの棺の中の花嫁」——彼女を目の前にした花婿の嘆きともどかしさ、そして人知れぬ恍惚にたとえながら…。

2004/01/18 16:49

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る

 半ば神話化された作家の20余年ぶりの書き下ろし新作ということで、山尾作品にきちんと対峙するのが初めての私は、あるいは古くからのファンの方たちよりもむしろ、もっと期待高く本書を手にしたと言えるかもしれない。だから、いつになく少ししょっぱいことを書き始める覚悟でいる。

『山尾悠子作品集成』が出て間もなくこの作家の存在を知ったのだが、初めて読む作家の本としては贅沢なので保留扱いしていた。昨年秋『ラピスラズリ』発刊を受け、先に読んでおきたいと試し読みに借りてみたものの、他に読み易い本がどんどん出てくると、厚さゆえどうも手に取りにくい。結局2ヶ月手元にあったのに、ぱらぱら少し読んだ程度。これは2〜3分冊で編集し直してほしいところでもある。
 そのぱらぱら読みと本作の半ば過ぎまで、硬質な文体が築き上げていく精緻で美しい虚構の世界に「どうも私は阻まれている」という印象を抱いた。
 今はもうなくなってしまった北野のらんぷ館——ほの暗い展示室、ほかに訪れる人もない時間帯に恋人とふたり迷い込んだようなひとときをもったことを思い出す。ガラス1枚隔てた向うに、アールヌーヴォーの優雅な意匠を施したらんぷが収められている。寝室に置き、毎日撫で回したいような愛らしいらんぷなのに、触れることができない。美しいものから隔てられることのもどかしさ。しかし、その時は、その気持ちを分かち合う人が少なくとも傍にいた。
 いや、「山尾悠子の小説世界はまさしくそれなのだよ。美しいから、それで良いという読み手にだけ満足がある」と言われては元も子もない。硬質さを保つためなのか、自身の情感の流入を書き手が敢えて制御しているかのような文体が、情感の器を差し出し、作品からこぼれ落ちるそれを受け止めようと待ち構える読み手には期待するものを与えない。

 らんぷ館を共に訪れた人と「かわいさ」について論じ合ったことがある。それは「揺らぎ」ではないか…と。端正なもの、整然としたもの、完璧なものが揺らぐ瞬間がある。それらの内に秘匿された感情がどうにも保たなくなって、少し外にこぼれ落ちたとき、表面が揺らぐ。「かわいい」「かわいい」と口頭で消費されるようになってしまった言葉の本質はそこにあり、人はそれに心動かされるのでは…と。

 さる画廊にひっそり展示された三枚つづきの絵(銅版画)——何かの物語の挿絵のようであるそれをめぐって、母娘の時を隔てた鑑賞のひとときが描かれる短篇に始まる連作。2篇め以降は、それら銅版画に封じ込められた、冬に成長しない冬眠者たちのいつかのどこかでの物語が展開していく。
 行間に、あるいは言葉と言葉の連なりの間に、私はひたすら山尾悠子という美の具現者からこぼれ落ちてくる情感のかけらを追った。「それさえあれば、それさえあれば…」と、ガラスの棺に安置された花嫁の魂が起き上がり、自分の魂と交じり合うことを夢想する花婿のように、人知れぬ恍惚を求めながら…。
 それさあれば、たとえばナボコフのような、ダンセイニのような、記憶と幻想が魔術のようにスイッチする自分好みの文学に転化するのに…。そのような書き方をこの作家は新作で試みてはくれないものだろうか。閉じた美を強引に自分という読み手にたぐり寄せようとするのは、やはり間違った愚かな願いなのか。
◆関連記事あり:本のシャワーにさらす肌http://biwa.blogtribe.org/
   

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紙の本

円熟期の山尾悠子が読めるとは、何という幸せでしょう

2004/02/06 00:22

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:おおつぼ - この投稿者のレビュー一覧を見る

山尾悠子の新作が出版されました。
しかし、この作品を読むまでに長い躊躇の期間がありました。
それは、時間の経過と共に変わってしまうことへの不安がぬぐいきれなかったためでした。

つまり、双方ともが変わってしまっているのではないかという心配です。
一方は作家の側の変質、もう一方は読み手(自分自身)の変質です。

昔、COMという漫画専門誌に岡田文子という伝説的な作家がいて、書かなくなっていたのが某人気漫画家の絶賛で再び注目を集め、旧作が復刊してファンが増えたものの、新作が往年と全く違う方向性の作品で大いに落胆した覚えがあります。

自分自身の変化については言わずもがな。80年代の青年も21世紀なると体力の衰えを知る機会には事欠きません。
精神的な力、たとえば感受性なども体力同様に衰えがないとはとても思えません。

ある日意を決して読んでみると、心配は杞憂に過ぎないと分かりました。
確かにあの頃の「無人の荒野を一人、道を作りながら進む」といった印象はなくなりましたが、誰も見たことのない風景を言葉で描く画家、というイメージは変わっていません。
クノップフやデルヴォーの絵を見るように、描かれていることの意味ははっきりとは分からないものの、これらのシンボリックなものが集まって全体として独自の雰囲気が醸成されています。

また何年かかけてこの絵を読み解いてゆくのも、贅沢な楽しみ方かなと思います。
今はまだ一気読みして雰囲気に浸ってる段階ですが。

円熟味というのは、自分自身の特性も限界もわきまえた上で最善の結果を出そうとしたところに初めて出てくるものだと考えます。そういう意味でも山尾悠子氏の新作が出版されたことは、何と幸せなことでしょう。

作品集成で読める、全力で力一杯書き続けていた時期の山尾作品には魔力に近い圧倒的な迫力がありますが、これらとは少し違った魅力の新作です。

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2006/05/04 21:25

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