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紙の本
警句から和歌へとつながる水脈?
2006/08/01 22:06
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
内田初穂著「星の王子の影とかたちと」(筑摩書房)を読んでいたら、この本を読みたくなりました。
内藤濯(あろう)訳のルナアル詞華集を、濯氏の長男初穂さんが新しく編んだ一冊。
たとえば、こんな言葉が拾えます。
考えること。それは森のなかで空地を探すことだ。(p57)
政治。いつでも、ちょっとした即席演説を用意しておくこと。(p120)
人が変わるということはある。いつまでもお馬鹿さんでいることもある。(p127)
希望とは、美しい日の光を浴びながら家を出て、雨に濡れて帰ることだ。(p164)
私にたいへん興味深いのが、初穂さんの「解説に代えて」です。そこには、
内藤濯氏によって、ルナアルの警句を和歌に移している何箇所かを取り上げて、具体的に並べているのです。
たとえば、ルナアルの警句
「自分こそ、誰よりもさきに、人生を見た人間だと思う日がある。」
これを内藤濯氏は、和歌に移して
「われひとり いとけざやかに 人生の すがた見たりと おもふ日もあり」
これが魅力です。
もうひとつ引用してみましょう。
ルナアルの警句。
「弟子ほど、私たちの欠点をつつき出してくれるものはない。」
これが、濯氏の和歌になると
「教へ子に 教へらるること 多かりと 思ふ日もあり 春きたるらし 」
初穂さんの解説には
「ルナアルの警句にあわせて、五七五七七のリズムに乗った和歌が父の脳裡におのずと浮かぶ。苦吟の形跡はまったく認められない。どうやらそのあたりに、父が原文のリズムを重視する翻訳作法のおおもとがあるようにも感じられる。・・・19世紀末期のフランスの詩人たちが日本の俳句に因んでフランスハイカイを試みたという事実もあるくらいだから、ルナアルの警句も俳句や和歌の表現方法に影響され、それが父の文学心を刺激したのかもしれない。
フランス語と日本語とは、確かにリズムという共通項をもっている。晩年の父は、自分がフランス文学をやっているのか、日本文学をやっているのか、わからなくなったといっていた。」
ちなみに、
内藤濯氏にはラ・ロシュフコウ著「箴言と考察」の訳がありました。それについては、倉田卓次著「裁判官の書斎」(勁草書房)のp74と、「続裁判官の書斎」のp174に誤訳談義として取り上げられております。
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