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紙の本

「9・11」前後の世界を語るためのキーワードはすべてここにあった(前編)

2003/11/26 11:25

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:小林浩 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 約20年前に刊行された本(原著1984年刊)だが、非常に新鮮だ。同年にヴィリリオは、『クリティカル・スペース』(未訳)と『戦争と映画』(平凡社ライブラリー)も発表しており、訳者の言う通り、「多産な年」だった。私見だが、ヴィリリオは90年代以後の著作より、70年代、80年代の著書の方が、がぜん面白い。なぜだろうか。もちろん日本への輸入のされ方に影響されている部分もあるが、何より彼の理論的基礎がすでにこの1984年でほぼ完成し、見事に花開いているからではないか。特に本書はそのピークになっている。90年代の彼の著書はこの1984年までの成果を基礎として展開している応用篇であると言えようが、激動する時流は彼の文明論的「警告」を陳腐化するほどに荒み、あるいは分散してきた。微細に「いま」を語ろうとすればするほど、彼の思想の大局的真価は擦り切れ、解体し易くなる。しかしそれは彼の立論の枠組みが古くなったからではない。1984年に至るまでのヴィリリオの理論的成果は、「いま」の底流に流れる人間の傲慢さやテクノロジーの危険性を正確に射抜いている。本書が古びないのはそうした底流へのまなざしがあるからである。

 どちらかと言えば自著に序文や緒言といったものを付さないヴィリリオだが、本書巻頭を飾る「緒言」は自伝的な趣きがある。絵画の製作に没頭していた頃の自分を振り返りつつ、静物模写をする自分がやがて、事象を運動において見、かたちやものではない、目に見えぬ「あいだ」を注視するようになり、世界観が変わったと告白している(若い頃、彼は確かジョルジュ・ブラックに師事していた一人のアーティストだったはずだ)。彼独特の認識方法に貫かれた本書は、読者に言い知れぬ知的緊迫感をもたらす。ヴィリリオは現代社会を「速度」という観点から見る。科学技術は社会のあらゆる場面を効率的に「速く」する。これをヴィリリオは「ドロモクラシー(走行体制あるいは速度体制)」と表現している。光学的な速度に収斂していくこの速さは一種の暴力であり、人間の判断力の余地を縮減する。待ったなしの緊張の中、圧倒的な高速度の中で、人間は生ける屍となることを余儀なくされる。「速度の暴力とは皆殺しをする力にほかならない」とヴィリリオは指摘する。速度は純粋状態における戦争(=純粋戦争)であり、宣戦布告なき絶対戦争であり、内外における戦争の常態化である。「実際に戦争をおこすことはできないからひたすら包括的兵站術が準備され、それが本当の世界戦争のかわりになる」。現代人はそうした全世界的な緊急事態に包囲され生きている(死んでいく)のである。

後編につづく

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紙の本

「9・11」前後の世界を語るためのキーワードはすべてここにあった(後編)

2003/11/26 11:32

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:小林浩 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書は10篇の論文から成るが、特に最後の2篇「消滅の政治学」「彼方の戦略」は今なお非常に重要である。いや、重要という以上に、それは一つの「戦慄」そのものである。「9・11」以後においては、ヴィリリオの戦争論とグローバリゼーション論は恐るべき精度を持った予言であったことが分かる。聖戦という亡霊の跳梁、超国家的警察力の台頭、強化された国家安全状態としての内戦、自由世界の防衛という大義、予防的戦争行為の一般化……等々、「9.11」を語るべきすべてのキーワードはすでに本書のうちにある。「テロの時代が到来した」と彼ははっきり述べている。しかし正確に言うならばそれは「予言」というほどの神秘であったのではない。むしろごく当然の帰結をヴィリリオは語ったに過ぎないのだが、それをやはり図星だったと悔やむ政治家は残念ながら多くはないだろう。彼の言葉通り現代人は純粋戦争の只中に生きてきたのであり、今なお純粋戦争は続いている。この戦争は際限なく継続され、止めることができなくなってしまっており、諸国家の政治的経済的命運を否応なく引きずっていく、とヴィリリオは警鐘を鳴らす。純粋戦争の時代における「知の軍事化」に彼は断乎反対する。巷の昨今の「スローライフ」議論と対照させながら本書を読むこともできるかもしれない。

連載書評コラム「小林浩の人文レジ前」2003年9月23日分より。

(小林浩/人文書コーディネーター・「本」のメルマガ編集同人)

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