紙の本
この世の終りの風景は
2004/01/28 23:22
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ノダ - この投稿者のレビュー一覧を見る
曖昧模糊としていて、何を意味しているのかよくわからないのに、それでいて何かの核心に触れたようで、目覚めてからも強い印象を残す夢というのが、時々ある。西岡兄妹が紡ぎ出す物語の味わいは、それに似ている。
西岡兄妹の作品の特徴は、空を飛んでいるような、ふわふわとした乖離感だ。世界は不条理で、時に残酷でグロテスクだけれど、決して生々しくはなくて、どこかメルヘンチックで絵本のような趣き。木の実のような黒目がちの瞳と、繊細な髪、細くしなやかな身体を持つ「ぼく」は、風に吹かれる風船のように世界を漂う。「ぼく」の心は世界をすり抜けていくようだ。「ぼく」はよるべない。
物語は「ぼく」が目を覚ます場面から始まる。「その朝ぼくは目を覚ましたことをぼくは明確に知っていた こんな感じは初めてだった 恐かった」。そこから「ぼく」の旅が始まる。川へ、海へ、そして人食い人種(正確には人間そっくりの虫を食べる人たち)の島へ。
この世の終りはどこにあるのか? そのひとつの答えは自分自身であり、「ぼく」が最後に帰りつく場所も、結局は原点である。そして物語の始まりと全く同じように、「ぼく」は目を覚まし、部屋を出る。「ほら世界はこんなにも単純にできあがっている 物語はもう必要なかった」。
「慎重に一歩を踏み出す ぼくは不幸ではない がんばれ」。きっと誰もが自らの奥深くに、それぞれの鮮烈な物語を持ち、でもそんなことは自分でも半ば知らずに半ば忘れて街を行くのだけれど、時々、夢に触れてはっとするのだ。そしてこの本が垣間見せてくれるのも夢と同じ、心の奥深くの風景なのだと思う。
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1回読んだだけじゃだめだと思う。夢の中にいるような、決して現実味のない世界、そして人々、間に生まれるものはなにもない、不思議な本
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日常の生活からいつの間にか非日常的な旅へ踏み込んでしまった男の話。夢を見る感覚に近い。色んな解釈を誘う作風ではあるが、それよりもこの世界をただ体感するつもりで読みたい。画面に精密に書き込まれた模様に引きずり込まれる。
起こっている状況はシリアスなものであるのに、どこか実感を伴わず一枚隔てて全てを見ている感じに覆われている。短編集『心の悲しみ』内の「こことは違うどこか遠くの場所でぼくの心が悲しんでいる」という台詞に象徴される感覚であり、それが魅力だとも思う。
彼らの作品は音楽に似ていると思う。同じフレーズが延々ループする中で漂っている白昼夢のような、心地良いけどやがて不安になるような音楽。
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居場所さがしの旅‐『この世の終りへの旅』
http://d.hatena.ne.jp/kojitya/20091215/1260835175
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初めて読んだ西岡兄妹の漫画
そう、これは漫画
人間の怖い部分が露呈する
けど、それが本質だって気づかされる
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自己完結もしくは原点回帰、終われずにループするだろう旅のお話。
世界はどれだけ単純に、人間はどれだけ愚直に、できているのだろうね。
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カフカが好きなら、カフカでなくとも純文学が好きなら、きっとはまってしまう作品。楽園に安住していては、自分の人生を完遂できない。だから彼はたった一つの愛情すら壊してただひたすら善も悪もなくエゴイスティックに「何の意味もない自分の人生」に何か意味を見出そうと旅をしていくんですね。でも彼は何一つ得なかった。こんなことを実に空虚な、乾いた、シニカルなタッチで書いているところが素晴らしい
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靴紐の結び方を失念したことによって始まる物語は物語の行方をも忘れてしてしまっているようであった。「自由である」ことは優しくない。
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僕は日常への恐怖感がテーマなのかなと思いました。
なにをしても、どこへいっても、まとわりついてくる日常、死ぬまで。
どこまでもどこまでも終わりなき日常が続いていく。
朝起きて、いつもと同じ朝がおとづれる。
どこまでもどこまでも。
そこに気づくとある朝感じる、異物感。
自分は誰なのか。死ぬまで続くのか。
変われるんじゃないかまだ。
旅にでる夢を見る。
もう戻ってはこないだろう。
いいや、日常は死ぬまでまとわりついてくる。
そんな漫画だと解釈しました。
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全一巻。取っつきにくいなーと感じる人は多そうだけれど僕は好き。善悪を捨て去った愛の物語。日常から斜めに道を逸れてしまって、後戻りの出来ない旅に迷い混んでしまった感覚。