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文明の衝突という欺瞞 暴力の連鎖を断ち切る永久平和論への回路 みんなのレビュー

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紙の本

クレポンの本文よりも付論(解説)のほうがおもしろい

2004/05/06 14:53

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:pipi姫 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」論が最初に世に出たのは1993年。日本語版は1998年。同書がアメリカをはじめとした西洋文明の優位を保つために書かれたものであり、一貫してイスラム文明を敵視して書かれているということは、すでに多くの論者によって喝破され批判されている。

 ハンチントンの本を読めば、戦争は必至であり世界戦争という背筋の寒くなるようなシミュレーションもあながち荒唐無稽なものではないと思えてくる。ハンチントンの書からは平和を希求する戦略が見えてこないのは素人目にも明らかだが、では今なぜ『文明の衝突という欺瞞』なのか。
 論者たちには、相変わらず「文明の衝突」というハンチントンの論が世界を席巻し、自分たちが数の上では敗北し続けているという自覚があるようだ。

 著者マルク・クレポンは、ハンチントンの文明観が閉鎖的で諸文明は協約不可能なものとしてとらえているということ、「人間」に先立ってまず「文明(文化)ありき」という文化本質主義に陥っていると批判する。
 
 実際、歴史を見れば、諸文明はそれぞれが相互に交流し影響を与え合ってきたことは明らかであるのに、ハンチントンは杜撰な論証で諸文明の特徴を固定的にとらえ、差異ばかり強調するという。

 こういったハンチントン批判はとりたてて目新しくもない。それに、ハンチントンの大部な本に対する批判としてはいかにも本論のほうが量が少なくて見劣りする。だから、本論は、ハンチントンの書にたいする実証的な批判ではなく、パラダイム批判として読むべきものである。

 そういう点では、じつはクレポンの本論よりも、二人の論者による付論のほうが魅力的だ。最初一読したときには、「付論2 文化の力の追求(出口雅俊)」よりも「付論1 法・歴史・政治(桑田禮彰)」のほうが読みにくくわかりにくくおもしろくないと思ったのだが、再読してみると、桑田氏の論のほうが現実的な処方箋を描くには大きなヒントになりそうな気がする。

 クレポンはカント派の哲学者であり、カントの『永遠平和のために』を導きに論を展開するのだが、クレポンはカントとも明確に異なる。
「クレポンが、ハンチントンの言う諸文明の閉鎖性を批判し、諸文化の開放性を前面に押し出すのに対し、カントは、閉鎖性と開放性を両方とも、永遠平和実現のために利用しようとする。文明ないし文化は開放性とともに閉鎖性を持っている——これが現実であり、その両方を利用しようというのがカントの現実感覚である。端的に言えば閉鎖性は人間集団どうしを互いに分離させるが、世界帝国を阻止する力として利用できるのである」(桑田 120頁)

 また、出口雅俊氏は大要次のように述べる。

 ハンチントンの文化のとらえかたは「文化本質主義」であり、文化の独自性や一貫性、その閉鎖性や純粋性に着目するような文化のとらえ方。それに対し、クレポンは反本質主義的文化観を提起する。それは、文化の流動性や可変性、その開放性や雑種性(混交性)に着眼する文化のとらえ方だ。だが、本質主義的な文化観をすべて危険なものとして退けてよいものだろうか。本質主義的文化観VS反本質主義的文化観」という「理論的対立」を、すぐさま善悪をともなった二つの文化観の「現実的対立」へと、性急に還元してしまうことには注意すべきではないか、と。

 じっさい、わたしたちは文明(文化)が協約可能なときもあれば不可能な場合もあることを経験的に知っているし、自分の生まれ育った文化には「本質的」に染まっているものだろう。

 出口氏は、ハンチントンもクレポンもともに文化を重視する文化主義であると批判する。ただ、出口氏が言うところの「文化の肯定性を救う」方途については漠としていて、踏み込み足りなさを感じる。

 本書は短いながらも考えるヒントは多い。この先は、読者自身が模索すべきことなのだろう。

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