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紙の本
『定本隠喩としての建築』を読んで
2004/02/09 17:11
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぼんやりさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前、初めて『隠喩としての建築』を読んだとき、著者の他の著作に比べて拍子抜けした覚えがある。何故なら、昔専門学科を選択した時点で、社会科学は自己言及的なのだから価値自由でなければならないと言われたからだ。私の理解の範囲では、形式化とは価値からの自由を目指したもので、決定は民主主義に任せれば良いというものだった。又、価値自由のイデオロギー性を疑うことが正当とされていたが、冷戦後は、安全性や環境に対しての影響などがチェックできるのかという問題に変化した。だから、著者のこの本がとても奇異に思われたのだ。
でも、今回定本を読んでみて、著者は民主主義でも正当に決定できないことがよく分かっていたから、形式化を徹底させてみてどうなるか確かめてみる必要があったのだと思った。少なくとも現在の民主主義で決める際の一番の制約はせいぜい一定の時間内にということで、論理的整合性や時には正義でさえもないのだから。まして著者は非対称的な者の対話しかないと言うのだから。
現状が著者は遥か先に行っていたのだということを示している。
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