紙の本
食べることは考えること、か?
2004/02/23 12:50
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投稿者:ぼこにゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
牛丼屋から牛丼がなくなった日、牛丼屋の店長の決勝戦で敗退した高校球児ばりにむせび泣く様子がニュース番組を賑わせ、そんな彼の姿に心を打たれた全国の視聴者はテレビに向かって熱い喝采を送ったという。店長の脳裏にはこれまでの牛丼人生がめくるめく走牛灯となって駆け抜けたことだろう。十八世紀フランスでは悲劇の王妃アントワネットが「牛丼がなければ天丼を食べればいいじゃないの」と言い放ち、これがのちのフランス革命の端緒となった点をかんがみても、牛丼が一般市民の生活になくてはならない食物だということが知れるわけである。
とか言いながら実は私は、一度も牛丼を食べたことがなくて、近所に牛丼店もないものだから連日のオーバーヒートしたような報道ぶりは正直なところピンと来なかった。
ふだん食べるものというのはその人の経済状態や育った環境とかなり直結しているものでもあるし、なにを選ぶかによって味覚のみならず全般的な感性とか価値観のようなものが如実に語られるわけだから、食についてものを書く、というのは結構勇気の要ることなんじゃないかと思う。特にこの東海林氏のように、なんというか、割合庶民的な食べ物を題材にすることが多くて、それも食べ物それ自体に関する考察というよりは食べ物と自分とのかかわりというスタイルで表現するのは、いわば自分の人間性の極めて基礎的な部分を吐露しているようなものである。それは考えてみたら結構グロテスクなことなのかもしれないが、自分のことを書くという行為に本来つきもののグロテスクさでさえ、東海林氏の生来の優しさというか上品さのようなものでしっかりと包み隠されているのだ。
『子供の目で見て、大人の手で描く』という言葉があるけれど、凡庸な書き手とこの人との差異はまさしくその部分であって、子供の持つ時にはあられもないほどの観察眼と、鍛えられた大人の表現力とがこの息の長い連載の基部になっているのだと思う。
私は小説などを読んでいて、料理したり食べたりする場面が(料理法やメニューとか)比較的克明に書かれていると、それがその書き手の自意識そのものに思われてならないのだ。高級なもの、しゃれたもの、今日的なもの、美的なもの、というステキな料理が出て来たり、質素だけれど白いご飯やお酒に合いそうな小料理を何品か手早く作る場面が出て来たりすると、それが即書き手の自己イメージなのに違いない、と思ってしまう。読み手としてノゾキ見的なおもしろさは感じるものの、やっぱりそういう『ステキなワタシ観』をモロ出しにするっていうのはちょっと見苦しい。食べ物にはそういう恐さがある。と言うか、そういう恐さをいささかも感じないような人、というのは私はどうも好きじゃないのだ。
昔の女学生には食事中、弁当箱の蓋を前に立てて、お弁当の内容を他者の目に晒すことを拒む人が多かった(私の時代にはまだたまにそういう子がいた)らしいのだが、それにはなんとなく共感できるものがあって、よく言われるように食べるということは恥を含んだ作業なのかもしれない。東海林氏の文章にはいたるところそういう含羞の念が差し挟まれていて、それが絶妙のアクセントになってもいるし、私はその、自分自身の内にあるものと相似をなす含羞にいつもちょっと救われるのである。この人はきっと本当に食べ物を愛していて、そんな自分にちょっと恥じらいを持ちつつも、楽しくいろいろなものを食べて行くのだろう。そういう姿勢は私の憧れでもある。
牛丼とはついに面識のないままだったけれども、いつか私の愛好する食物が私の前から消える日が来たら、できれば心穏やかに「今までありがとう、そしてご苦労様でした」と言って別れたいものだ。
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まだまだ居る。懐しくも恋しい、アノ食べ物たち
ハンバーグステーキはお口の中の泥遊び、ポークソテーの無念、つぶかこしか、ぶどうパンの無レーズン地帯解決法、魅惑の新生姜他
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誰もが必ず人と会話したことがあるだろう国民性会話の象徴「あんこは粒かコシか?」というなんともベタなネタの【「こし」か「つぶ」か】。いつかやるだろうと思ったらやってくれた。もう最高。しかもコシと粒の両方の「あんこ自身の」心理をひもといたりしてるから笑うしかない。ちなみに私は粒あん派。「逃げも隠れもしません」の粒あんです(笑)
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この本は中学の時に1回朝読書の時に読んだことがあり、とても懐かしかった。
ポークソテーや、焼きミカンなど私にはなじみがない食べ物についてなどがおおかった。
ポークソテーはステーキの豚バージョン?とんかつの衣なし?的な食べものと聞いてなんとなく想像はついたけど食べる機会はほんとにない。しかし昔はごちそうだったらしい。回転すしならぬ回転朝ごはん定食はいいなと思ったしティーセットの話は実際に運ばれてきても私も実際よくわからなくて戸惑うだろうなと共感してしまいした。
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「タヌキの丸かじり」
著者 東海林さだお
出版 文春文庫
p225より引用
“愛のない「おいしい」は空虚である。”
マンガ家でエッセイストである著者による、
食べ物に関するエッセイをまとめた一冊。
身近にあるあらゆる食べ物について書かれてしまうのでは?
と思う勢いで、
色々な食べ物が紹介されていきます。
上記の引用は、
解説の中の一文。
解説を書かれているのは、
レストランジャーナリストの方ですが、
食について表現するプロの方でも、
食べ物のおいしさを伝えるのは難しいようです。
保証は出来ませんが食欲不振の方が読むと、
食欲が沸いて来るかもしれません。
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だんご3兄弟の話が懐かしく感じてしまう今日です。グルグル界のチャンプグルチャンを自称する著者が回転定食や食べ放題回転寿司に行くところなど、登場する店がユニークです。食事時間1分が30円の店など。とりあげた店が、現在も同形態で営業中なのか、検証してみたくなります。
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食べ物エッセイ。
メジャーな食べ物からマイナー(?)な食べ物まで、様々な食べ物に焦点を当てている。
プリンのプルプルには、激しく同意。
あと、私もメンマは好きです。残念ながら、ファンクラブの入会資格はありませんがw
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天ぷらそばを作るときに派生したカスを使って作られたタヌキが、油揚げを使って作られたキツネと同じ値段であることのシャク気分。でたでた、きたきた、ショージ節。
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『新生姜の香り』
『ゴハン投入うどん』
『「こし」か「つぶ」か』
私は「つぶ」ですね
『1分30円の食事』
斬新で良いシステムだと思う!
行ってみたい
『英国風午後の紅茶体験』
アフタヌーンティー憧れるざます
『ヌタ好き』
私もヌタ好き
『ハンバーグにまみれる』
『糾弾、炊きこみゴハン』
こればっかりは、東海林さんに同意できない
炊きこみゴハン、ダメですか?
私は大好き!!おかずが少なくても満足できるから!←
『カマボコの厚さから』
薄いのはダメだけど、厚すぎてもダメ
『麩のビロビロ』
すき焼きに入っている麩が好きだなあ
『お歳暮カタログの楽しみ』
食べ物のカタログって楽しいですよね
『干瓢応援団』
干瓢巻き、食べたい
『和歌山ラーメン出現』
『芋全員集合』
『回転定食誕生す』
『セットメニューの騒ぎ』
セットメニュー大好きだなあ
うどんとごはん、ラーメンと炒飯、炭水化物と炭水化物ってなんであんなに美味しいんでしょうね。私がベストオブセットメニューを選ぶとしたら、うどん+炊きこみゴハンが最強ですね
『干し柿の哀れ』
哀れだけれど、とっても美味しい干し柿
確かに、自然の甘さとは思えないくらい甘い
『ミカンを焼く』
『またしてもデパ駅弁』
もはやデパ駅弁は、丸かじりシリーズの恒例行事ですね
何回テーマに取り上げられても面白いのがすごい
『たぬきの勝ち』
動物のたぬきじゃなくて、たぬきそばのことです
東海林さんは本当に天かすのモロモロが好きですね
『ハムエッグのナゾ』
確かにハムエッグは、朝食でしか食べない
なんででしょうね?美味しいのに
『そばとゴハン合併す』
そばめしは関西人にとってはごく当たり前のメニューざます。しょうゆ味でもソース味でも美味しい
『天津甘栗の逡巡』
『塩むすびの味』
今度買ってみようかな
『メンマ同好会』
メンマ同好会!!是非入れて頂きたい!!
『中国のおせちは?』
『だんご3兄弟会話』
『ポークソテーの無念』
『チーズ閉眼』
『プリンのヌメヌメ』
『鉄火丼の汚れ』
『ぶどうとパンのおいしい関係』
『ハンバーガーを作ろう』
『ビンに入ったヨーグルト』
『三段回転食べ放題寿司』
解説は犬養裕美子さんです。
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東海林さだおの食べ物エッセイ、「丸かじり」シリーズの一冊。タイトルは「たぬきの勝ち」と題された、たぬきそばに関するエッセイから名付けられたらしい。あまり、タヌキとは関係なし。
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今回はたぬきそばを蕎麦屋で頼んだ時の損をした感じと、天ぷらそばを頼んだ人のおこぼれを頂いているような気分になるという所が大共感でした。さすがにおこぼれとまでは思いませんが、たぬきそばでは無くて月見やきつね頼みますね。なんていうか貧乏くさい感じがして・・・。でも本当は好きなの揚げ玉。