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歴史というのは、結局のところ「過去の未来」なのだ。歴史家のマルク・ブロックは、この書のなかでそういっている。「過去の未来」というのは、こういうことだ。過去における人間的事実の認識は、痕跡による認識である。一つの現象がそれ自身では把握できぬまま放置していた印(感覚的には知覚しうる)が、痕跡だ。風景の背景にも、道具、あるいは機械の背後にも、また、表面上は冷淡きわまる文書やそれを制定した人びととはまったく無関係にみえる制度の背後にも、つねに人間たちがいる。(複数であって、単数ではない。人間たちであって、人間ではない)。
過去は、これを定義するならば、なにものも将来これに修正をくわええないような一つの与件だ。けれども、と歴史家はいう。過去の認識は、たえず変形し完成する。進歩的なものなのだ。すなわち、過去をもっぱらその痕跡によって知るほかはないわれわれは、それにもかかわらず、過去自身がわれわれに知らせるのが適当とかんがえるより、はるかによく過去のことを知ることができる。理解するという情熱によってだ。正しくいえば、それは過去にたいする、知性の偉大な復讐である、と。
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著者のマルク・ブロックは20世紀前半に活躍した歴史家ですが、その洞察の深さと鋭さから、彼の作品は現在でも歴史学を専攻する学生のあいだで読み継がれています。
ユダヤ人でもあった彼は、第二次大戦に際して一人のフランス市民として対独レジスタンスに身を投じ、結果、パリ解放を目前にしてナチスの手で銃殺されてしまいました。本書は死期を悟ったブロックが厳しい状況の中で認めた覚え書きを基にしており、したがって作品そのものは未完に終わっています。
しかしながら、作品の随所にちりばめられたエスプリをもとに、読者が彼の遺志の片鱗を受け取ることは可能でしょう。例えば本書の中でもとりわけ印象的な次の一節には、著者の強い問題意識と歴史家としての責任感が端的に表れています。
「風景の眼につく特徴とか道具や機械の背後に、一見きわめて冷やかな装いの文書や制定した者たちとはもはや無縁となったかに見える制度の背後に、歴史学が捉えようとするのは人間たちなのである。そこに到達できない者は、せいぜいが専門知識を売り物とする職人にすぎないだろう」
私はこのフレーズを目にするたびに、自身の学問と向き合う姿勢を問い直さずにはいられません。偉大な先達が人生をかけて綴った本書は、歴史を学ぶ全てのものにとって必読の一冊と言えるでしょう。
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6月の2冊目。今年の75冊目。やっぱ学術書は読むのが遅くなる・・・。
フランスの歴史家、リュシアン・フェーブルと一緒に『アナール』を創刊した人。やっぱり難しい。実は1度チャレンジしたことがあったけど、難しすぎて途中で挫折。今回は再チャレンジ。一応全部読んだけど、前半の2章あたりがほんとに何言ってるのかよくわからなかった。後半部分の史料批判とかの方は、まぁわかった。なんとなくここ重要でしょ、って部分は自分でもつかめたので、まぁ一応読めたことは読めたかな。『王の奇跡』と『封建社会』はやっぱ読まなきゃまずいかなー。
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20世紀のフランス歴史学者が歴史について考えさせてくれる。現代はなく、限りなく近い過去だとは至言である。全てが過去、現代は瞬間ごとに変化していっているものなのだ。だからこそ歴史的事実とは全て間接的であり、どこに違いがあるのか?ナポレオンはアウステルリッツの戦いをどう認識していたのか!部下からの報告なのである。そのことと大きな過去を認識することの違いは?歴史の真実を求めていくことの価値を弁明した哲学的ともいえる本だった。「中世」という用語が17世紀末に初めてドイツの教科書製作者クリストフ・ケラーが思いついた。この言葉が歴史認識を大きく左右したことは間違いない。
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マルク・ブロックの遺著となった『歴史のための弁明』を、新発見の遺稿に基づき校訂した版の翻訳。「パパ、だから歴史が何の役に立つのか説明してよ」という子供の挑発的な問いかけから始まる本書は、歴史研究に際して現在を知ることの重要性、「本来いかにあったのか」という問いに対する反駁、史料批判についての所見などなど、何らかのかたちで歴史研究を意識せざるを得ない人々にとって刺激的な考察に満ちている。「よい歴史家とは、伝説の食人鬼に似ている。人の肉を嗅ぎつけるところに獲物があると知っているのである」。このように、歴史とは人間を対象とする学問だという言明は、法制度のみならず社会の全体構造を捉えることによって「封建社会」を明らかにしようとしたブロックの中世史研究、あるいは――細分化と揶揄されることがあるとはいえ――従来の歴史学が扱ってこなかった領域に手を広げていったアナール学派の研究を考えると、非常に含蓄深いモットーである。