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紙の本
これがチェルノブイリ事故の放射能汚染地?以前と変わらない静かで着実な暮らしを光あふれる写真に収めた絵本。2005年小学高学年夏休みの課題図書。
2005/05/27 11:53
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
小学5、6年生ぐらいになってくると「発電所」や「チェルノブイリ事故」についていくらかの知識があるはずだから…という前提に立ってのことなのだろうか。大人の気持ちとしては、「都会的な便利生活で電気をいっぱい使うと、原子力発電という大きなエネルギーを生み出せる装置が必要になって…」とか「昔、ソ連と言われていた時代に、チェルノブイリという原子力発電所で世界を震撼させた大きな事故があって…」とか、ついでにあれこれ説明したくなるところを、この本はさらり通り過ぎて先に進んでしまう。
妙な欲を出して何から何まで教えてあげようという姿勢を取ると、予備知識をぐちゃぐちゃやっている段階で子どもの集中力は切れる。それは年長の者とて同じ。かんじんなことを伝えるためには、スルー気味にはしょった方がいいことも多くある。
それで、ベラルーシの小さな村に住んでいるアレクセイという青年が、簡潔に家族や家にいる動物を紹介したあと、1986年の農作業中に起きた異変について語る。そのあとすぐに、「その日、チェルノブイリの原子力発電所が、爆発事故を起こしたのだ。ぼくの村は180キロ離れていたけれど、見えない放射能で汚され、もうここに住んではいけない、と言われた。」(4P)とだけ事件に触れる。
離村した人がどれほど多かったのかは明らかにされないが、55人の高齢者とともに自分が村に留まり、生活をつづけていることが告白される。それからはずっと、村の暮らしの日々がアレクセイの朴訥とした語りで紹介されていくのみ。
「放射能被災地」で撮影された写真ともなれば、土門拳風にアンダーなモノクロームのものが並ぶのかと思えたのだが、ここにレイアウトされたのは、光あふれる写真だ。緑や空や白銀がきらめく牧歌的な農村を写し出したもの。
荷車は馬が引いており、暖炉やかまどの煙突が家々から突き出ている。細い電信柱が立っているので、テレビやラジオぐらいは部屋にあるのかもしれないが、切り出した丸太を運ぶトラックも水が湧き出す泉をくみ上げるポンプも見当たらず、村びとたちの「食べる」暮らしを支えるのは働く手や腕、全身を使う力仕事である。
農薬の散布が少ない野菜をわざわざ宅配してもらう。汚れた食器がたまれば食器洗い機を使い、雨が降れば乾燥機や除湿機を使う。エネルギー負荷の多い暮らしをしている自覚があるのだが、スカーフで頭をくるみ込んだ老婆が、放射能の検出される畑に種をまき、そこから芋や人参を収穫している写真を見る。使い込んだ作業靴をはいた老人が、放射能が検出される森から切り出した木に斧を打ち込み成形している写真を見る。——それはとても不思議な気分だ。
「あなた方は、何でそんな場所で、どうしてそんなものを食べて生きていられるのか」と問いただしたくなる。
この疑問に対し、秘密はミステリーのように劇的に明かされる。水道設備がないと見受けられるこの村で、人びとはバケツを天秤棒にひっかけて泉の水を運んでいる。何年かぶりで収穫祭にやってきた司祭が「聖なる泉」と呼ぶこの泉にひそむエネルギーの秘密が、「奇跡」のようにして、まるでファンタジーのようにして本の結びで迎えてくれる。
2001年に村のあちらこちらで検出された放射能の値が最後に列挙されているのだが、「泉の水」と書かれたあとに出くわす言葉には、どんな物語にもかなわない「どんでん返し」があった。
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