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日本のみならず海外までをも放浪し、その土地その土地の庶民的な "味" を堪能するエッセイですから。
ちょっとした旅行気分ですから。
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借りた所:川崎市図書館
借りた日:2007/08/01-2007/08/16
2007/08/16-2007/09/04
読んだ日:2007/08/01-2007/08/16
2007/08/16-2007/09/04
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壇先生が日本全国、世界中の津々浦々のB級グルメを食べて回る。
でも書かれたのが1970年代、あのバブル前のいい時期である。
この後訪れたバブルによってこの本に書かれていた
ほとんどの「土地のうまいもん」は消滅してしまったように思える。
食べ物の墓標を見ているような気分になったが
地方に行けばまだ食べられるのだろうか。
21世紀を生きる人間にとってはなんだか祈りたくなるような本だ。泣ける。
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Like a rollin' stone!.
檀一雄とは、私にとって小説家ではなく、一つの人生モデルである。
こういうジジイに私はなりたい。
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交通機関が発達して、国の内外に何れも容易にアクセス出来るようになった現在、このエッセイに新鮮味が無くなったように思える。
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文章が良いですねえ。一段落が短くて、クリスピーで、食べ物と土地に対する愛情があふれていて。こういう骨太で乾いたエッセイが僕は大好きです。
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ああ、美味しかった…と言うのも変ですが、土地ごとの美味しい食材や料理、旅とともに食事を楽しむ壇さんの魅力もさることながら、かつての文壇を賑わせていた小説家たちがちょいちょい顔を出すのが面白く。
丸ごとおいしい一冊でした。ご馳走さまでした。
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PIRIPIRIする のPIRIPIRIの部分はポルトガル語の唐辛子という意味なので、そこが語源ではよ筆者は考えていた
生で魚を食べるようになったのは歴史学者のいう近年だとか
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壇一雄氏の「美味放浪記」、1776.5発行です。国内編と海外編に分けて書かれてます。国内編では私の故郷の山陽道について記述がありました。「日本でどこが一番日本的食品に恵まれているかと云えば、これはもう考えるまでもなく瀬戸内地帯である。明石~小豆島~児島~鞆~尾道~呉~広島~岩国、魚介類の宝庫、これほど原料の贅沢な地帯は世界でも珍しいに相違ない。」私は広島県の瀬戸内沿岸での暮らしは18歳までですが、故郷を褒められた気がしてw、嬉しかったです(^-^)日本はどの地域もすべからく食の宝庫ですね(^-^)
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壇氏の国内外の食べ歩き録。しかし、色々なところに行っているなと、行動力、人脈、そして食への探求心には感心させられる。読んでいて、ここ行きたいな、と思わせる良書。
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今から四十年以上前に雑誌連載されたグルメエッセイ。国内編は、旅情を感じさせる記述が少なく、訪れた店の名や各地の産物などの羅列で、古いですので旅の参考になるわけでもなく、ちょっと退屈。海外編は、著者自身の過去の放浪を振り返って書かれているので、少し幅が出ています。
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★3.5。
今まで読んだ食べ物関連のエッセイと違って、庶民なんです、題材が。
当方が生まれたずっと前の話ばかりなんですが、食感というんでしょうか、イメージが付くものが多く。海外モノも然りですが、やはり国内編がとみにそうで。
しかしまぁ、ヒトは今も昔も食なんですなぁ。
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この年代の男性にしては極めて珍しく、食べることへの執着心もさることながら、自らが料理を作ることをこよなく愛した檀一雄が、取材という名目で日本・海外の各地を巡り、現地での飲み食いや、市場に溢れる豊かな食材などを描いた紀行エッセイ集。
出版から数十年が経っているが、日本各地の名産は当然大きく変わるものではなく、その現地が最も美味いとされる魚や肉、野菜、肉などをとにかく食らいつくしていく様は痛快であると同時に、日本の風土の豊饒さを実感できる。にしても、旅先でも自らの料理熱は変わらず、ときには飲食店の軒先を借りて自らが市場で買った魚や肉を煮炊きするなど、料理への熱情にはやはりすさまじいものがある。
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「檀一雄」のエッセイ集『美味放浪記』を読みました。
「檀一雄」の作品は、4年前に読んだ『火宅の人』以来なので久しぶりですね。
-----story-------------
著者は美味を求めて放浪し、その土地の人々の知恵と努力を食べる。
私達の食生活がいかにひ弱でマンネリ化しているかを痛感せずにはおかぬ剛毅な書。
およそ咀嚼できるものならば何でも食ってしまうというのが人類の大きな特質であるが、わけても著者はその最たるもの。
先入観も偏見も持たず、国内国外を問わず、著者は美味を求めて放浪し、その土地土地に根付く人々の知恵と努力を食べる。
現代に生きる私たちの食生活がいかにひ弱でマンネリ化しているかを痛感させずにはおかぬ、豪毅なエッセイ集。
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「檀一雄」が、日本全国(国内篇)、そして世界各国(海外篇)を旅して、食してきた足跡を日本交通公社が発行する雑誌『旅』に連載されたエッセイ、、、
『国内篇』は、1965年(昭和40年)1月号から12月号、『海外篇』は、1972年(昭和47年)1月号から12月号に掲載され、両篇をあわせて1973年(昭和48年)に『美味放浪記』として刊行された作品です。
■国内篇
・黒潮の香を豪快に味わう皿鉢料理(高知)
・厳冬に冴える雪国の魚料理(新潟・秋田)
・郷愁で綴る我がふる里の味覚(北九州)
・中国の味を伝えるサツマ汁(南九州)
・日本料理・西洋料理味くらべ(大阪・神戸) ほか
■海外篇
・サフランの色と香りとパエリアと(スペイン)
・初鰹をサカナに飲む銘酒・ダン(ポルトガル)
・迷路で出合った旅の味(モロッコ)
・チロルで味わった山家焼(ドイツ・オーストリア)
・味の交響楽・スメルガスボード(北欧) ほか
昭和40年代… この時代を実体験として知っているだけに、日本国内だけでなく、世界各国を渡り歩かれていることに、ただただ驚きましたねー
現代であれば、同じ料理や食材が日本にいてもほとんど入手できるんでしょうが、同じ料理であっても、現地でないと味わえないモノがあると思うんですよね… その場所の空気であったり、使われている水だったり、調理する人(手)や調理具の違い、その場所ならでは匂い等々、色んなモノが味には作用すると思います。
そして、「檀一雄」の魅力が、本作品の隠し味になっている面もありますね… 有り余る程のエネルギーには驚かされるし、不思議な魅力を感じる人物ですよね。
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檀一雄の食エッセイは大好きなのですが、たまに太宰との思い出話とかが出てきて、なんとなく感慨深いです。
地元の気取らないものを地元の方と気取らずに食する、という姿勢が素晴らしいと思います。