紙の本
<朝鮮半島>の入門書だけれど、専門家・プチ専門家にこそ読んでほしい。なんで今までこういう本がなかったのだろう。
2004/11/05 20:20
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:pipi姫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
どうして日本人は朝鮮半島について語るときに、ほかの国についてのように「普通」に語ることができないのだろうか、と著者は問う。巷間、朝鮮半島に関する肯定・否定両方のステレオ・タイプ言説がまかり通っている。それらの思いこみをひとまず飲み込んで、素直に統計に取り組んでみよう、と。
まずは、朝鮮半島の大きさ、人口から。地理的にも経済的にも韓国と北朝鮮はほんとうに小さな国か? GDPは、軍事費は? そして、朝鮮半島は小国だから植民地にされたという思い込みも本当だろうか?
そして、日本と朝鮮半島は運命共同体か。グローバル時代になぜ朝鮮半島が運命共同体といえるのか。単に地理的に近いという以外に韓国や北朝鮮が日本と特別な関係を結ぶという意味は本当にあるのか? 朝鮮半島についてだけ、なぜ特別視するのか?
「サッカーの試合を観に行ったはずなのに日韓友好についてしか語らない人や、自分の最愛の人を語るときに「私の妻は朝鮮人だ」としか表現できない人は、どこか不自然だ。それは、彼らがサッカーの試合そのものや愛するその人を見ていないからだ。彼らが見ている尾は、試合や最愛の人の背後にイメージされている朝鮮半島、しかもステレオタイプと化した朝鮮半島の姿だ」(55p)
ステレオ・タイプといえば、朝鮮人は強い民族意識を持っていると思われているが、それは本当だろうか。歴史的に見て、他の植民地に比べると激しい民族闘争が行われてきたのだろうか?
じっさいには、朝鮮での反日運動は一時的に激しくなってもすぐに消滅してしまうというのが著者の結論だ。それについては、血なまぐさい弾圧だけが闘争敗北の理由とは思えないという。彼らは、強い民族意識を持っていても、しょせんは大国にかなわないという諦めをもってしまうのだ。
植民地支配についての賛否両論の評価についてはどうだろう。確かに日本の植民地下において朝鮮は経済発展したけど、政治的権力がなく外国人に支配されているという状況が果たしてよいことだろうか。自分が当時の朝鮮半島に暮らしていたらどう感じるかを考えてみることだ。それが判断の基準になるはず、と著者はいう。
そして、植民地支配が終わって半世紀がすぎてもいまだに朝鮮半島との関係がこじれているのは、「和解の儀式」ができなかったことに原因がある。朝鮮は自力で解放されなかったし、日本は朝鮮人に負けたとは思っていない。そこに不幸なボタンの掛け違いがある、と。
最後に、現在の北朝鮮についての考察が述べられる。「北朝鮮が目指しているのは体制の保障を得ることであり、経済援助は二の次だ」から、北朝鮮がこわいのはアメリカによって体制を潰されることである。ただし、今すぐにでも北朝鮮の体制が崩壊するのかどうかなんてわからない。わからないことの理由は情報が少ないから。少ない情報で安易に結論を出すな、と。
そして、まとめの部分で、著者は「どこにもいない「平均的で典型的な韓国人や朝鮮人」など探すな。一人ひとりの現実を受け止め、多様な現実をそのまま受け止めること」が大切だと述べている。わたしがもっとも共感したのはこの部分だった。
本書は、朝鮮半島について考える格好の入門書・啓蒙書だ。ただ、これを読んだからといってそれほど革命的に見方や考え方が変わるわけではないだろう。なるほど、数字を挙げて具体的に論証された部分についての偏見や謬論については正せるかもしれない。しかし、数字や事実のつきつけで揺らがない人々の感情や意識というものもまた確かに存在する。
「「交流による解決」という魔術を信じて半ば人任せにして放置すること」(146p)は決して日本と朝鮮半島の人々にとってよいことではない。本書はその問題について考える端緒となる。
紙の本
「普通」を強調するのは「普通」ではないことの証拠、であるようなないような
2005/01/02 00:50
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:梶谷懐 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本での木村さんの基本的な主張は、とりあえずイデオロギーを離れて客観的なデータなどを中心に「普通に」朝鮮半島を眺めてみよう、と言うものである。それは基本的に正しい姿勢だと思うし、また実際に木村さんの専門的な業績に裏付けられた「半島の国々、特に韓国は、人口・経済力・軍事力から言ってもちっとも「小国」じゃないのに自己意識としても、および日本を始めとした他者からも「小国」意識を持ち続けている」とか、「韓国人の民族意識は他の国に比べて特に強烈なわけではないのに、日本ではやたらと民族意識に凝り固まった人々だと思われている」とかいった本書の指摘からは啓発されるところが大きかった。
しかし、そういった「韓国や北朝鮮を普通の国として見よう」という本書の主張を木村さんは一体誰に向けて発言しているんだろう、という点については若干の疑問を感じてしまう。 例えば、木村さんが批判の対象としている「朝鮮半島は(日本にとって)特殊な存在だ」という意識にどっぷりと染まっている人々。これは確かに左右を問わず一定程度存在するとは思うが、そういう人たちはそもそも「朝鮮半島は特殊だ」と強固に「思い込みたがっている」人々ではないだろうか。
これに対して木村さんは、現在入手可能なデータからとりあえず暫定的な仮説を導き出して、後でいつでも集積できると言う心構えを持つこと、という社会科学のオーソドックスな方法論を対峙させる。これがいわば木村さんが朝鮮半島に関する情報について価値判断する前に前提としている「メタ判断」なのだが、上述のような「思い込みたい人々」にとっては学者のきれいごととしてスルーされてしまう恐れが強いような気がする。
さらにもっと重要なことだが、「韓流」ブームがかなり定着した現在には、そのような「(韓国も含めた)朝鮮半島特殊論」にどっぷりと染まっている人々は、特に若い世代では実はかなり少数派になっているなのではないだろうか。つまり、木村さんが想定しているような、「朝鮮」と聞くと身構えてしまい、「普通の国」として捉えられない、という一種のこだわりが、そもそも存在しないような世代がかなり増えてきているように思う。こういった世代に対してはもともと「朝鮮半島」へのある種の深いこだわりから出発している木村さんのメッセージは、一層理解されにくいものなのではないだろうか。
という風に考えていくと、結局この本はある程度木村さんと問題意識を共有する、すなわち、「韓国や北朝鮮をできるだけ普通の国と見たいんだけど、なかなかそうはいかないよね」と日ごろから考えているような人にしか受け入れられないような気がする。まあもともと書物とはある程度内容で読者を選ぶものだから、それ自体はかまわないのだが、そうすると冒頭で挙げたような本書のモチーフは初めから若干から回りをしているのでは、という点がやはり気になる。
まあそんなふうに難癖をつけてはみたけども、読んで勉強になる本であることは確かだし、同業者に向かって「今までの朝鮮研究はイデオロギー的対立に影響されすぎていてゆがんでいた」といった威勢のいい啖呵を切ることのできる若くて優秀な研究者が出てきたことは大変感慨深い。それにしても、野次馬的読者としては「ゆがんだこれまでの先行研究」って具体的に誰の研究のことなのか、名指ししてくれるともっと面白かったのにな。
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日本における朝鮮半島に対するステレオタイプを
批判的に分析する本。
要は「常識を疑ってみる」ということだ。
韓国に対する「否定的」な見方も「肯定的」な
見方も一つのストレオタイプに囚われ、健全な
批判能力を失った人々の姿であるとする。
最大のテーマは、朝鮮半島を、たとえば
スペインやモロッコといった「他の国」
と同じように語るということだ。
私たちに出来ることはただ一つ。
円滑な関係を保っていけるように、そして
朝鮮半島に住んでいる人々がどのような人々
なのかを知るために試行錯誤を続けること。
朝鮮半島に対する答えは、一人一人の
心の中にある。
あたりまえだと思っていた常識を覆して
いく作業は目から鱗かも。文章も小説の
ようなノリで簡単に読める。
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メディアから流れる一辺倒な北朝鮮報道に感じてた疑問は間違いじゃなかった。ステレオタイプを疑う重要性を著者は説く。北朝鮮に限らず韓国も、現在日本で報道されるもの、語られてるものはたとえ一般論であろうとも必ずしも正しくはない。むしろ、公開されているデータが少ない北朝鮮や、お互いに敵視・偏見の目から語られたものは正当性にかけるということを忘れずにいるべきである。
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ゼミの課題本でした。
課題本は数多くあれど、この本はとっても読みやすく、かつ興味深かった。
朝鮮半島になんとなく興味があるなーという人にはオススメ。
朝鮮半島に興味がない人にもオススメできます。読み物として普通に面白い。
朝鮮半島に対する誤解であったり、ステレオタイプ化されたイメージであったり、そういうものがあっさり覆されたりする。
大事なのは朝鮮半島のイメージアップを図った本ではないということでしょうか。
ものごとの考え方とらえ方の勉強になります。
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朝鮮半島は面積は大きくないが、世界的には大きく扱われている。GDP、軍事費などで。
日本人は朝鮮半島には興味津々。今後もますます伸びていくエリアだと思うし北朝鮮問題とか解決しなくてはいけないことがたくさんあるエリア。
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[ 内容 ]
韓国での激しい街頭デモの映像や、サッカーW杯時の熱狂ぶり、そして北朝鮮に関する様々な報道。
私たちの周りにある朝鮮半島についての情報はいつも刺激的だ。
また、それをめぐる議論もいつも熱い。
ある人は朝鮮半島の人々の言動を嫌悪を込めて批判し、またある人は、同じ朝鮮半島の人々とのバラ色の未来を熱心に語る。
なぜ朝鮮半島については、ほかの国々や地域を論じるときのように、冷静に議論できないのだろうか。
本書は、そんな私たちと朝鮮半島の間にあるこじれた問題の構造を一つ一つ解き明かし、問いかける。
あなたは朝鮮半島をどう見るのか、と。
[ 目次 ]
第1演習 朝鮮半島をめぐる不思議な議論
第2演習 日本と朝鮮半島の将来は明るいか
第3演習 朝鮮半島は小さいか―基礎的なデータから考える
第4演習 朝鮮半島の人々は「強い民族意識」を持っているか―「常識」に挑戦する
第5演習 解決不可能な大論争?―植民地支配をめぐる議論を解剖する
第6演習 日韓関係はなぜこじれたか―歴史的因果関係を考える
最終演習 北朝鮮について考える―ステレオタイプから離れるための練習問題
追加説明 本当に大事なもの―なんのために朝鮮半島を見るのか
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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何かにつけてきな臭い話が多い両国の関係を、いちどフラットなところから再度考える入門書として最適だと思いました。著者の方はすごく良識人というかんじでじゃああなたはどうなの?とは思いましたけれども。
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「朝鮮半島の人は自分たちの国を小国と考えている」「日本と朝鮮半島の間では『和解の儀式』が行われなかった」という指摘がなるほど、というかんじ。そして過去の問題を解決したり、「和解の儀式」を行ったりするには、「『過去』が『現在』の問題と直結する」という感覚が不可欠であると認識した。とかく抽象的、精神的な議論に陥りがちなことであるので。
「わからない」ことを「わかった」ように語らないこと。わからないまま向き合うことを避けないように。金正日が亡くなった今、特に肝に銘じておきたいことだ。
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担当教授の推薦で読んでみました。朝鮮半島だけでなく、一国家を分析するにあたって注意すべきことが細かく指摘されています。ステレオタイプな考え方は世間一般に認知されているため、結論としては落ち着きやすいですが、多くの人がそこに行き着くため一定の潮流が生まれてしまいます。そういったものに囚われず、1から建設的に論を立てていきたい!!という場合に必読の書となると思われます!どのように研究を進めればいいのか、基礎に返って指導してくれます。
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朝鮮半島を題材に、学問的なものごとの見方・考え方をたどった本という印象。コンセプトは良いと思う。ただ、「日本人には朝鮮半島の歴史について知らないことは許されないという風潮がある」といった筆者の考える前提条件にはちょっと首をかしげてしまうところがあった。
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この本は朝鮮半島への向き合い方に留まらず、歴史や国の枠をも超えて他者とどう関わるかいい気づきを与えてくれます
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著者は、日本と朝鮮半島との関係については、他国との関係よりもステレオタイプにとらわれ、特定の思い込みに陥りやすい状況にあるという。そう主張するあまり、終わりのあたりで「『正しい見方』はない」と力説してしまうのは、気持ちはわかるが、相対主義にすぎるような気もする。第六演習の歴史問題に関する日韓和解の問題に関する論には説得力がある。
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朝鮮半島に対するステレオタイプな物の見方。もちろん自分自身それを自覚はしているし、できる限り事実を事実のまま見られるように努めたいという思いはある。しかし、溢れる朝鮮半島に関する「負」のニュースに対して自らの感情的部分を抑えて見るのは、少なくとも今の自分にとっては難しいのもまた正直なところ。
本書ではその「ステレオタイプ的なものの見方」を見直す一つのきっかけになるだろう。第一・第二演習で朝鮮半島に対して日本人がいかにステレオタイプ的なものの見方をしているのか示した後、第三・第四演習でそのステレオタイプにメスを入れていく。前者は「朝鮮半島は小さいか」、後者は「朝鮮半島の人々は『強い民族意識』を持っているか」。なるほど、「朝鮮半島は決して小さな存在ではない」という視点を獲得するだけでもずいぶんと見方が変わってくるし、その視点を獲得すると今だに小国意識にとらわれる韓国の行動が読めてくる。そして最後は北朝鮮について。北朝鮮についてのニュースは多いが、「情報が少ないゆえにわからない」というスタンスは「北朝鮮は危ない」というありきたりな図式が前提となったいる言論が多い中でなんだか斬新だ。
データとの向き合い方、客観的な姿勢、論理的な思考など、本書に通底するのは物事を考える際に必要とされる真摯な姿勢だ。本書は朝鮮半島に対する見方を見直すきっかけになるだけでなく、様々な偏見・ステレオタイプに気付くきっかけにもなるだろう。
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韓国旅行に持って行った一冊。もう少し朝鮮に焦点を当てて欲しかった。筆者が、朝鮮に対するステレオタイプを客観的に捉えたいという気持ちは分からなくないけれど、ステレオタイプとの付き合い方に少しページ数を割きすぎかな。しかし、筆者の客観的でいようとする姿勢は中立的な観点を維持する動力になっており、なるほどと思う部分も多く楽しめた。
【第一演習:朝鮮半島をめぐる不思議な議論】
日本人が朝鮮人に感じてきた想いは、「遅れている」と「恐ろしい」という相反する感情。これは、三一運動の際、マスメディアによって描かれた「成功している統治」に反発する朝鮮に当惑したため。1960〜80年の韓国の経済発展時に、ステレオタイプの更新をする機会があったが、否定的な見方が蔓延する日本では、そこに焦点が当たることはなかった。
【第二演習:日本と朝鮮半島の将来は明るいか】
肯定的なステレオタイプに対する付き合い方。「交流の活発化」では、歴史問題は乗り越えられない。「隣国として重要」という考え方はグローバリゼーションの進行により軽視されうる。専門家も「肯定的」「否定的」なステレオタイプに毒されている
【第三演習:朝鮮半島は小さいか】
兵隊数(2003)は、北朝鮮は4位、韓国は6位。日本では、2国を実際よりも低く見てしまう傾向がある。
【第四演習:朝鮮半島の人々は「強い民族意識」を持っているか】
朝鮮の民族運動は、激しいように見えるが道半ばで尽きることが多い。運動のピークには盛り上がりの大きさ故激しく見えるが、韓国には「小国」の意識が民族意識と同居しており、「無謀な戦いは民族の破滅に向かう。屈辱を忍んででも国際社会と強調を」という考え方が存在するため短くなる。民族運動の挫折によって溜まるフラストレーションは次なる民族運動へと向かうこととなり、更に大きい波となる。
【第五演習:解決不可能な大論争?】
同じデータを使っても、焦点が異なるため日本の植民地政策は、賛否が分かれる。日本の植民地支配のあり方は、他の列強のそれと大きく変わらない。にも関わらず議論が起きるのは、自身の基準を明確にせずに結論を急ぐから。自身の「国のあり方を判断する上での基準」を堅固にし、それを踏まえて判断することが重要。
【第六演習:日韓関係はなぜこじれたか】
ほとんどの欧米諸国は、植民地支配に対し、謝罪や補償をきちんと行ったというには程遠い状態にある。そのため、日本と朝鮮についても謝罪や補償が問題のコアではないと言える。問題は、朝鮮半島が朝鮮人によって解放された訳ではないことにある。国交正常化の際に、清算する機会はあったが、認識のズレを認めたまま先送りにしてしまった。北朝鮮の場合は、戦争を経験した人が減り、問題が遠く離れた存在になるため、プライドに関わるような妥協は必要ではないと考えるものも増える。共通認識を作るのは難しいだろう。
【最終演習:北朝鮮について考える】
北朝鮮は「破綻寸前の国家」というより「ありふれた最貧国」である。近隣国であるため、特別視しているが、こうした国は、世界でも長いこと存続している。北朝鮮が目指すものは「体制の保障」であり、経済援助は二の次。韓国は、ドイツを例に南北の統一を目指すが、朝鮮の貧困を飲み込むのは現在の韓国のレベルでは苦しい。私たちが今日抱く北朝鮮に対する異質性は、北朝鮮が作り出したのではなく、スターリン時代のソ連から受け継いだものが変わらずに残っているもの。