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ビッグイヤーとは、北米大陸で1年間に何種類の鳥をみることができるかにチャレンジする試みのこと。本書は1998年に実際に繰り広げられた3人の探鳥家によるビッグイヤーの記録。というのは簡単だが、実際に行われることはほとんど狂気と紙一重。一年間、家庭生活を含めほぼすべてを犠牲にし、膨大な費用をかけ、時には身の危険にもさらされながら、鳥を見るためにだけ文字通り北米大陸中(南はメキシコ国境、北はアラスカ、アリューシャン列島)をかけめぐるのである。どんな分野にせよマニアの世界は部外者には窺いしれないものであるが、探鳥の世界においてもまたしかり。特に、ものの「収集」ではなく、単に「見る」、その一点にここまで情熱を傾ける様子には感銘さえ覚える。三人の悪戦苦闘に過度に感情移入しないで、適度なユーモアを交えたドキュメンタリータッチの文章がよい。
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「一年間で鳥を何種類見ることが出来るか」に金と時間と体力の限りを尽くして挑む、愛すべきバカ3人のドキュメンタリー。
あまりにも住む世界が違いすぎてフィクションのように思えるほど。
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1年間にどれだけの鳥を見ることができるか?という競技会にのめりこむ男たちの話。
最初は結構退屈。それはバードウォッチや競技会、そしてこの本のメインの登場人物3人の基礎的なことを説明しなければならないからかと。
3人がそれぞれの事情と戦略を抱えて探鳥に奔走する様は読んでいて苦笑させられたり考えさせられたり。
興味のない人間には何の意味もないことに大金や長時間を費やし、満足する。栄誉は同じ価値観を持つ人間にしか分からない。
そこまで夢中になれる対象があるのはすばらしい。
終盤、それまでお互い接触のなかった3人がそれぞれの記録を知り、ライバル心をむき出しにするところから(遅まきながら)話は俄然面白くなる。
探鳥に賭ける情熱がますます盛んになるからだ。
勝負の結末について、この本はそれほどページを割いていない。短いエピローグが十分にそれを補ってくれる。
読んでいるうちにのめりこむ本ではあるけれど、でもやっぱりバードウォッチはよく分からない世界だ。
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ノンフィクションの面白さをこれでもか!と教えてくれる本。
世界は何て広くて面白いんだろう。
北米を舞台に行われる「1年に何種類鳥が見られるか」というレース。バードウォッチングというともっとゆったりした物を想像するが、ここで行われるのはまさしく「競技」である。行動力、財力、運。全てを駆使して記録を目指す3人の男たち。3人ともそれぞれ個性的で面白い。
もっとゆるいと思っていたのに、最後の方は夢中になって読んでしまった。アッツ島のツアーがなくなってしまうと、今後この記録が破られるのも難しいのだろうなと思う。仕方がないとは言え、ちょっと寂しい。
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世の中、様々な**バカがいるが、これはまさしく鳥バカ、バードウォッチング・フリーク達の群像劇である。舞台は全米探鳥協会が主催する全米探鳥競技大会。ルールは至ってシンプル。「元旦から大晦日の1年間で米国全土にいる鳥を最も多くの種類を見たものが優勝」というもの。審判や細かいルール、証拠の写真提出などもなく、「何月何日、どこで、何を見た」というリストの提供だけで、競技参加者はお互いを信じあってレースを年間で展開する。(実際には、希少種の鳥はこの競技に参加するバーダーによって一時的に集中的に見られてしまうため、お互いのデータを突合すれべ真偽のほどは分かるようになっている)
普通のこの競技の楽しみ方は、自分の生活圏でバードウォツチングをして、旅行先とかでもカウントしてそれを提出して自己満足する、みたいなものなのだが、中にはアラスカやアッツ島なども含む米国全土数千キロを常に移動し年間250日ぐらいを探鳥に費やすという猛者がおり、その猛者たちが自己レコードや「歴史上、最もアメリカ国土にいる鳥を1年間に見た人間」になるための挑戦を「ビッグイヤー」と呼ぶらしい。そのビッグイヤーの中でも稀に見る激戦かつ、もう二度と破られることはないであろう、1年間で745種類を記録した1998年のレースを、この本では3人のハードコア・バーダーを中心に追って構成している。
まずこの本ではバードウオッチングとアメリカ探鳥史を分かりやすく紐解いてくれる。そうかハンティングがエコになって、バードウオッチングに進化したんだ。。みたいな薀蓄が多数あった上で、いよいよ真打の3名の伝説のバーダー、即ち98年大会をぶっちぎりの1位で優勝したキャラも一番濃いサンディ・コミト、エリートビジネスマンにして何事にもスマートなアル・レヴァンティン、原発に勤める収入をすべて探鳥に費やし、女房にも逃げられた巨漢にして朝寝坊・大いびき男のグレッグ・ミラーが登場し、98年のビッグイヤーの詳細がつづられていく。
この本の帯にも「バカか偉業か?」と書かれているが、まさにおバカ全開のエクストリーム探鳥が展開されていく。1日数百キロの移動は当たり前。常に大しけの海に行ったかと思えば、人間が生きる上で極めて過酷な環境であるアッツ島に1週間滞在したり、あるいは空気も希薄な標高の山にヘリで探鳥をし、鳥の上から鳥を確認するといった完全に行過ぎたバードウォツチングがそこにに展開されていく。3人のそれぞれの立ったキャラもこの本のもう一つの味わいとなっている。(特にサンディ・コミトのキャラの強さは読者の頭の中に完全にイメージを作り上げる)
やがて物語はTOP3人が共に700種を超えていく異常展開でのデッドヒートをハラハラドキドキに描き出してくれる。そして、運命の大晦日、3人はそれぞれの過ごし方で激闘のビッグイヤーを終えるわけだが、そこにはそこはかとない余韻が生まれる。(サンディコミトだけ、早寝をして、翌日元旦から新たな探鳥を全く懲りずにやりはじめるのだが。。)
人はなぜは他から見ると大して価値のないことに夢中になったり、身持ちを崩してしまうほどにのめり込んでしまうのだろう。。この本の物足りなさとある種の凄みはこの3人がバードウオッチングの魅力をほとんど語らないところにあるし、そんなことはこの本の主題ではないのかもしれない。
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ザ・ビッグイヤーって?
米国で行われる世界最大のバードウォッチング競技会 です。
それにに挑む男と鳥の狂詩曲 ♪
「日本野鳥の会」が出しているノンフィクション。 面白そうです。
エピローグで、まったく野鳥のことを知らなかった著者(記者)が、
野鳥に興味を持ち、バードウォッチャーからバーダーへとはまっていくさまが描かれ、
これは読むと楽しいぞ!と引き込んでくれます。
結局時間がなくて、最初の方を読んだだけで中止。
映画化されたので、TVで放映されるといいけれど、見れるとは限らない!
DVDを買おう! (*^_^*)♪
→ 「ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して」 劇場公開日 2012年6月30日
DVD → ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して [DVD]
ジャック・ブラック、スティーブ・マーティン、オーウェン・ウィルソン主演で、北米最大のバードウォッチング大会「ザ・ビッグイヤー」に参加する男たちの姿を描いたハートフルコメディ。
愛鳥家にとってあこがれの大会「ザ・ビッグイヤー」は、1年間に北米大陸で見つけた野鳥の種類の数を競い合う、アメリカ探鳥協会主催の記録会。
しかし、その大会に参加するには、仕事や家庭に支障をきたすほどの時間とお金を費やさなければならない。
年齢も立場も違う鳥好きな3人の男が、夢と現実の間で葛藤しながらも、野鳥を探し求めて奔走する姿を描く。
監督は「プラダを着た悪魔」のデビッド・フランケル。製作総指揮にベン・スティラー。
内容と目次は
内容 :
一年間に北米大陸で見つけた鳥の種類の多さを競う記録会「ザ・ビッグイヤー」。
全てを投げ打ち大金をつぎ込んで鳥探しをする競技者・バーダー達の駆け引き…。
男のロマンを爽やかに描くノンフィクション。 スピルバーグ映画化。
著者 :
ジャーナリスト。
『デンバー・ポスト』紙在職中にコロンバイン高校銃乱射事件の記事でピューリッツァー賞を受賞。
熱心な探鳥家でもある。米国デンバー在住。
2013/11/12 予約 11/20 借りて読み始める。 読み終わる。
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ビッグイヤーというバードウォッチング競技会、その中でも、エルニーニョ現象によって歴史的な年になった1998年を舞台に、上位3名を追ったノンフィクション。
こんな競技があることを、まして自己申告するだけで観察数をカウント、順位を決めるルールで競技が成立するなんて、全く知らなかった。
とにかく凄い世界だという感想ではあるが、個人的には、途中は中弛みで流し読みしてしまった。
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【感想】
「ザ・ビッグイヤー」というバードウォッチングのコンテストがある。1月1日から12月31日までの1年間の間に、北米大陸で見つけた鳥の種類の多さを競うコンテストだ。しかも驚くべき(もしくはバカバカしい)ことに、鳥を見つけた数は「自己申告」である。誰に審判されているわけでもなく、証拠を求められるわけでもなく、ただ自分の満足のために、北米中を駆け回って鳥の数をカウントし続ける人々がいるのだ。
本書の舞台は1998年に開かれた北米ビッグイヤーである。主人公はニュージャージーの土建業者のサンディ・コミト、原子力発電所職員のグレッグ・ミラー、大企業の重役のアル・レヴァンティンの3人。生い立ちも職業も異なる彼らに共通するのは「鳥」のほかにない。
彼らは鳥のためならいかなる手間と金も惜しまない。カナダのバンクーバーで希少な鳥が発見されたと知らせがあれば飛行機に乗り、数時間の滞在でポートランドに戻る。その後車でカリフォルニア州の国立野生保護区に行ったと思えば、すぐにアラスカに飛ぶ。アラスカでは見ず知らずの人に家の裏庭に入れてくれるよう交渉し、極寒の中デッキの下にもぐり徹夜で鳥を待ち続ける。無事お目当ての鳥を拝んだら、今度はテキサスに向かう。4000キロの道のりと数百ドルのお金を費やし、得られるのはたった「1種類の鳥を見た」という実績だ。こうした突発的な移動を、本当に365日間行い続けるのである。
正直なところ、鳥好きでもない私からすれば(もし鳥好きな人から見たとしても)、彼らの行動はバカバカしさの極みである。自己申告制の競技のために1000万円以上も注ぎ込み、40万キロを移動する?妻と別れ、借金を重ねてまで鳥の尻を追い続ける?
だが読み進めていくうちに、彼らのバカさ加減がどこかうらやましく感じてしまうのも事実だ。船のツアーを申し込み、海上でしか見られない鳥を見つけに行く。嵐吹き荒れる希少種の楽園――ホテルも電話もレストランもなく、住んでいる人もいない孤島――に上陸し、雪とみぞれと暴風の中ひたすら自転車を漕いで鳥を探す。悪天候の中ヘリコプターをチャーターして、墜落の危険がある山頂に飛び立つ。こうした奇想天外な行動は、少年時代の情熱や興味を純粋に突き詰めた人だけができる「大人のロマン」だ。自らの気のすむまで、バカなことを全力でやる。彼ら3人を見ていると、自分もこれだけ盛大にバカなことをやってみたい、そういう気持ちに駆られてしまうのだ。
――もし人生の一年を好きなことをしていいなら、そしてそれをするのに一年しかないなら、あなたは何をするだろう?この三人の男はいずれも鳥を追うことにした。彼らの育った背景に奥深く潜む何かが、鳥にとりつかれた男たちに多大な影響を与えたに違いない。
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【メモ】
探鳥は、殺さずにすむ狩猟であり、傷つけずにすむ捕獲であり、家をごった返さずにすむ蒐集である。フィールドガイドを手に森へ入れば、人はもうただのハイカーではない。未踏の地を行く探偵となり、メキシコや南極、ときには近場のブロンクスからやって来た���かりの被疑者を追跡する刑事となる。泥だらけで沼地をかきわけ、ぜいぜいと山頂によじ登り、よたよたと砂浜でもがいていると、やがてこんな疑問にさいなまれる。いったい自分は探鳥を趣味とする立派な大人なのか、それとも宝探しに出かけた子どもにすぎないのか?
人生のある時期においては、石ころや貝がらや野球カードを集めても、文句なくまっとうな行為だと世間が認めてくれる。つまり誰にも執着というものはある。たいていの人はなんとかそれと折り合って暮らす。
しかし、探鳥家はそれにはまってしまう。鳥のリストを作りはじめ、管理ソフトをダウンロードし、鳥を数えるようになったら、もうあなたは(そして私は)救いようのない中毒にかかっている。冬の夜長、暖炉のそばで毎晩のように545ページにおよぶデイヴィッド・シブリーの探鳥ガイドのページを繰り、北米に棲息する35種のスズメのフィールドマーク(ある種をほかの種と区別する、見た目の特徴)を覚えこもうとしている自分に愕然とするとき、思いは耽溺から疑念に変わる。自分は変人なのか?頭がおかしくなったのか?
毎年元日になると、何百人もの人が日常生活を捨て、世にも不可思議なレースに参加する。そのゴールは、一年のうちにもっとも多くの鳥の種類を目撃すること。たいていの人は自分の住む地方か、広くてもせいぜい自分の州内の鳥ですませる。しかし、なかでももっとも苛酷で、もっとも金がかかり、時にはもっとも危険な最大のレースは、全北米大陸をまたがって行なわれる。これが「ザ・ビッグイヤー」と呼ばれるコンテストである。
「ザ・ビッグイヤー」にはルールらしいルールはなく、審判もいない。参加者たちは希少種が現われたという噂を追って、好きなときに、好きなように、飛行機、車、船などでアメリカとカナダの大陸部を移動する。獲物の写真撮影に成功することもあるが、たいていはライバルが信用してくれることを前提に、観察地点と日時をノートにメモするだけだ。年の終わりに、参加者は観察できた種の合計数をアメリカ探鳥協会へ自己申告し、協会は結果を雑誌サイズの文書にまとめて発行する。すると中学校のロッカールームよりやかましい噂話が巻き起こる。うまくいけば情熱と虚偽、恐れと勇気、探求と征服への根源的渴望とが、やみがたい勝利への衝動とまざり合った年になる。悪くすると、大金を費やすのみで人々の心はささくれ立つ。
ビッグイヤーは、つまるところ数のゲームである。北米にふつう棲む鳥は675種、1年は365日。1日2種見つければチャンピオンになれる計算だ。計算は簡単だが、いざ実行となると、それは狂気の沙汰である。
まず、鳥すべてが一か所にいるわけではない。鳥類学者によれば440種は陸地に棲み、190種が水辺に、45種が海の沖合を徘徊しているという。多くの鳥が自分のすみかについてはひどく気むずかしく、たとえばムラサキハマシギとチシマシギは姿も声も渡り方もほとんど変わらないのに、ムラサキハマシギは荒波の砕け散る北大西洋にしか棲まず、チシマシギは太平洋に棲息する。その翼で自由に飛びまわれる生き物のくせに、どうして片方は大洋の朝日を浴びなければ気がすまず、もう一方は夕日を好むのか?答えは誰にもわからないが、ビッグイヤー挑戦者はこの両方を見なければならない。
もうひとつの問題は探鳥地点が移動することだった。鳥の渡りは地球という惑星における自然の驚異のひとつで、毎年少なくとも300の北米種がその衝動にあらがえずに移動する。たとえばクロボシアメリカムシクイは毎年5月にノースウッズの湿地に巣がけするが、8月になると、この黄色と灰色の恩知らずな小鳥はその地をさっさと見捨てて、樹上300メートルの上空をひたすら南下し、6,400キロ離れたペルーのアンデス山脈東部の越冬地に移動する。したがってビッグイヤー挑戦者が北米でこの鳥を見られるのは5か月間である。クロボシアメリカムシクイは、繁殖地から渡っていくとき、あるいはそこへ戻るときに簡単に見られる鳥なので、「おまけ」鳥とみなされる。
まあこんなぐあいで、それぞれの鳥にそれぞれ異なる困難が存在する。ビッグイヤーに勝つためには北米大陸産675種をひとつひとつ調べ、いつどこで、どうやって見るかを把握しなくてはならない。渡りの時期は早いか遅いか?陸路なのか、海路なのか?大西洋、太平洋、ミシシッピ河、大陸中央部、どの飛行ルートをとるのか?一羽だけで飛ぶのか、それとも群れて飛ぶのか?アメリカ南部で越冬するのか、それとも北米大陸を離れてしまうのか?しかも多くの場合、通報があったら即座に動く必要がある。
正しいタイミングで正しい場所に到着できれば、北米産675種すべてを見られると考えていい。問題はビッグイヤーの最高記録が721種だということだった。北米産は675種しかいないのに、どうやってそれだけの数をこなせるのか。答えは放浪種と偶然種である。渡りの途中で迷子になる鳥は必ずいる。ハリケーンや台風でコースをはずれたり、家族で自動車旅行中の父親のように、方向を確かめるのを潔しとしなかったりするからだが、いずれも本来北米に属さない鳥が北米にたどり着くという結果になる。しかし、だいたい大陸の端っこの僻地にあらわれるクセがある。
「北米希少種注意報」(NARBA)という選定の厳しい団体の会員資格がある。25ドルの年会費を払うと、いつどこからでもヒューストンのホットラインに電話して、最新希少種の居場所を即座に教えてもらえる。さらに鳥一羽につき15ドル払うと、とりわけ貴重な最新種が現われたら、「何はともあれ駆けつけろ」という緊急コールをただちにもらえることになっている。
計画通り出発した矢先に放浪種や偶然種が現れたという情報が飛び込んできたらどうするか?計画にしたがって数十の国産種を見に行くべきか、それともちょっと脱線して、安いフライトで一世紀に一羽という偶然種を見るチャンスに賭けるべきか?このジレンマにはいつも胸をかきむしり、アドレナリンがあふれ出る。
アメリカ探鳥協会によってサンディ・コミトのビッグイヤー745種の記録が発表されると、トップ探鳥家たちは仰天した。この数はほとんど想像を絶していた。もっとも、これは月ロケット打ち上げみたいなもので、公正ではないと言う者もいた。アームストロング航空士のあと、人々は月面を歩いたが、コミト、ミラー、レヴァンティンのあとでは、700種すら達成できる人はいまい。コミトは史上最強のエルニーニョと、アッツ島世紀の旅の両方に遭遇したのである。
こういう旅行のできる穏やかな時代だったせいもある。現在のようにいよいよ厳しくなる国境管理や空港警備の中では、土壇場の43万2,000キロを達成するのは容易ではない。こうしたさまざまな理由で、コミトの記録はもう破れないかもしれないと言われている。