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大森藤頼だか、氏頼だかが何となく可哀想な気がした。この場合、早雲を相手にしたのが不幸だったか。
三浦道寸にも同情する。
早雲は80歳過ぎても戦争に明け暮れていたというから、スゴイじいさんが居たものだ。
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久し振りに読んだ司馬遼太郎。
北条早雲はどうやらすごい人らしい、ということで以前から読んでみたかったので。
伊勢家の末流として京の中枢近くで応仁の乱を経験した新九郎(早雲)は、足利政権や支配層に対し、諦めと絶望感を抱いていた。
その早雲が目指した国の形とは――。
最近、読みやすいイマドキ歴史小説を読むことが多かったので、ちょいちょい差し挟んでくる時代背景の説明が、まだるっこしい。
全3巻あるこの小説も、解説部分を切り詰めれば、きっと上下2巻くらいでおさまるのではないかと思われます。
が、結局、それらの背景説明が、読み手の想像力の助けとなり、物語に厚みと説得力を持たせるということがわかっているので、あせらず読む。
そして、登場人物の性格分析と内面描写の丁寧さが司馬作品の持味でもあり、さらに作品世界に読者を深くつなぎとめてくれる。
うーん、さすがだな、と思いつつ、やはり冗長である事は否めない。後半に進むにつれて勢いが弱まっていくような気がしました。
今回は地元周辺の歴史ということもあり、いつもと違う面白さがありました。
今度は富樫倫太郎の早雲を読んでみたい。
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3巻分もいらなかったね、1巻もあれば十分。序論が長すぎた。早雲は文献が残ってないのだろうから、もっと自由に創作してくれた方が良かった。
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早雲に関する史実をよく分かってない状態で読んだので、想像とは大分違う展開でした。。
相模一国をものにする過程の長さ、自分の長長命への確信が何とも不思議な感じがしました。
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室町時代(応仁の乱)から戦国時代の幕開けまでを生き切った北条早雲について焦点を当てた小説です。時代の移り変わりにいち早く対応する姿は今読んでも参考になるなと思いました。
上巻の感想にも書きましたが、応仁の乱後の京都・関東の流れを手軽に知りたいひとにお勧めできます。
信長の野望等の戦国時代にフォーカスしたゲームで早雲の名前は後北条家の説明に多く出てきます。しかし、ゲーム内では既に死去していて謎の多い人物という印象でした。
伊勢家の末流であった伊勢新九郎が歴史の舞台に駆け上がるまでとその背景がわかり、新しく感じ面白い作品でした。
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この小説は、北条早雲が箱根の坂を越えて関東を制覇する話のはず。
しかし上巻中巻ときて、未だ箱根の坂を越えない。
下巻の400ページで本当に関東を制圧できるのか?
北条早雲、50歳を超えているぞ。
自分たちの欲得のための戦いをするだけで、何ら生産性のない守護や地頭などの武士階級。
貴族化しつつある彼らは、農民が作る米や野菜を、国人たちの労力をただただ消費するのみで、疲弊しきった農民や国人には何の見返りも与えない。
鎌倉時代に比べて農業生産性が格段に上がった室町時代。
農民や国人たちから搾取するだけの守護や地頭を無視し、早雲は直接彼らと語らい、破格の低税率で領地の経営を行っている。
しかし、たった伊豆だけの領地では、大勢の足軽たちを養っていけないのも事実。
早雲の目は小田原、そして三浦半島へとむけられる。
がしかし、200ページを過ぎても、早雲はまだ箱根を治める大森氏呼びつけられる身分である。
300ページに至っては、関東管領である扇谷上杉家と山内上杉家の争いに巻き込まれ、敗走中だ。
大丈夫か?
「南総里見八犬伝」のように下巻の一、下巻の二と続いていくのか?
「いくさに勝つには、潮がある。わしはそれを待っている」
といった早雲が、ようやく小田原城と西相模を手に入れたのは64歳の時。
箱根を打ち破ったのは81歳!
ここぞという機会が来るまで早雲はずっと待ち続けたのだけど、戦はしていた。
早雲の主である今川氏真が兵を出せと言えば、すぐさま駆け付ける。
そういった意味では、早雲は下剋上を当たり前とした戦国武将とはちょっと違う。
最後まで氏真を立てた。
そのために伊豆に基盤を置き、主に迷惑をかけないように自分の力だけで領地を広げていったのだから。
”孟子がもっともいやしんだのは、武力で天下を切りとろうとする覇である。孟子における覇の価値は、ほとんど盗賊というほどに低い。ところが、覇も仁を仮にとなえる。仁を布(し)くために武をおこなうのだ、という。孟子は、覇のそういう性根をいやしむのだが、早雲の書生じみたおかしさは、この期になってそういう倫理観にこだわっているのである。”
仁を布き、義を尊んだ、礼の人北条早雲。
日本の歴史の中で唯一無二の存在ではないだろうか。
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義という論理は、仁のように人の自然の情の中に含有されておらず、人にとって外に存在している。義の字義には、道理。すじみちという意味もあれば、同時に「外から仮りたもの」という意味もふくむ。善きものである仁や悪しきものである利とはちがい、義は人が、いわば私情を殺して意志力で外からひきよせ、行動目標もしくは、ばねとするもので、義をおこなうのは情としてはつらく、しばしばわが身を危くもする。しかしながら、義がなければ国家にも個人にも美しさがない、と氏綱はいう。さらに、美しさがなくて繁栄をえたところで仕方がないものだ、と氏綱は痛烈にいうのである。孟子は、利をきそいあう戦国の諸侯たちに仁・義を説きまわってついに容れられることがなかった。書生論であるとも思われた。が、氏綱は、この置文という家憲により、本気で息子に義を相続させようとしているのである。
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司馬遼太郎といえば一番好きなのはやはり『燃えよ剣』。司馬遼は古い文献から破片を集めそこから人となりやストーリーを想像し気持ちが盛り上がったところで一気に書くそうだ。あとがきにそんなことが書いてある。そして謎に包まれた北条早雲の人生を取り上げた。人生40年の時代に早雲が歴史に現れるのは応仁の乱後の45歳。そして88歳まで駆け抜ける。早雲の凄さは農民の幸せを考えて統治した初めての政治家ということ。室町末期の公家崩れや田舎侍を倒しまくるのは正直迫力がない。そして人生の全盛期が50歳以降だから戦に燃える若き血も恋も冒険もあまりない。本当はもっと弾けて欲しいのだが司馬遼太郎はいつものように抑えて書く。それでも面白いのは早雲が足利将軍家側近の名門家にありながら、義を尊び、守護大名制度をぶち壊し下克上も辞さない戦国時代の幕を開けた当事者だからだろう。
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日本の戦国時代、そのスタートを切った北条早雲の戦国大名になるまでがついに描かれます。京都から始まったこの物語は、序盤が長過ぎるように感じますが、時代の先駆者である早雲を鮮やかに描き出すために必要であったことがわかります。早雲とともに旅をしてきた長い物語は、ついに箱根の坂を超えます。当時、駿河、伊豆までが京都の力の及ぶところであり、箱根の坂を超えた関東は別の領域であったと司馬遼太郎先生は記載します。とても良い読書体験となりました。