投稿元:
レビューを見る
フェルミのパラドックス(地球外知的生命体がいるのなら、なぜ我々は彼らにコンタクトできていないのか)について、考え得る様々な回答のうちから50を選び出し、「すでに来ている」「まだ連絡がない」「いない」の三通りに分類し解説を加えている。取りあげられている説は、可能性がゼロに等しいものから、現時点ではかなり有力と思われているものまで多岐にわたるが、それぞれの説について簡にして要を得た解説がなされており、その検討過程で、生物学、地質学、宇宙物理学等様々な関連分野の知見にも触れることができる。もちろん、明確な結論が出るわけではないが、こういうある問題を設定し可能性を一つ一つつぶしていくというプロセス自体が一種の知的遊戯であり極めて楽しい(もっとも、問題自体が魅力的で、また多様な回答が引き出せるものであることも重要)。この種の科学書については、好みがわかれるところであるが、私は大好きである。
投稿元:
レビューを見る
2004年に読んだ本のなかでイチバン興奮した一冊。この宇宙に私達以外の知的生命体は存在するのか? 知的好奇心を刺激してくれます。
投稿元:
レビューを見る
......Where is Everybody?
「宇宙がエイリアンだらけなら、
見つかっていても良さそうなものなのに
なぜ未だに見つからないのだろう?」
これは「フェルミのパラドックス」と呼ばれるものである。
果たして宇宙人はいるのかいないのか?
真面目に大の大人が考えた50の答えを紹介する本。
答えを大まかに分類すると、
「実はもう来ている」
「存在しているが連絡は無い」
「存在しない」
この3タイプに分類される。
いくつか例をあげると、
「彼らはもう来ていて、ハンガリー人だと名乗っている」
「通信する気がない」
「宇宙はわれわれのためにある」
などなどこのような調子で50の解が挙げられている。
ちなみにフェルミは原子力の父と呼ばれ、
原爆の製造に多大な貢献をした人である。
最後まで原爆投下には反対しましたが。
今では「フェルミ推定」のほうが有名かもしれない。
マイクロソフトの入社試験に用いられて有名になったもので、
「シカゴにピアノの調律師は何人いるか?」
など具体的に数字を出しづらいものを
論理的に考え概数を推定させるものである。
この考え方は仮説の検証の要所要所に用いられている。
50の解は所々重複しててくどいと感じるかもしれない。
しかし面白くて飽きさせない本だと思います。
投稿元:
レビューを見る
こんなにも宇宙は広い。気が遠くなるほど。
でも、そこには地球人以外の知的生命体は確認されていない。みんな(他の生命体)はどこにいるの?
この本では、この問いに対するさまざまな答えのうち、代表的な50個の答えを
?宇宙人は存在して、すでに地球に来ている。
?宇宙人は存在するが、まだコンタクトがない。
?宇宙人は存在しない。
の3つに分けて解説する。
テーマの性質上、理系の話が多くて分かりづらい部分が多少あるが、とても面白く読んだ。
宇宙は本当に広い。気が遠くなるほど。
だからこそ、もしかしたら地球人しか知的生命体は存在しないのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
以前「ヴォイニッチの科学書」というpodcast番組で紹介されていたので購入した本です。
宇宙人はいるのか?いないのか?いるのだとしたらなぜ見つからないのか?
その疑問に対して科学者がまじめに議論して導き出した答えと言うかそんな感じの理由が50ほどつづられています。
あぁ別の惑星ってことは環境や文化がまったく違う可能性もあるので、一口に宇宙人に出会えない理由といってもいろいろな要素があるのだなぁ…と考えさせられました。
投稿元:
レビューを見る
一見、夢のなさそうな題名をしてるけど、実は夢いっぱいな内容でとても面白い。
この本からは広い宇宙でぼくらとは別の人類を探すということがいかにストイックな姿勢を要求されるかということを学べた。
これを読んだら「だからって宇宙人がいないとは限らないじゃないか」なんて考えはもう恥ずかしくてできなくなる。
投稿元:
レビューを見る
私の考えは、生命が確認された星には、他の文明は近づかないルールがあり、しかも、この太陽系よりも魅力的な惑星郡が、他にたくさんあるのだと思います。
だから地球外知的生命体は、地球には来ないのではないでしょうか?
投稿元:
レビューを見る
納得できる理由を50も並べられたら、宇宙人に会えないのも無理無いか、と思ってしまう。
死ぬまでに宇宙人に会いたいな。
投稿元:
レビューを見る
神と宇宙人と幽霊はたぶん同一人物だ。いずれも自我の延長線上に位置するもので、人類共通の願望が浮かび上がってくる。で、少なからず見たことのある人はいるのだが、連れてきた人は一人もいない。
http://sessendo.blogspot.com/2011/10/etc50.html
投稿元:
レビューを見る
1950年の夏,ロスアラモス。テラーらと昼食中のフェルミが唐突に「みんなどこにいるんだろう」と疑問を発した。地球外からの来訪者はなぜいないのか?
銀河系には何千億個の恒星があり,惑星もそのくらいはあるだろう。中には生命の存在を許容する地球型惑星もあるはず。銀河系ができて膨大な時間が経過しており,その中には技術を発達させて地球にコンタクトしてくる文明があるはずだ。それなのになぜ来ないのか?これがフェルミのパラドックス。
フェルミより前にこの疑問を表明した人(ツィオルコフスキー1903)もいたが,フェルミの名前が冠されるのは,彼が大雑把だけれども出鱈目ではない数の概算を得意としていたからという(フェルミ推算)。「シカゴにはピアノの調律師が何人いるか」みたいな。p.25
本書は,このフェルミのパラドックスに対する50の解答を紹介。解答はざっくり三つの群に分けられる。「実は来ている」という荒唐無稽なものから,「存在するがまだ連絡がない」,「存在しない」というものまで。最後の解50で著者の意見が開陳される。
解答は独立しているわけではなく,どれか一つが正しい解答というわけではない。示された解答の複数がからみあっているのかも。こういう問題に取組むには自由な発想が必要で,SFとの関連も深い。ブレインストーミングのようで面白い。しかも,物理学者の著者がフィルターかけてくれるので嬉しい。
「実は来ている」説の中にはUFO実在論もあったりするわけだが,「実は来ている」の亜種で,「動物園シナリオ」というのが面白い。地球外生命は,自分たちの存在を気付かせずに地球人を観察しているんだよ,というもの。人類は地球という自然公園で保護されているのかもw。
著者の結論は「存在しない」というもの。地球人が唯一の知的生命で,ETはいない。理屈としては,地球が例外的に恵まれた環境にあったということ。天動説の再来,人間原理という感じが濃厚だけど,結局そうなのかも。本書は「…かもしれない」が何百回と出てくるが,誰にも確かなことは分からない。
人類誕生が僥倖だったというのは,いくつかの解答が根拠を述べている。継続的に居住可能な領域(CHT)はとても狭いのかも。木星があの位置にあることや,大きな月があることや,プレートテクトニクスがあることは,めったにないことで,それらは生命の誕生・進化に多大な貢献をするのかも。
長い間近くに超新星がなかったことや,ガンマ線バースター(GRB)に遭遇しなかったことも奇跡なのかもしれない。有機物から最初の生命が誕生するのはほとんどありえないことなのかもしれない。答えはなくて,いろいろな可能性を探るだけだが,読んでてとても楽しかった。
投稿元:
レビューを見る
この本も最近読んだ「宇宙から恐怖がやってくる!」と同様の崇高な最新科学に基づいた味わいの深い考察本で、同様にタイトルで相当誤解というか損をしている本であると思います。20世紀を代表するフェルミが出した世紀のパラドックスである「彼ら(ETC、知的生命体、宇宙人)はどこにいるんだ?」という問いに対して、50に絞った代表的な解答を順次挙げてその問いに迫っていきます。その50に絞った解の内容が、この上なく幅広くて面白いのです!SF小説にありがちな推測から、現代物理学、天文学、生物学を始めとして著者の軽快な語り口はともすれば難解な題材を、非常に興味深くそして分かり易く解説していきます。先の「宇宙から~」でも触れられていたガンマ線バーストなどの最新宇宙物理から、無機質と生命体の境目となる事象の解説まで、実に多岐にわたる分野を網羅している科学本です。正直、著者の語り口の妙技もあるのでしょうが、50のみならず100でも1000でも解答を読みたいと思わせる内容で、一つの問いかけに対してこれだけの分野を網羅する解答が生まれるというのは、この本の醍醐味であると同時に、人類そして人間の存在の意味に迫る謎かけであったのだと読んでいるうちに気付かされます。
そして圧巻というか衝撃の最後の50番目の解で、著者の意見ではあるものの、フェルミのパラドックスに対する結論が語られます。正直、読み進めているうちに最後の結論になって欲しくないと願いながら読んでいる自分に気付きました。最近では読み終えてしまうことがこれだけ名残惜しいと感じた本は久しぶりです。できれば50番目に辿り着かずに、もっとこのサイエンス・エンターテイメントと呼ぶに相応しい本書を少しでも長く楽しんでいたいと感じずにはいられませんでした。
50番目の解であると同時に著者が導いた結論でもあるクライマックスは、本当に衝撃的です。(ここで、まだ未読の方は是非、本書を読んでからにすることを強く勧めます。この本ほと先に結論を知ってしまうのは勿体なくもあり、悲しくもあります。色んな意味で。。。)
50番目に至るまでに既に解説された内容から、「彼ら(ETC)」がいるのかいないのかの択一の解は既に得られていることが、最後に分かります。フェルミが問いかけた、またドレイクの方程式から導かれ期待できるはずの「彼ら(ETC)」の存在は、「フェルミのふるい」なる理論からは存在しない、すなわちこの広大な時空と気の遠くなるような永劫の時間を有する(はずの?)宇宙には我々人類のみが存在するという結論がフェルミパラドックスの解として導き出されます。正直、本書を読むまでは自分自身がETC肯定派であり、今までのSF小説も交えたつたない知識からも、この広大な時空を有する宇宙に我々人類しか存在しないことは有り得ないと考えていた自分がいました。しかし、その根拠は多分に広大な宇宙が存在するという事実だけに依っており、また逆説的にこの広大な宇宙に人類だけが存在するという事実を直視したくなかっただけなのかも知れません。天文学的な数値になるはずの宇宙の惑星の数(今までだけなくこれからの時間も含めての数)が、本書で語られるたった50の解のふるいの過程であっけなく、1(すなわち地球だけ)になってしまう事実には驚愕するとともに、底知れぬ孤独感を感じざるを得ません。
私が愛して止まないSF小説も含めて、今までに人類だけが宇宙の唯一の知的存在という事実は無かったと記憶しています。暗黙のうちに、この広大な時空である宇宙を人類以外の何かと共有しているはずだという期待は、実は何ら根拠があるものではなく、逆に今分かっている事実から導き出される結論は、我々人類のみがこの宇宙を唯一意識できる存在だということが説得力を持って突きつけられます。その意味では本書ほど、衝撃的で悲しい結論はないとも言えますが、この結論を別にすればこれほど楽しくまた自分が賢くなれたと感じる本は久々です。本書では軽くしか触れていませんが、人類の脳が進化の過程で複合的に物を考える過程で「意識」が生じたのではという推論は、それだけでも一冊の書籍になりそうなテーマを含んでいます。
ともあれ、本書は純粋に極上のサイエンスものとして楽しむことが出来るとともに、一通りの知識をおさらいした後に突きつけられるこの上なく重い事実、「この宇宙で人類だけが唯一の知的存在」という内容は、傲慢であるとかいう次元を超えて、自分を含めた人間という存在の意味と意義について一つの解を与えるものではないかと思わざるを得ません。最後に本書からのラストを引用します。「「自己意識を持った唯一の動物、愛とユーモアと思いやりの行為で宇宙を明るくできる唯一の種が、ばかげたふるまいで自ら消えようとしているのかもしれない。われわれが生き残るなら、探検して自らのものにできる銀河がある。自滅したら、故郷の惑星を飛び立てるようになる前に地球をだめにしたら。。。別の種の生物がその惑星から夜空を見上げ、「みんなどこにいるのか」と思うようになるまでには、長い長い時間がかかることだろう。」」
この最後の「長い長い時間」の意味は、ひょっとしたら未来永劫、人類のような存在はこの宇宙に存在し得ないという含みがあるように思えてなりません。想像の世界ではさておき、現実にはいまだに地球から一歩も生活圏を広げられない我々は、信じられないような奇跡のチャンスの存在を自ら認識することなく消えてしまうリスクの時代を生きているのでしょう。そう遠くない将来に、地球が宇宙という時空の中の一つの故郷となり、知的存在がこの宇宙を探検している時代が来ることを願って止みません。そして今の時代をなんて危険で不安定な時期があったのかと振り返る存在になることを祈りたいですね。
と、久々に長い書評になりましたが、本書の事実の前では私の好きなジーリーもタイムマシンも存在しえないのが現実のようです。それでも、本書にもある130億年を1年とした宇宙カレンダーでは、人類は1時間も生きていません。この先に膨大な時間とチャンスが約束されていると信じて、眠りに着きたいと思います!
投稿元:
レビューを見る
今、読み終わった。私は、地球で出しているテレビ、ラジオの電波が届くならば、他の異星人の文化の雑音、日常生活に使われる電波が届くはずだから、それが届かないと言うことは、異星人の可能性が低いと思っていたが、この本によると地球で使われている日常使われている電波、テレビ、ラジオは、光年の距離を届くことが出来ないらしい。それならば、まだ、見つからない。また、大きな電波望遠鏡がなければ届かない。あるいは、特定の周波数、特定の場所に放射しなければ届かないのであれば、見つかっていないこともあり得ると思ったが、でも、宇宙が誕生してから、長い時間が経っているが、まだ、この異星人の痕跡も認められないことから、異星人は、それほど、数は、多くないと思います。が、最近のSFの方向がなぜ今のようになったのか、昔のように広大な宇宙を舞台にするSFよりも、そうでないSFの方が、SFベストの上位の位置を占められているかわかった気がします。
投稿元:
レビューを見る
49まで、地球にしか知的生命体が見当たらないことを真正面から論じる。50番目で著者の結論が、それまでの議論をふまえて展開される。実に多角的な検討だ。うんざりするほど、これでもかこれでもかとしらみつぶしに検討している。その執念に科学者の魂、批判精神を見るのは私だけだろうか。
・シミュレーションでは、惑星系の遠い領域に木星級の質量がある惑星が形成されると、水を伴う地球級の質量の惑星ができることが示されている。
・一般的な知能を測ると、たいていの動物がほぼ同じ水準の成績になる。(生きるための知能に甲乙はつけられない)
投稿元:
レビューを見る
宇宙人がいる証拠が見つかっても良さそうなのに、証拠がない矛盾について、50の点で検証している本。
もう来ている、存在するけど連絡がない、存在しない、で構成されています。
内容は量子物理学、科学、哲学、生物学などまで網羅していて幅広く、難しいですが興味深かったです。
この本ほど、偏った見方や考え方に陥らないよう注意していくつもの仮説が述べられている本は初めてです。
自分がいかに日々物事を偏った見方で見ていて、それを無意識に当たり前と思っているかも気づかされます(本書を読んだ副産物かもしれません。)。
とてもじゃないですが、ここに仮説をひとつひとつここにかけません。
著者の結論は、かなりおおまかに言うと、地球と同じような星の数から、地球に起こった偶然の出来事が起こらない複数の仮説の確率を引いたら、人間と同じほどの生命はいないのでは、というもの。
印象深かったのは、宇宙の歴史を1年とすると、科学ができてから今まではたったの1秒ということ。
1年の12月31日の23:59に初めて科学が始まったにすぎない…
このことを思い知らされると、科学で何かを支配したりわかった気になってしまうのがちっぽけに感じます。
読み進めるうちに、人は本当にちっぽけな生き物というのと地球に生まれてきた不思議と奇跡を感じずにはいられませんでした。
「地球の生命には途方もない統一性がある。すべての生物は、ごくわずかな例外を除いて、同じ遺伝子のコードを使い、それによって一定のDNAの鎖が一定のポリペプチドを特定できるようになっている」(292p)など。
今まで生まれてきた人類の数は約700億…私たちは700億番目というところ…など…
奥深い本です。
投稿元:
レビューを見る
1 みんなどこにいる?
2 フェルミとそのパラドックス
3 実は来ている
4 存在するがまだ連絡がない
5 存在しない
6 結論