投稿元:
レビューを見る
これもまたナベツネ本と同じく精緻に取材に基づく権力者・野中広務の評伝。差別される環境に置かれ、差別と闘ってきた野中の人生を振り返り、権力者・野中の出来方を調べ上げた本。果たして彼は権謀術数の人間なのか、それとも差別と闘う弱者の見方なのか。読んでみて、判断して欲しい。
投稿元:
レビューを見る
正直ちゃんと読んでませんが。
ところで、差異がまったくない中での差別は他にあるのでしょうか?
僕は部落差別に直接触れたことがないので全然分かりませんが、そこは考えてみたいことですね。
投稿元:
レビューを見る
あ、渋いかも、私何でこんなの買ってきたんだろう、と思ったのだけれど、実際読んでみるとかなりエンターテイニングな一冊だった。やっぱり人物について掘り下げていくっていうのは良い。部落差別は平安から?という説、知らなかった。
投稿元:
レビューを見る
部落出身の政治家の野中さんのパワフルな半生。共感できる部分も確かにあった。蜷川さんとのやり取りは興味深かった。
投稿元:
レビューを見る
人の弱みか隠したいところを探し出し、それをもとに脅して言うことをきかせる、、、。これが権力の姿だろうか。。。
敵の中にも見方をつくっておく。
言い面、悪い面両方の一番いいとこを取って、利用する。。。か。。。
投稿元:
レビューを見る
追悼番組で故人・後藤田正晴さんが野中広務さんを非常に信頼されていたことを知り、興味が湧いて読んだ。さっと政治の世界から抜けられたのも印象に残っていた。そのバックボーンを知り、氏に対する印象が大きく変わった。
投稿元:
レビューを見る
政局の鬼、部落出身者、差別に関して厳しく、そして温かい野中広務の本。
野中広務の半生とともに、情報収集能力、脅しや弱者へのまなざしから、総理候補までになった人間である。と同時に、政局のみであって、パイプ役までしかできないことが限界でもあった。
特に政策では、親共、反小沢と政局のためには自説を曲げる人でもあった。
投稿元:
レビューを見る
一気に読んでしまった。まず選挙違反の大胆さに圧倒される。野中さんこそまさに調整型。大きな流れを作り出す程の力はなかったという訳です。加藤の乱時に感じた、やり場のないがっかり感、閉塞感を思い出しました。
投稿元:
レビューを見る
参加している勉強会の関係で読みました。まず感じたのは著者と著書作成に関わった方々への感謝でした。長い年月をかけて「差別」というなかなか踏み込みにくい領域へ入り、取材を続けこのような著書の恩恵を受けられたことに、強い感謝を覚えました。
この著書を読んで感じたのは、何かを成し遂げるには権力が必要だけど、目的無き権力闘争は衰退しかない、ということでした。著書で描かれる野中さんの行動の断片に対して、共感する箇所と反発する箇所が交互に描かれているように感じました。"政治家"としての野中さんの行動に対しては反発する場面が多く、"部落民"としての野中さんの発言には、共感・感動する場面が多かったようにも感じました。
また自民党内の内部闘争の激しさに関しても、書籍を通じて少し触れることができたような気がします。自民党一党独裁の時期に、党は首相を決める際各派閥から順繰りに首相を決めていたようなイメージがあったのですが、本書で描かれる田中角栄以降の国会議員による権力争いは、とてつもなく過激でした。時に票を得るために団体と繋がり、時に票を盾にして相手を取り込み、敵の過去の不祥事を暴くことにより相手を先頭不能にする。
そういう人のやりたがらないことを、権力と差別の狭間で戦ってきた野中さんは得意とし、だからこそ権力の階段を上がることができたのだなあと、感じました。
頭の中に断片的にあったあった田中角栄以降~小泉内閣発足までの流れに串を差してくれた一冊。良著です。最後に本書のなかで印象に残ったフレーズを以下に挙げます。
・「政敵たちを震え上がらせる恐ろしさと、弱者への限りない優しい眼差し。」
・「野中が行政に求める同和対策事業は部落民と周辺住民の「融和」をはかるもので、部落民だけを特別扱いする事業ではない。そんなことをすれば、部落民は周辺住民の妬みの対象となり、地下に潜っていた差別意識が一気に噴き出してくるというのである」
・「野中はんのなかには、差別に憤る部落民としての野中はんと、政治家としての野中はんが2人おるんです」
・「建設業者には集票力があるんです。小さな地元業者でも、その系列下には畳屋や水道、電気工事など、3,40業種あって、それらが集まって協力会をつくってるから、選挙になると威力を発揮する」
投稿元:
レビューを見る
これを読むとわかったような気持ちになるが
この程度で全てがわかるほど、政治家の中身は薄くないはず。
投稿元:
レビューを見る
部落差別に苦しんだ幼少時代から、大阪鉄道局での活躍。そしてそこでも経験した部落差別体験から出身地・園部へ戻って町会議員への挑戦。そして園部町長、京都府議、京都府知事、衆議院議員、官房長官、幹事長と権力への道を駆け上っていった人生は大変ドラマティックです。蜷川虎三への支持・対決と揺れた微妙な関係も興味深いものがあります。その権謀術数の数々がが差別体験とも無縁でなかったことを痛感しました。そして小泉政権誕生、小泉2選の際の野中待望論に対して立候補しなかったその理由にもそれが影響していたというのは、ショッキングな内容です。最後に野中が引退を決めた際に麻生太郎・政調会長に向かって言う言葉は日本の底知れぬ恐ろしさを感じました。「あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」この言葉に総務会は凍りつき、麻生は顔を真っ赤にして俯いたままだったというがが、事実なのでしょうか?小沢一郎の凄さが良く語られますが、この人も劣らずに一方の歴史を作った人物であることを思い知らされます。この本は必ずしも野中を持ち上げるわけではなく、その豪腕辣腕と弱者への優しさの2面性を強調しています。細川・羽田連立政権の崩壊、自社の運命的和解による村山内閣の誕生、河野総裁を蹴落としての橋本総裁・首相の誕生、梶山静六の失脚と小渕政権の誕生、加藤紘一の乱の失敗などここ数年の日本政治史は野中を抜きにしては語られないようです。とにかく凄い本でした。丁度、台風23号により舞鶴・豊岡方面の水害がニュースになりましたが、野中・園部町長は水害復興により、中央からの支援獲得で名を上げ、また町財政も豊かになったとのこと。今でもそのような面はあるのでしょうか?
投稿元:
レビューを見る
野中広務という政治家を通して、差別や人権、金と権力という現代日本の政治システムを陰に陽に動かした力を描く。差別はいけないという通り一遍のタテマエではなく、本書の執筆自体を当事者である野中自身に問い詰められながら、それでも書くことを「業」として選ばざるを得なかった著者の気迫がにじむ。
あまりに情報収集とその処理という実務能力に長けていたため、権力への階段を駆け足で上がっていった野中は、一方でその師である角栄のような「大きな構想力」はなかったと著者は言う。いつしか目の前の仕事を誰よりも早くこなすことに自らの存在意義を見出し、所謂「一番病」となって官僚機構に操られてしまう。そして最後には「総裁」という大きな壁の前にまたしても自らの出自が立ちはだかる様を見せつけられ、永田町を去る。
投稿元:
レビューを見る
先日の研修に刺激を受けて気になっていたコレ読了。うーんとちょっと違っていた、どっちかというと当時の自民党・政界ルポ。もっと深い闇のようなものが垣間見えるかと思ったのだが…。
投稿元:
レビューを見る
4-06-212344-4 357p 2004・8・9 6刷
野中広務 差別と権力 (講談社文庫) の元になったもの
投稿元:
レビューを見る
権力闘争とはかくも熾烈なものか、差別と闘う為に差別を利用までしなければならないのか、考えさせられる本であった。