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紙の本
「平和ボケワクチンの開発」
2005/04/13 18:09
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:植田那美 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「戦時体制下の省察」という副題を見たとき、間抜けにも歴史物かと思ってしまった。が、目次をめくり、自分が平和ボケであることを知った。「壊れゆく言葉−有事・戦時下の言論状況−」、「出兵兵士を見送って打ち振られる日の丸の小旗の戦慄と衝撃」、「「始めに戦争ありき」とする時代錯誤」など、本書に収録されている文章は殆どが2001年9月11日以降に綴られたものだ。自戒を込めて思うが、平和ボケとは決してよく言われるような一国平和主義や危機管理の欠如などではなく、自らを安全地帯に置きながら戦争を支持あるいは批判することではないか。自宅のテレビの前に寝そべりながら戦争の「実況中継」をゲーム感覚で楽しむこと。自分もどこかでそれに荷担しているかもしれない戦争の野蛮に対する無謬の告発人になること。言ってみれば平和ボケとは戦争に対する完璧な傍観者なのだ。
「「国家と戦争」異説」という本書の趣旨をあえて一言でいえば、それは人間には国家が必要であるとか、世界から戦争をなくすことはできないといった「常識」を蹴散らせ、ということだ。実際、18世紀以降に誕生した国民国家という概念も、その起源に諸説ある戦争の歴史も、「600万年の人類史のなかではごく新しい出来事であ」り、「ヒトの歴史を六メートルとすると」国家の歴史は0.3ミリ弱、「戦争の歴史は一センチ強にすぎない」という。にもかかわらず、私たちはそれに肯定的であるか否定的であるかを問わず、国家や戦争に翻弄される。それ以上に恐ろしいのは、振り回されることへの慣れが、両者を人間に不可避な属性として仕立て上げていることだろう。まるで私たちが国家と戦争なしでは生きることも死ぬこともできないかのように。著者はこうした「「国家と戦争」定説」を容赦なく粉砕する。その論理は「今ここ」を真摯に見つめる者ならではの優れた空間的歴史的射程をもって読者を挑発する。「おまえの敵はおまえだ」という言葉によって徹底した自己批判をも厭わない著者は、読む者に対しても傍観者であるという逃げを許さない。平和ボケワクチンにしたい一冊。
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