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友人に勧められて読んだが、私の理解力のなさによるところも大きいと思うが、少し冗長でわかりづらい。出版当時はインパクトがあったと思うが、「生きがい」に関していろいろ語られている現在においては新規性はあまり感じられない。ただハンセン病患者が当時おかれていた状況について深く知ることができそれは勉強になった。
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いわゆる自分を見つめなおす本の先駆け。
ハンセン病患者の「生きがい」が奈辺にあるかを通じて、生きる事の喜びについて省察している。
神谷美恵子という、時代を特異な形で生き抜き、芳醇な知的遺産を残した女性の視点を理解する為には貴重なものである。
一方でこのテーマは、現代においてはこの本の功績を大いに活用し、時代に沿って洗練されているので、自己省察の為に読み解くには、この本は若干の時代性の違いによる古さは否めない。
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教職の授業のために読まなきゃいけなかった本だったのに、作者が精神科医の人だったから心理の話も多くてとても勉強になったし興味深かった。人間は生きがいをもってないと生き生きとした人生を送れないんだって。何かのきっかけで生きがいを失ってしまった人は精神的な病気にもかかりやすい。でもたとえ生きがいを失っても、人間には生きることに対する底力が宿ってる。私も嫌な事があってもなんで食欲はあるんだろって思ってた。でも、食欲があるからまた元気になるチャンスもあるんだよね。なにかと哲学っぽいお話。もう少し年齢重ねてからもう一度読みたい本。指南書。300ページ以上あるのに2日で読んだ(2007,11月24日)
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あちこちで書名を聞いていて、いつかは読まなければ、と思っていた本。横文字の読書の合間に少しづつ読み進めた。
読み終わってみて、評価の高い本の割には、あまり感動が無かった、というのが正直なところ。精神科医らしく、生きがいについて(特にそれを失った状況について)書かれているが、分析的に過ぎる感じがした。著者はキリスト教信仰にも好意的なようだが、(文面から見る限りは)表面的な捉え方しかしていないように感じた。精神医学では生きがいについて分析することができても、生きがいそのものを与えることは難しい、ということだろうか。
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いい加減な世間の噂に惑わされたり、やみくもに金や権力の獲得に追われることなく自分にとって大切なものは何か、を探って苦しさに妥協せずに生きている人にとっては大きな福音となる本だと思います。
この本の著者は精神科医であると同時に、ハンセン病患者と接する中で湧き上がる思いをメインにエッセイや日記を数多くしたためた文学の人でもあります。
読み手にかなり高水準な知性と知識を要求するので決して読みやすい本とはいえませんが、一言一句が物事の本質を捉えており、非常に素晴らしい書物といえるでしょう。
著者の人物像を的確に顕わしていると思しい言葉を引用します。
「漸く落ち着いて勉強が出来るようになった。同時に、自分の中に、自分のものを生み出したい衝動がうちにみなぎる。今まで勉強したこと、これから勉強すること、それらすべてを、自己の生命に依て燃焼せしめよう。女であって同時に『怪物』に生まれついた以上、その特殊性をせい一杯発揮するのが本当だった。」
『怪物』と対等に対話ができる自信がおありなら、是非。
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ハンセン病患者との出会いから患者と友達になり、やがてハンセン病治療のために医師を志しアメリカへ留学する。
日本で医師免許を取得するために医大に入るが、すぐにハンセン病の治療にかかわることはできず、精神科医として臨床現場に従事する。
ようやくハンセン病治療のため、ハンセン病の施設で患者とともに生活する日々を送る。
その中で考え抜かれた人間の本質や生きがい、生きる意味・・
それらが詰まった内容である。
日本におけるフランクルという感じである。
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神谷美恵子という名前はハンセン病にとりくんだ医師ということは知っていたが、フーコーなどの哲学系の本の翻訳までされている学者だとは知らなかった。
本書はストレートな文で読みやすく、まっすぐに「生きがい」について学者の引用を多用して説明している。
一般人向けにしては大学の論文のようであり、たくさんの学者の名前がでてくるため、さらに勉強したい人はそこから気になる学者の本を読んでいけばよく、学ぶ(読む)意欲のある人には”手引き”としての利用価値も高い。
生きがいについて、このシュバイツァの言葉が、印象に残った。
『ある晴れた夏の朝・・・眼がさめたとき、私はこの幸福をあたりまえなこととして受けとってはいけない、そのおかえしとして何か与えなくてはいけない、という考えが浮かんだ。
外で鳥が鳴いている間、私はこのことをただちに静かに考えてみて、起床するまでに次のことを自分に対して約束した。
すなわち自分は三十歳までは学問と芸術のために生きてよいことにするが、それ以後は人類への直接奉仕に身をささげようと。
・・・今や問題の回答が発見せられた。外面的な幸福に加えていまや私は内面的な幸福をも持つようになった。』
音楽の才の優れたシュバイツァであったが、「アフリカの医療伝道をすることと学問や芸術に貢献することと、いずれが尊いかという問題には、それ自体としては答えはなく、シュバイツァの価値基準からいえば、使命と感じられることを遂行することが、他のすべてに優先するべき」なのだという。
地位や名誉よりも、生きがいを大切に生きた、神谷美恵子の生き様に重なって見える。
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どんな境遇にあろうとも、生きがいを持とうと思えば持てる。
恵まれた環境にあっても、虚しくてどんより時間をすごしてしまうこともある。
幸不幸はある程度は相対的なものなんだろうな。
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最近はまっている神谷美恵子の代表作。
高校生の時から読みたくて遂に読むことが出来ました。
読んだ感想。
前半…鳥肌もん!
後半…???
って感じでした。
前半は生きがいについて深く洞察が加えられており、40年前に書かれたとは到底思えないほど現代にも、そして自分にも当てはまることが多く、はっとさせられる文章が非常に多くありました。多くの哲学者の文面が引用されているのも、高校時代に倫理にはまった自分としては非常に興味深かったです。
後半部分は若干宗教の話や、限界状況に立たされた人々の話について書かれており、実際に自分が体感していない部分が多くあったために、リアリティを持って読むことが難しく、淡々と読んで行った感は否めなかったです。
もしかしたら将来、自分が精神的な生きがいを本当に奪われてしまった時に読むとまた違った一面が見えるのかも知れません。
将来に必読な一冊です。
心に刺さった言葉は余りにも多いのですが、毎回恒例になっているので、頑張って書きます。
【もっとも多く生きたひとは、もっとも長生きをしたひとでなく、生をもっとも多く感じた人である】by ルソー
【ほんとうに生きている、という感じをもつためには、生の流れはあまりになめらかであるよりはそこに多少の抵抗感が必要であった。したがって生きるのに努力を要する時間、生きるのが苦しい時間の方がかえって生存充実度を強めることが少なくない。】
【ひとは自分が何かに向かって前進していると感じられるときにのみ、その努力や苦しみも目標への道程として、生命の発展の感じとして受け止めるのである】
【ひとつの目標が達成されてしまうと、無目的の空虚さを恐れるかのように、大急ぎで次の目標を立てる。結局ひとは無限のかなたにある目標を追っているのだともいえよう】
【1.自分の生存は何のためか、またはだれかのために必要であるか
2.自分固有の生きて行く目標は何か。あるとすれば、それに忠実に生きているか
3.以上あるいはその他から判断して自分は生きている資格があるか
4.一般に人生というものは生きるのに値するものであるか】
【ひとは食べるために生きているのではなく、生きるために食べているのである】byモリエール
【活動性に富んだ人は、平生のつとめのほかにもいろいろと仕事を作り出し、他人との関係もたくさん結び、毎日忙しくとびまわることにすがすがしい生存の充実を感じる。~そういう人は絶えず飛び回っていることが平常の「生存感」になっているから、ちょっとでも活動をやめると自己の生を空虚に感じてしまう。それでますます一瞬の隙もないように、活動へ自らを駆り立てることになる。これに反して、こまやかな感受性をもったひとは、しずかな暮らしのささやかな事柄のなかに生存充実度を求め、感度の高い受信機のようにふつうのひとには見逃されてしまうようなことからこれをつかまえてくる】
【私たちの現実をいわゆる「現実」以上にゆたかに充実させるものは記憶と想像力なのである】by���ルースト
【人間はあらゆる経験に際して直観的に価値判断を行うように出来ている。それを経験の価値属性というが、人間の最も普遍的で本質的な欲求は「経験の価値属性の増大」を求めることである。そして、この欲求が満たされたときには、それは経験の「高揚」として感じられるはずであるが、その感じの判断は本人のみによって行われる。】by キャントリル
【「退屈性」こそ、人間の健康のしるしであり、進歩の源泉であるといえるが、その反面、これがまた破壊性の原動力になりうることも忘れてはならない】
【わざわざ外面的に変化の多い生活を求めなくても、じっと眺める眼、こまかく感じ取る心さえあれば、一生同じところで暮らしていても、全然退屈しないでいられる】
【これからの生が新しい発展をもたらすであろうと期待するからこそ、生きがいは感じられる。】
【たとえ私が生の意味をつかむことができなくても、意味の探求はそれだけですでに一生涯を意味あらしめるものだ】byベルジャーエフ
【人間もそれぞれ自分のまわりに、自分がその中でのびのびと住めるような、身に合った心の世界を作り出すのである。その中で、何が価値があるか、何が優先すべきか、ということがはっきりしているとき、そこには統一があり、秩序があり、調和がある】
【生きがいの様々
1. 生存充実感の欲求を満たすもの
2. 変化と成長の欲求をみたすもの
3. 未来性への欲求をみたすもの
4. 反響への欲求をみたすもの
5. 自由への欲求をみたすもの
6. 自己実現の欲求をみたすもの
7. 意味への追求をみたすもの】
【人間はだれでも死刑囚と同じ身分にあるのだが、意識的にせよ無意識的にせよ、こういうものから眼をそむけ、色々なことで気をまぎらせている】by パスカル
【精神的苦悩は他人に打ち明けることによって軽くなる。~苦しみの感情を概念かし、言葉の形にして表出するということが、苦悩と自己との間に距離を作るからではないだろうか。「いうにいわれぬ」苦しみを言い表そうとするとき、ひとは非常な努力によって無理にも苦しみを自分からひきはなし、これを対象として眺めようとする。~悩みというものは少しでも実態がはっきりするほど、その圧倒的なところが減ってくるものらしい】
【苦しみはまだ生命へのあがきといえるが、悲しみは生命の流れそのものがとどこおり始めたことを意味する】
【「経験の深さ」、もしくは「経験のしかたの深さ」が心の深さをつくるのではなかろうか】
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自分にとって1番大切なもの☆
それは、人それぞれ違うから、比べたりすることは、ナンセンス。
頭でわかっていても、いつも他人と比較してしまう私。
私だけの大事なものをしっかり見つけたいと思う。
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P92:経験拡張欲
P153:パールバック「中心をほんの少しでも自分自身から外せることができるようになった時悲しみに耐えられる方向にむかった。つまり自分の悲しみに、または悲しむ自分に注意を集中してる間は、悲しみから抜け出られない。それを可能ならしめたのはときの経過と肉体の生命力、目標。
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これは著者の傑作本。彼女はこの本を書きあげるという大仕事を成した。「彼女自身」の本だ。自分のコンディションによって読み方や入り方が全く違う稀有な一冊。
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[ 内容 ]
「いったい私たちの毎日の生活を生きるかいあるように感じさせているものは何であろうか。
ひとたび生きがいをうしなったら、どんなふうにしてまた新しい生きがいを見いだすのだろうか」神谷美恵子はつねに苦しむひと、悲しむひとのそばにあろうとした。
本書は、ひとが生きていくことへの深いいとおしみと、たゆみない思索に支えられた、まさに生きた思想の結晶である。
1966年の初版以来、多くのひとを慰め力づけてきた永遠の名著に執筆当時の日記を付して贈る。
[ 目次 ]
1 生きがいということば
2 生きがいを感じる心
3 生きがいを求める心
4 生きがいの対象
5 生きがいをうばい去るもの
6 生きがい喪失者の心の世界
7 新しい生きがいを求めて
8 新しい生きがいの発見
9 精神的な生きがい
10 心の世界の変革
11 現世へのもどりかた
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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知人に大変よいと勧められ購入。期待して読んだ割には評論的というか・・
もっと読んでいて生きがいを注がれるようなものだと思ったが、生きがいとは何か、みたいなのを淡々と述べてる気がする。
始めのこういう状態なら生きがいがあって生きてけるよ、はなるほどその通りだと思ったけど、知りたいのはどうやってそういう状態になるか、やエネルギーや前向きな言葉。
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人は普段、生きがいについて考えることも少ない。
しかし、普段の生活が一変するようなことがおこると、
否応なく「生きていく意味」を突きつけられる。
その答えを見いだせず、虚無にとらわれる者もいる。
一方で、不幸に見舞われながら、返ってそのことによって、
生きる価値を見出す者もいる。
普段人は、仕事や家事など日常の慌ただしさで、目をそむけているが、
生きていくことの「底知れぬむなしさ」は、実は人生そのものに内在している。
本書は著者が深くかかわった、らい患者の事例を中心に、「生きがい」について多面的に論じている。
人生の根本問題として考察しているので、かなりシリアスな内容だ。
今の自分は目的をもち、それを追求できる状態にあるから、非常に幸せだ。
しかし、自分も、いつそんなことを真剣に考えないといけない時がくるかわからない。
不慮のアクシデントに見舞われた時、前向きに生きていけるだろうか?
ふと、そんなことを考えさせられた。