紙の本
『汚い戦争』の内実
2004/09/08 03:29
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:妹之山商店街 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「この戦争は結局のところそれを遂行している者すべてにとって好都合なもの
なのだ。それぞれが自分の持ち場を得ている。契約志願兵は検問所で賄賂を
四六時中手に入れている。将軍たちは予算に組まれた「戦争」資金を個人運用
する。中間の将校たちは「一時的人質」や、遺体の引き渡しで身代金を稼ぐ。
下っ端の将校たちは「掃討作戦」で略奪する。そして全員合わせて(軍人+一
部の武装勢力が)違法な石油や武器の取引にかかわっている。」
女史はモスクワの新聞社の評論員。劇場占拠事件では、チェチェン武装勢力側
から、交渉人の指名を受けた。
この本は、チェチェンの一般市民(ロシア人市民を含む)の証言集とでも言う
べき稀有の書だと思う。
チェチェン武装勢力に対して一言も肯定的な言辞を呈していない。
ひたすらチェチェンの一般市民の声を書き留めている。
チェチェンの一般市民といっても、その置かれている立場、状況、どの局面・
時点での証言かで、千差万別だと思う。
同じ人でも、時期が違うと考え方も変わっていくようだ。
私が個人的に感じた特徴的なことは、
チェチェンの一般市民達は、イスラム教ワッハーブ派のことを、「あごひげ」
と呼び、毛嫌いしている人達がほとんだだったということ。
チェチェンのイスラム教は18世紀からのもので、それまでの土着宗教と融合
したスーフィー派だった。
サウジの国教であるワッハーブ派自体が危険思想なのではないが、いわゆる
イスラム教原理主義過激派は、この厳格さを徹底し、イスラム原理主義を唱えて
いる。
チェチェンでも、年配の世代はあくまでもスーフィズムを信仰し、若い世代に
イスラム教原理主義に傾倒する者が増えているようだ。
親子間でも宗派を巡って断絶が起こり、勘当することもあるという。
第一次チェチェン戦争では、ほぼ全民族が結束してロシアと闘い、勝利した時
と比べ、第二次チェチェン戦争が始まって最初の1,2年は、民族の誇りとプラ
イドを持っていた人々も、徐々にそれを失っていったと書かれている。
もう何年にも亘る『汚い戦争』により、一般民衆は、日々の生活に疲れ果て、
民族的尊厳を誇るという次元はもはや過去のものとなってしまったかのようだ。
また、多くのチェチェン市民は、独立派武装勢力に対しても冷笑を浴びせかけ
る人が多いように感じた。
バサエフやマスハドフに対して、もはや何も期待していないかのように感じた。
ちなみに、著者のアンナ・ポリトコフスカヤ女史は、北オセチアでの現場に向かう
途上で、毒物を盛られ、現在重態で入院中。
紙の本
たった一人の目撃者として
2004/09/02 14:26
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:植田那美 - この投稿者のレビュー一覧を見る
もしもジャーナリストの使命が権力を監視し、事実を伝えることによって差別や抑圧、貧困といった人間の作り出した病を治癒しようとすることだとすれば、本書の著者であるアンナ・ポリトコフスカヤはロシアという瀕死の重病に立ち向かい続ける数少ない希望の一つであると思う。
チェチェン戦争に対する自国ロシアの責任を沈黙する世界に向かって問い続けてきた彼女は、自身幾度も死に攫われかけながらも(実際プーチンは「我々にとって危険なのはテロリストではなく、ジャーナリストだ。彼らを殲滅するべきだ」とラジオで発言したことがある)「私以外にここで起きていることを語る人はいない」という決意のもと、他者への無関心によって利己的な平和を享受しようとする人々に対して「少しずつ死んでいる」というチェチェン市民の日常化した悲劇と絶望を代弁していく。「モスクワがチェチェンに求めているのはただひとつ、無秩序を維持すること。混乱は儲けにとっては好都合だ、管理された混乱ほどより多くの配当をもたらすものはない」と指摘する彼女の眼は、同様にチェチェン武装勢力の大義を理想化することも許さない。しかし、あるいはだからこそ、2002年のモスクワ劇場占拠事件の際、チェチェン人実行犯たちがロシア政府との交渉役に指名したのも彼女であった。もっとも、その結果はロシア特殊部隊の突入により実行犯全員と120名以上の人質が死亡するというものであったが。
本書を読んでいる間にも、北オセアチア共和国でチェチェン絡みの人質事件が発生し、日本のメディアはロシアのチェチェン占領に目をつむりながら彼らの学校占拠を声高に報じ始めた。一方のチェチェンでは何十万人もの市民がロシア軍の人質となっているのだが、それはそれ。「テロとの戦い」に必要なのは、占領というテロの温床から可能な限り人々の目を逸らしていることだ。そうでなければ私たちは彼らをテロリストと呼べないから。彼らを差別し、抑圧し、それを「正義」だと信じ続けることができないから。
「国益優先で、慈悲心という言葉が制度からだんだん締め出されている現実をすでに私たちは目にしているではないか。権力は自国民に対して残虐さに基づいた行動原理を与えようとしている」。彼女の警句が現実化しているのは、もうロシアだけではない。
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チェチェンではなぜ紛争が起きているのか? 全くの無知であった私は、軽い気持ちでこの本を手にした。結果、暗澹とした想いだけが残ってしまった。とても踏み込んだところで取材された内容だが、後味の悪さだけがなぜか残る。知らなくてはいけない事実なのだろうけれど。
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「チェチェンを見れば、今の世界がわかる」といっていいほどこの戦争は今日世界がはらんでいるさまざまな問題を露呈している。独立問題からはじまり、石油パイプラインの利権、「テロリズム」という語を用いた大国側のメディアコントロール・プロパガンダ、人権侵害、難民などといった問題がすべて絡んでいるのである。この複雑に絡んだ紐をほどくにはひとつの方法ではおそらく対処できないだろう。以上が本書を読んでの率直な感想である。
ところで、今回は民族班の発表であるがために、多少、難があるがこのレポートではとりあえず民族紛争を中心に考えてみたい。一見、民族対立のようにも見えるチェチェン戦争は冒頭でも述べたとおり実はさまざまな原因をはらんでいる。そこで、以下は「民族はそもそも対立するものなのか?」から始まり、題にもあるように民族紛争を考えるにあたっての注意点や問題点を私なりに考えてみたいと思う。
そもそも民族はそのもの自身対立するものだろうか?私自身の答えとしてはノーである。一例に過ぎないが、今回のチェチェン戦争は民族紛争といわれるが実質的には上述のようにさまざまな原因が絡まっているのである。また、パレスチナ紛争も民族紛争の代表として引き出されるが、実際は居住地問題が大きいなのではないだろうか?つまり、民族そのもの自身は対立するものではなく、むしろ紛争時に団結のために用いられる一道具にすぎない。前回の『民族という虚構』のレポートでも述べたように、民族は人々をまとめるのに使いやすいから、紛争当事者指導者たちはこれを用いるのである。それを裏づけするかのように、タイや中国の少数民族をもつ多くの国では少数民族同士の争いはほとんど見られない。
しかしながら問題は少数民族対大民族(マジョリティー)の争いがあるということだ。だが、民族が大きいからといって好戦的とはいえないというのが私の見解である。一見、少数民族対大民族に見える争いも実は多くがエスニック・アイデンティティをナショナルのそれに投影し、還元させている。つまり、民族自決による独立そのもの自体にはもうすでに一国民国家としての独立、すなわちナショナル・アイデンティティをそこに持たせているのであり、政治的理由から独立させまいとする側(たいていが大民族)も政治的理由がゆえにナショナル・アイデンティティをその民族のエスニック・アイデンティティに持ち込んでいるのである。「民族」をナショナル・アイデンティティに還元させるときに争いは起こるのだ。理由としてはやはり国益や政治的な利益が挙げられよう。チェチェンの独立を妨げているのも、エリツィン前ロシア大統領や現プーチン大統領の支持率維持という私利や石油パイプライン問題、周辺共和国の独立といった国益が絡んでいるからだ。
この以上の2点、人々をまとめるための道具という「民族」と国益・政治利益から生ずるナショナル・アイデンティティとしての「民族」(結果として道具という「民族」に還元できる)が民族紛争や対立のもとをつくっている。そしてこの2点が民族紛争を考えるにあたっての注意点・問題点だと考える。だが、「民族」が人をまとめるための道具とわかっていても民族紛争は絶��ないのが現状である。大事なのは道具とわかっていながらも民族紛争が起こるという現実に直面し、その先として解決や予防を考えることであろう。
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大学時代に読んで最も衝撃を受けた作品。チェチェン紛争の現状がよく分かる。あまりに悲惨。残念ながらこの本はロシアでは売られていない。そして悲しいことに作者は2006年10月にロシア国内で暗殺された。ロシアに本当の民主的社会が到来するのはまだまだ先だ。
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悲惨です
戦争が引き起こす様々なこと、
なぜ始まったのか、なぜやめられないのか
ロシアの問題、チェチェンの問題
チェチェン戦争の全体像を描き出しています
著者はジャーナリストで取材中にロシア軍に拘束もされています
兵士の胸先三寸で決まる生死
静観する国連
大げさに掲げる人権より利害が優先される現実
行き詰まり感にためいきがでます
著者が生きて仕事を続けていけることを祈ります
文章はちょっと読みづらいです
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時に身をもって同胞のロシア軍の暴力を体験したり、寄る辺無い老人を見かねて助けたりしながら、チェチェンの戦争に取材した記録。集められた情報を綺麗に整頓してまとめた本というよりは、著者が出会ったチェチェンの人々やロシアの軍人にまつわるエピソード、チェチェンの悲惨な状況と、ロシア社会についての苦悩がつぶやきのように語られる印象。
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高校時代にたまたま出会った本。
そして僕の将来の夢を支える1冊。
ポリトコフスカヤさんは日本にチェチェンの内実を知らせてくれた。ロシア人はここに書かれた実情を知らない可能性が高い。
ロシアのもとでこれだけ取材を続けた彼女には称賛、憧れ、というよりも驚きを受ける。彼女を支えたものは何だったのか。ロシアに立ち向かう一人のジャーナリストの力。
彼女が暗殺されたのを知ったとき、胸がぎゅうっと縮こまった。
しかし、彼女は自分の身の危険を誰よりも理解していただろう。
それでも取材を続け、論壇に立った彼女。
それを思いこの本を読むといっそ自分の中に熱い感情がこみ上げる。
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あまりにも悲惨なチェチェンの現実を描いた本。これほどの現実を世界が知らないという事実、これを書いた人が暗殺されてしまうとう事実は恐るべきことだと思う。
誰もが読んでおくべき本だと思う。
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チェチェンとロシアに関して我々日本人は新聞等で知る程度の知識しかないというのがほとんどだと思います。
たとえ記事になっていたとしても斜め読みという可能性も高く何も知らないといったほうが早いかもしれません。
この本は衝撃です。
同じ地球上でこのような残酷で理不尽なことがおこなわれていたとは・・・・・・。
”知らない”ということがいかに恥ずべきことか。
著者は常に身の危険を感じながら取材をしチェチェンの実情を知って欲しいとこの本を世に送り出しました。
その後本当に暗殺されてしまいましたがこの本はまだ生きています。
興味のある方は是非読んでみてください。
追記:2010年12月14日
最近佐藤優氏の著作を読んでいたら、この本の話が紹介されていた。
180℃違う捉え方をしており、結局のところプロパガンダであるらしい。
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入学式を行っている小学校体育館を占拠しての爆破事件。このとき、チェチェンて何??と、初めて思う。こんな酷いことが、なぜ今も続くのか人間て、一体なんなんだろうか・・・筆者アンナ・ポリトコフスカヤ氏は、残念ながらすでに暗殺されている。危険な現地に自らの足で赴き、世界中にこの酷い状況のレポートを発信し続けたせいで。時間が無く、残念ながら途中で一度返却。年内には読了予定。(H.21.10月)なにをどうしても、この戦争は終わらないのだろうか。そもそも、なんのための戦争か。国連も頼れず、ロシアの暗幕に隠されて、世界から孤立させられてゆく・・・。でも、どこかで肥える人がいる限り、この無意味な戦争は永久に終わらないのだろうな。(H.22 1/20 了)
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著者であるアンナ・ポリトコフスカヤは殺された. 彼女はモスクワの自宅のあるマンションからエレベーターで一階へ降りる. 自動ドアが開く. 銃が数発撃たれる. 彼女は室内に崩れ落ちた. 毒殺されかかったこともある彼女は最期に何を思ったのか. 彼女がプーチンの誕生日当日に殺されたという事実を偶然と思うかブラックすぎるユーモアと受け取るか..
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戦争を色んな角度から、しかも偏見なく見ることができるという奇跡。
怒りを通り越した放心状態に何度も陥り、ぶつけようのない感情がページをめくることを拒んだ。
安全安心が当たり前の今の自分の生活からじゃ絶対分かることなんてできないけど、知ろうとすることを辞めたらダメだと思う。
アンナ・ポリトコフスカヤさんの勇気ある行動と文章が、いつまでも残り広がることを祈ります。
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性善説が吹っ飛ぶ絶望的な描写が延々と続く。お互いへの無知、無理解、恐怖の行きつく先に殲滅戦がある。知った上でわかり合えない相手とは、節度を持って距離を置くべきか。
戦争が経済行為として一部階層の利潤を生む。解決すべき、千年来の人類の課題。
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ノンフガイドブックから、だったか。積読いたものを、このタイミングで。まさに現在進行中のロシアの暴挙に触れ、読むなら今でしょ、ってことで。基礎知識不足で、人物名も殆ど知らず、簡単なインタビュー記事ですら、かなりハードルが高く感じられてしまった。それでも何とか通読したのち、非常に上手く纏まった最後の論考に触れ、とりあえず、まずこれを読みたかった…と思ってしまった。この章が巻頭に配されていたら、印象はもっと違ったというか、理解もしやすかった。で結局、かの国の体質は、この頃から変わっていない。己に都合の良い現象を捏造し、それを妄信するふりをしながら、身勝手な侵略行為を取るという、幼稚なイジメ気質。戦争を止めろ。