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これが東大の授業ですか。 みんなのレビュー

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みんなのレビュー5件

みんなの評価3.8

評価内訳

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5 件中 1 件~ 5 件を表示

紙の本

おい、聞いたか?愛だぜ、愛!

2004/11/16 23:17

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 これはエキサイティングな読み物だ。特に英語が好きな人、英語教育に興味のある人にとってはかなり面白い。読んでいると、「ああ、こんな授業を受けたかった」という生徒の気持ちになるよりも、昔英語塾で教えていたときに僕にも少なからずあった情熱が沸々と甦って来る感のほうが強かった。
 ひと言で言うと東大英語カリキュラム改革運動記。『これが東大の授業ですか。』というタイトルも多義的で良い。「へえ、これが東大の授業ですか、はあ、さすがですね」から「おいおい、こんなもんが東大の授業かい!?」までかなり幅広い含みがある。「これ」を改革前と読むか改革後と読むか、あるいは著者が改革運動を去った後と読むかで意味合いは変わってくる。
 英語が好きな人、興味がある人なら面白いと書いたが、この本のもうひとつの面白さは人間ドキュメンタリーとしての面白さである。著者(や柴田元幸ら同僚)は文学や英語や教育に対する先入観を排除しながら、大学の閉塞性や官僚制と戦いながら、なぜここまで熱心に取り組めたのか?
 著者は言う「8人のチームから生み出された教師間の新しい関係性。(中略)その新しい関係性に名前を与えよと言われたら、私は臆せず『愛』と答える。(中略)実用的なレベルで、企画を崩壊から救うための、一番手軽で有効な手だてが『学生を愛する心』だったということだ。」(135ページ)
 おい、聞いたか? 愛だぜ、愛!
 英語や教育に対する洞察はかなり深い。僕自身そういった問題について常々考えてきたつもりだが、「そうそう、その通り」と頷きながら読む中で「あっ」と声を上げたくなるような「目から鱗」の箇所もあった。
 掲載されている実際の教材や出題の部分も是非とも飛ばさずに読んでほしい。もちろん辞書を引かずに。
 ところで僕はこの著者の『J-POP進化論』も読んでいた。最終章に音楽に対する記述が出てきて初めて気づいた。

by yama-a 賢い言葉のWeb

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紙の本

無駄な抵抗

2004/11/20 10:27

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

そもそも英語の授業に東大も一橋もない。生徒のレベルに応じた
授業があるだけでいい。この佐藤をはじめとする東大の英語教師
を呪縛する呪い、それは教養」だ。だが英語の授業に教養なんて
いらない。なぜなら英語とは所詮道具であって、この道具を使い
こなせるようになるための訓練=技術指導が英語の教育であって
教養とは本来切り離されなくてはならんものだからだ。しかし
佐藤らはあくまで「教養」にこだわろうとする。なぜなら彼らは
「英語の先生」ではなく、「英文学の教授」だからだ。

ここに日本の大学の英語教育の悲劇がある。

本来、英文学者は英文学の講座を持つべきなのだが、いまどき
英文学なんてやろうとする奇特な学生はほとんどいない。そもそも
文学自体が既に死んだ学問なんだから、ある意味当たり前なのだが
これを「はい、そうですか」と認めてしまうと佐藤を含む大量の
英文学者は仕事がなくなってしまう。そこで仕方なく英語「でも」
教えるかということになる。しかしどうせ英文学者が英語を
教えるなら「教養の薫り高い英文学主体の講義をしなくちゃ」と
いう「野望」に取り付かれてしまう。しかしいまどきディケンズ
やローレンスでもあるまい。そこで佐藤は膨大な時間とコストを
かけ、極めてマニアックな「ポップな現代英文学」の教材を
つくって閉塞状況を打開しようと試みた。でも、残念ながら
かけた時間とコストに見合うような成果も反応もなかったようだ。

当たり前だ。

そもそも「教養高い英語の授業をやりたい」という目標自体が
はじめから間違っているのだから。生徒が求めているのは教養
ではなく道具としての英語なのだ。だからマニア佐藤の授業に
見切りをつけ、外資系を目指す東大生は日米会話学院やアテネ
フランセの門を叩いていったのだった。

大学の英語の授業から英文学者を追放し、道具としての英語の
授業に徹すること。英語の授業と英文学の授業を切り離し、
英文学はあくまで英文学をやりたい人だけに特化すること。

これが本書を読んだ私の大学の英語教育に関する結論だ。

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紙の本

本書はどうして書かれたか?(出版社コメント)

2004/08/30 13:30

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:研究社 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 日本の大学では、「教養として英語を教えるべきである」という意見と、「実用英語を教えるべきである」という意見が、激しくぶつかり合っていました。
 その問題は現在、後者の一方的勝利によって幕を引かれつつあります。とともに、文学系の英語教師は窮屈な思いを強いられています。学科の取りつぶしという事態すら進行中の大学もあります。
 そんななか、佐藤君は立ち上がりました。文学系の人間が、「大学の教養」をきちんと再定義し、大学の英語の授業に、がっしりとしたコンテンツと、愛と、自信をもって授業すれば、教養と実用などという偽りの対立は消えてしまうのだということを、本書は、過去の経験の詳細なレポートによって証明していきます。これは議論する本ではありません。教材の選び方からリスニングのポイントまで、情報化時代の大学の英語授業の組み立てを一から説いた「便利ブック」なのです。
 理系と文系、ポップとアカデミズム、いろんな世界を横断的に思考している佐藤君だから示せる「21世紀の日本の英語教育の方向性」。それに向けて「正されるべき大学教師の姿勢」。本書の後半では、それが熱く論じられています。
 いえ、挑発の対象は大学人にとどまりません。すべての英語の先生と、英語の授業を受けさせられた学生・市民に熱く訴えかける内容になっています。正しい行動によって世の中が動かせると信じるすべての人々に、「佐藤君」の語りは、強い共感を呼び起こすことでしょう。

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2009/04/13 22:45

投稿元:ブクログ

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2011/01/12 22:44

投稿元:ブクログ

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