紙の本
主人公ルウの感じる世界に驚嘆し、彼の心のあり様に魅了される。
2005/07/06 23:49
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:うっちー - この投稿者のレビュー一覧を見る
自閉症である主人公ルウの心のあり様や、考え方に魅了された。繊細で論理(彼特有の論理だが)的、純真で複雑!
この話の舞台となっているのは、現代よりほんの少し進んだ近未来である。この時代は医学が進み、自閉症も早期であれば完治するので、ルウたちは、自閉症の最後の世代となっている。ルウは、自閉症者としての彼特有の能力を生かした仕事を持ち、自立して生活している。ただ、ノーマル(ふつうの人)とは、ものごとの感じ方が違うので、そのギャップには悩まされている。
そんなルウに、勤め先の会社の上司から、自閉症治療のための実験に参加するよう求められる。そこには、どんな意図があるのか。自閉症が治るということは、今の自分でなくなるということか。悩み、揺れるルウ。
話のほとんどが、ルウの視点で描かれているので、自閉症者がどのようにまわりのことを把握するのか、音や形への反応の仕方、パターンを認識する能力などのことが、すっと受け入れられ、彼に共感できた。そして、ルウのひたむきさと、思考の確かさに圧倒された。…そう、この物語は、自閉症者の物語ではあるが、読んでいるうちに、人間の普遍的な物語なのだと気づく。生きていくことの厳しさ、正しくあろうとすることの難しさ、自分の生き方、他者との関わり、変わるということ、変わらないということ…。
揺れるルウは、様々に自分に問い、悩むが、そのあり方こそが、生きていくことの尊さを示していると感じた。ルウは思う。「知らないということ、それから知ることを拒むという恣意的な無知、それは知識という光を偏見という暗い毛布で覆うもの。だから私は、きっと陽の暗闇というものがあると思う、暗闇には速度があると思う。」
一気に読め、そして、いつまでも心をとらえて離さない物語である。
紙の本
切ない話、というのはこういうものをいう。仄見えていた希望、自分が自分であることの素晴らしさ、それを認識させてくれる一冊。高1長女は夢中で読み終えた
2004/12/24 19:30
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
可愛らしい表紙は、上下に分かれた暖色系の地の色合いもだけれど、ちょっとぼやけたような、ソフトフォーカスな兎と水平線が握ればくしゃっとなってしまいそうで、見ているだけで心が温かくなってくる。そんな愛らしい装画は牧野千穂、装幀は岩郷重力+WONDER WORKZ。
今までにも『アルジャーノンに花束を』を謳い文句に使った作品がいくつも出ている。例えば同じ早川書房のマーク・ハッドン『夜中に犬に起こった奇妙な事件』は、キースの作品をしのぐ、という言葉で売られた。しかし、こういう言葉が要らない本は沢山ある。例えば小川洋子『博士の愛した数式』などは、陳腐なキャッチを吹き飛ばす傑作である。
この本なども、その好例。話の核になるのが自閉症。字面から「暗く、他人を拒絶し、家に閉じこもった人間」といったイメージを与えるこの病、実はそのようなものではない。伊坂幸太郎は『陽気なギャングが地球を回す』で、自閉症は、中枢神経の障害で、人間の曖昧な部分が嫌いな性格で、人より物事に敏感で、結果としてスケジュールについてうるさかったり、ものの位置や歩くルートに拘ったり、中途半端な質問が嫌いだったりするという。
同じ年に出た『夜中犬事件』でも、主人公のクリストファーについて、自閉症に含まれるアスペルガー症候群という生まれながらの障害を持っている、彼は人の顔の表情というものが理解できない、相手がなにを言おうとしているのか、論理を組み立ててひとつひとつ推理をしながら答をみつけなければならない、まわりの情景を瞬時にことごとく見てしまうので、簡単に混乱に陥ってしまう、ただし彼には数学や物理学に関しては、大学生も及ばない理解力をもっているとある。
自閉症は、現在では、1)社会的な相互交渉の質的な障害、2)コミュニケーション機能の質的な障害、3)活動と興味の範囲の著しい限局性の三つを特徴とする行動的症候群と定義されている。自閉症患者には、その集中力ゆえに絵画・音楽・計算・記憶力などで突出した才能を見せる人々がいる。
ただし平均かそれ以上の知的能力を持つ人はわずかに2割に過ぎない。この症状にバラツキが自閉症という障害を分かりにくくしている。こういった自閉症の状況を理解しておけば、この小説や『夜中犬事件』を理解するだけでなく、身の回りにいるだろう自閉症の人への見方が変わるはずである。
主人公は35歳のルウ・アレンデイル、冒頭、ドクター・フォーナムとの会話の中で読者は彼の豊かな精神世界に直接触れることになる。彼が医師に隠すのは、自分の性生活とフェンシングのクラスに通うこと。それは彼が今後とも読者や親しい人だけに見せていく周囲への配慮、そこまでしなくてもと思うほど優しい気遣いでもある。
一人暮らしのルウは自分のパターン認識能力をいかし、同じ自閉症の人々とともに製薬会社で仕事をしている。毎日、毎週決まった日常の繰り返し、それでも波風のない平穏な生活は、彼らにとってかけがえのないものだった。そうした平穏を叩き壊すのは、会社の利益優先を掲げ、弱者を利用し切り捨てようと暴走する新任の管理部長クレンショウである。
それに、ルウが密かに通っているフェンシングクラス、そこで出会った美女マージョリーと、二人の仲に嫉妬する嫌われ者のドンがなどが絡んで、普通の人と自閉症の人との境界、健常者であることの意味などが問い直されていく。それも、極めて優しい筆致で。この本でのルウは、クリストファーであり、アルジャーノンであり、病気こそ違え博士でもある。
その結末を解説の梶尾真治は「一見、ハッピーエンドに見える」という。しかし、私には悲劇としか思えない。それがどういう意味であるか、読んでもらうしかない。
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少し未来の物語。
3歳くらいまでならば、自閉症が完治できる時代。
主人公のルウは、それが間に合わなかった、最後の自閉症世代。
しかし、数学とパターン解析の才能に優れているため
製薬会社にちゃんとした仕事を持ち、
一人暮らしをし、フェンシングクラブに入っていて、そこに好きな女性もいる。
そんなある日、新しくやってきた上司が、成人にも効く新薬が開発されたから、
それを受けなければクビだと言ってきた。
ルウを始め、自閉症セクションの同僚たちは悩み始める。
彼らの出した結論は……
あらすじから最初に受ける印象は、『アルジャーノンに花束を』。
実際、そう言うイメージを持ってたんだけど、
『アルジャーノン』がかなり最初の方から新薬を投与されて、
知能が向上していく様を描かれているのに対して、
こちらは、全体の90%くらいが、主人公ルウの生活と考えに占められている。
だから、非常に自閉症患者の考え方や行動が理解できる。
小難しい専門書を読むより、自閉症の概観を知ることができるかもしれない。
さて、感想。
この作品の感想はラストに集約されると思う。
あのラストはどうなんだろう?
無責任な読者としての感想は、望んでないラストだなぁ。
あんまり書くと、ぽろっとネタバレしちゃいそうなので、
興味がある人は是非読んで欲しい。
また、ルウを囲む人々はみんないい人でも、やはり敵役はいるわけで、
彼の言葉は、本書の中の言葉を使えば"ノーマル"の人々の代弁なんだと思う。
一読者としては、主人公に味方するから、彼は見るからに嫌な奴なんだけど、
普段の生活では多かれ少なかれ、そう言う風に見ているのではないだろうか?
それに気づかされただけ、非常に幸せな本と出会ったと言えるかもしれない。
オススメ。
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ネビュラ賞受賞作。
脳に障害を持つゆえに特殊な能力を持つ主人公。
同様の仲間とそれなりに楽しい日々を送っているが、新しい上司の為に仕事が脅かされる上、会社がらみの脳手術の実験台になることを要求される。
「光の先に常にくらやみがあるならば、くらやみの速さは光よりも早いはず」という言葉がくりかえし使われ、様々な暗喩に用いられる。
周囲の人の努力により上司は更迭され、手術は自由意志となった。
最終的に、彼が選択した道は。
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自閉症の主人公ルウの感じ方、彼の目から見た世界が丁寧に描かれていて、他者の内面に触れるという、貴重な(それが小説という架空のものであっても)経験を与えてくれた。自分は他人とうまくやれないと思ったり、疎外感を味わったりしたことがあるなら、共感を持って読めるのでは。最後の展開については、それまでのルウに共感して読み進めていただけに、複雑な思いだけれど、それが彼の意志であり選択なら・・・。
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よく「アルジャーノンに花束を」と比されるけれど、こちらのほうが「普通」なのだと思う。
特別なことが起こらないという意味において。
自分と周囲の違和を冷静に語る視線が興味深い。
私が私自身であることは私を傷つけないが、私が私自身であることを理由に疎外されるとき、私は傷つく。という部分に共感。
だからこその、ラスト。
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●おもしろかったです。
波瀾万丈、ではなく静謐に満ちた、
思考させられる面白さ。●主人公は、同じく自閉症である同僚たちとともに、それゆえの高い能力を発揮して現在の会社に職を得ている。日々の生活は充ち足りていて、さまざまな患者たちが集うセンターの他に、フェンシングクラブにも通ったり。そこには、好きな女性がいる。さて、会社に新しい上司が赴任した。その上司は、自閉症の彼らを優遇しすぎていると考え、外科的に治療するためのプログラムへの参加を強制して来る。・・・
●やはり、主人公ルウの冷静さがすばらしい。生得のものであれ、後天的に形成された人格的なものであれ、よき人格であることには変わりなし。
ルウみたいに振る舞える人がもちっと増えれば、世の中相当平和で穏和で満ち足りた世界になるんじゃなかろうか。そして、思わずこれまでの来し方を、深く反省してしまう私だったのでした・・・。ガク。●ところで蛇足ながら。どうして表紙には“ネビュラ賞受賞”の文字が印刷されてるんでしょうね? ハヤカワ文庫では昔から見かけますが、これって伝統??
デザイン的には、あった方がバランス取れて美しいような気もするけど。
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「光の速さが、秒速十八万六千マイルだとしたら、暗闇の速さはどのくらいなの?」
ラストに向かっての盛り上がりではなく、その過程を楽しむという意味で秀作。自閉症の主人公ルウの世界観がとても好きだ。だからこそ「それにぼくはいつまでも彼女が好きです」の台詞に切なくなる。
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読み始めは主人公の純粋な感情が読んでて非常に刺激的でした。純粋に世の中を疑う、猜疑心の大切さを再確認させられました。
しかしそんな主人公の魅力的な思考回路も途中で飽きてしまいました。
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「アルジャーノンに花束を」と似たような雰囲気を持つ本書。
自閉症の主人公の苦悩が細かく書かれている。
自閉症と言えば映画のレインマンくらいしか見たことがなく、人と喋る時に考えが回り過ぎて身動きができなくなってしまう人ぐらいの認識しかなかったけれど、この本を読んでその考えは一新された。
主人公のルウは自分のやり方、ルールを重んじているけれども、他の人の心情も汲みとることができ、普通の生活を営んでいる。
いや、一つの物事をとことん掘り下げて思い悩む様は普通の人より真剣に人生に取り組んでいるように感じた。
普通な人が様々を要因をごっちゃにして、世間と折り合って妥協した答えをだすのに比べ、問題を完全に他の問題から断絶して理屈のみで解決しようという姿勢には、天才の片鱗が垣間見れる。
自閉症が治せるだんとなって、自閉症が治ってしまった僕は、昔の僕と別人なのではないか?自分とはどこからどこまでが自分なのだろう?と、深淵な問いを読者に投げかける。
自閉症とは普通の人間より劣った状態ではなく、一般的な脳の回路とは違うだけ、感じかたが違うだけ、そしてそれは人間ならば誰しもそうで、その具合が大きいだけ、ただそれだけのことなのだと思った。
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「光の先に常にくらやみがあるならば、くらやみの速さは光よりも早いはず」
ちょっとこの時色々辛くて途中で挫折。いつかリベンジするのだ。
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訳がちょっとくどいなと思ったけど、自閉症の細やかな心、また、治療をした後の最後の章がなんだか寂しい。
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アスペルガー症候群の治療の未来を描いた、現代のアルジャーノン。そうか、自閉症の息子さんがいるのか、この作家。
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ふう。詰まり詰まりしつつ読みました。
自閉症の青年ルウが主人公。
彼は非常に高い知能の持ち主です。向学心もハンパない。
彼の視点で物語が進みます。
「ふつう」ということはどういうことなのか、考えさせられました。
自閉症という先入観で、彼を自分より格下に扱う人も出て来ます。
人間に優劣はないと考えています。
しかしワタシにも人を蔑んでしまうことがあります。
例えば、学歴や出身や性別で人格を判断する人。
あと、学ぶことをしない人。
そういう人たちは劣っていると思ってしまいます。
いけないことでしょうか。
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自閉症とはなんなのかという疑問に始まり、人の考え方、生き方について深く考えさせられる。現実でない小説の世界から伝わってくる独特なリアルが私たちに迫ってくる。
いったい私たちは何をもって障害とし、なにをもって改めよといえるのか。改めることが幸せなのか。
といったことを読んだ当時(中学生)は感じた記憶があり、出会えてよかった作品です。ただ今読んだら同じように深く考えるかというとそれは読んでみないと分かりません(笑)