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18世紀後半以降イギリスの植民地になったオーストラリア
そのうち牧場開発のために先住人のアボリジニを殺害したり追放したりしたが
後に呼び寄せて、低賃金のなかか濃くな労働をさせるようになった。
もともと自分達の土地だった場所を変換するように訴えるがうまくいかない。
ダグラダ村のアボリジニの長老達が言ったらしい
『ある日アメリカのケネディ大統領がグリンジ・カントリー(オーストラリア北西部の町)に来て言う
「おまえたち、なんで白人にこんなひどい目にあっているんだ?」
そこでアボリジニの長老が事情を説明し、ケネディ大統領が協力すると約束した。
それがきっかけで牧場退去運動が始まる。』
しかし文献にはケネディがグリンジ・カントリーを訪問し、アボリジニと話したという記録は残っていない。
たとえ文献に載ってないからと言って、彼らの発言を蔑ろにしていいものなのか?そんなはずはない。
歴史的事実と違っているから排除するのではなく、どう受け止めたらいいのかを考える。
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http://ameblo.jp/urizunokinawa/entry-10249085923.html
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この中に、書いた博士論文を持って、フィールドワークしたところに戻り、インフォーマントの人たちに書いた内容を聞いてもらう、という箇所がある。この研究者とインフォーマントの人たちのあいだにはすでに信頼関係があって、インフォーマントの人たちは彼の書いたことを承認することをむしろ楽しみにすらしている様子が描かれていて、手続きは大事だけれども、その手続きは内容の具現であるからこそ大事なんだ、ということをしみぢみと思ったのだった。
そして、この研究者に会うことができない、ということが本当に悲しい。
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儒教は本当に“世俗主義”なのか、気の思想は世界の”魔術化”を叙述するものではないのか、などなど中国哲学史に対する問題提起としておもしろく読むとともに、”実践”することの意義を改めて考えさせられた。
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とても美しい本。この本を前にして人生つまらないなどとはとても言えない。自分の思考の枠組みは知らないうちに西洋的になっていたのかと知る。世界は広いなあ。