- 現在お取り扱いが
できません - ほしい本に追加する
物語消滅論 キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」 みんなのレビュー
新書
- 予約購入について
-
- 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
- ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
- ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
- 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。
高い評価の役に立ったレビュー
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2004/12/03 20:37
豊富な話題で評論家と読者に挑戦か?
投稿者:T.コージ - この投稿者のレビュー一覧を見る
バブル時代のニューアカが予想通りアカデミズムではなかった実態を披露(暴露ではない)し、産学協同が必然でもある社会分析の方法論を提示しつつ、自らが電通などともにバブルの演出者だったことを前提に書き進められる現代史の一面を持つ内容は貴重だ。著者がバブル期に注目されるキッカケになった『物語消費論』の発刊が89年。それから15年継続していた問題意識に自らが回答した成果でもある。
15年間の自問自答の結果というものはそれだけの重味をもっている。感覚的な「左翼嫌い」「サヨ、うぜえ」に対するクールな応答でもあり、その解答そのものが左翼的な方法論においてしか到達できないものであることも明示した点も優れている。いまや左翼が自覚しない左翼のウザささえも大塚は論理的つまりは科学的(つまり左翼的に!)に把握したワケだ。
本書の感想や書評で「わかんね」「新人類世代内のことジャン」というものが多い。読解力がないものにはそうだろうし、世代を超えて問題を置き換える認識能力の無いものにもそうだろう。そして文芸評論家のたぐいが想像することさえできなかった江藤淳の死へ至る問題さえも大塚はシッカリと解いてみせている。その「問題」がオウム事件やさらには「キャラ萌え」や「多重人格」にも通底することを大塚は説いているのだ。もちろんそのエグザンプルの豊富さが裏目に出たのはマーケティングの失敗?かもしれないけどね。(W
低い評価の役に立ったレビュー
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2006/05/04 15:39
僧衣から鎧(よろい)、サブカルから旧左翼
投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初にあとがきから読んだ方が分かりやすい本だ。近代的言説の擁護、というのが、この本の主題である。
著者は言う。「新しい歴史教科書をつくる会」の動きが台頭してきた頃から司馬遼太郎の語る歴史像が奇妙に持ち上げられる現象が目立つようになり、自分はそれに違和感を持っていた。マルクス主義的な歴史記述への批判として、「物語」風な歴史記述が肯定されるのは問題ではないか。それは「ハリポタ」などの物語がサブカルとして全世界的に流行している状況や、イスラムを単純に悪ととらえて攻撃をかける米国の態度と軌を一にしている、と。
そうした世界状況への批判的な視点を回復するために、あえて近代文学を擁護し、その批評性を介して世界の複雑さを見通す目を養うべきだ、というのが本書の主張である。本来こういう言説は近代文学の側からなされるべきなのだが、その様子が見られないので、サブカルの営業マンだった自分がこの本で言ってあげたのだよ、とも。
何とも笑ってしまう見解なのだが、これは大塚英志ひとりの傾向ではなく、バブルの頃からサブカルにどっぷり浸かってきた、或いは俗流心理学で世間や自分を解説して分かった気になっていた軽チャー文化人に多く見られる言説なので、俎上に載せてみたい。
まず、この本の一番大きな欠陥は、「物語」概念の限定ぶりである。具体的には、プロップの有名な魔法昔話論から始めて「物語」を規定してゆくのだが、マルクス主義の時間軸にそった発展論的な社会認識に対して、共時的な認識に基づく構造主義が提出した物語論に大塚は依拠しているわけだ。
しかし、である。ではマルクス主義は「物語」ではないのか? リオタールが「大きな物語は終焉した」と宣告したとき、当然ながらマルクス主義もその中に含まれていたはずだ。つまり事態は、大塚の言うのとは違い、マルクス主義が終わって物語的な世界認識が生じたのではなく、マルクス主義の物語から別の物語に世代交代がなされたに過ぎないのである。
無論、そうした「物語」的な世界認識の妥当性を問う作業は大いになされるべきだろう。しかしこの本で大塚がやっているのは、文字通りの意味で反動的な作業である。マルクス主義はあくまで「物語」ではなく、「社会を或る立場から正確に認識していく技術と、それを批評していく技術」を兼ねていた、と書く(218ページ)。北朝鮮を日韓併合に絡めて擁護したりもする(224ページ)。まさに僧衣から鎧、サブカルから旧左翼、と言いたくなるではないか。
断っておくが、私はマルクス主義や左翼だから駄目だ、と言っているのではない。その現代的な意義を説得的に述べているならそれなりに評価する。だが大塚にはそんな能力はない。サブカルにどっぷり浸かっていたから、なぜマルクス主義が破綻したのか、まともに考えたこともないのだろう。「物語」で世界を見ている、という批判に一番良くあてはまるのは、実は大塚自身だと言える。
また、近代文学の批評性を回復すべきと大塚は主張しつつ、その批評は狭義の文学だけに向けられるものではないとも書いているが、そんなことは当たり前である。小林秀雄が音楽や絵画を含めて芸術全体を扱ったこと、福田恆存が社会批評によってマルクス主義者の「物語性」を撃ったことくらい、46歳にもなってご存じないのだろうか。
近代文学についてちゃんと勉強してから出直してこい、と言いたくなる本であった。
14 件中 1 件~ 14 件を表示 |
紙の本
豊富な話題で評論家と読者に挑戦か?
2004/12/03 20:37
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:T.コージ - この投稿者のレビュー一覧を見る
バブル時代のニューアカが予想通りアカデミズムではなかった実態を披露(暴露ではない)し、産学協同が必然でもある社会分析の方法論を提示しつつ、自らが電通などともにバブルの演出者だったことを前提に書き進められる現代史の一面を持つ内容は貴重だ。著者がバブル期に注目されるキッカケになった『物語消費論』の発刊が89年。それから15年継続していた問題意識に自らが回答した成果でもある。
15年間の自問自答の結果というものはそれだけの重味をもっている。感覚的な「左翼嫌い」「サヨ、うぜえ」に対するクールな応答でもあり、その解答そのものが左翼的な方法論においてしか到達できないものであることも明示した点も優れている。いまや左翼が自覚しない左翼のウザささえも大塚は論理的つまりは科学的(つまり左翼的に!)に把握したワケだ。
本書の感想や書評で「わかんね」「新人類世代内のことジャン」というものが多い。読解力がないものにはそうだろうし、世代を超えて問題を置き換える認識能力の無いものにもそうだろう。そして文芸評論家のたぐいが想像することさえできなかった江藤淳の死へ至る問題さえも大塚はシッカリと解いてみせている。その「問題」がオウム事件やさらには「キャラ萌え」や「多重人格」にも通底することを大塚は説いているのだ。もちろんそのエグザンプルの豊富さが裏目に出たのはマーケティングの失敗?かもしれないけどね。(W
紙の本
僧衣から鎧(よろい)、サブカルから旧左翼
2006/05/04 15:39
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初にあとがきから読んだ方が分かりやすい本だ。近代的言説の擁護、というのが、この本の主題である。
著者は言う。「新しい歴史教科書をつくる会」の動きが台頭してきた頃から司馬遼太郎の語る歴史像が奇妙に持ち上げられる現象が目立つようになり、自分はそれに違和感を持っていた。マルクス主義的な歴史記述への批判として、「物語」風な歴史記述が肯定されるのは問題ではないか。それは「ハリポタ」などの物語がサブカルとして全世界的に流行している状況や、イスラムを単純に悪ととらえて攻撃をかける米国の態度と軌を一にしている、と。
そうした世界状況への批判的な視点を回復するために、あえて近代文学を擁護し、その批評性を介して世界の複雑さを見通す目を養うべきだ、というのが本書の主張である。本来こういう言説は近代文学の側からなされるべきなのだが、その様子が見られないので、サブカルの営業マンだった自分がこの本で言ってあげたのだよ、とも。
何とも笑ってしまう見解なのだが、これは大塚英志ひとりの傾向ではなく、バブルの頃からサブカルにどっぷり浸かってきた、或いは俗流心理学で世間や自分を解説して分かった気になっていた軽チャー文化人に多く見られる言説なので、俎上に載せてみたい。
まず、この本の一番大きな欠陥は、「物語」概念の限定ぶりである。具体的には、プロップの有名な魔法昔話論から始めて「物語」を規定してゆくのだが、マルクス主義の時間軸にそった発展論的な社会認識に対して、共時的な認識に基づく構造主義が提出した物語論に大塚は依拠しているわけだ。
しかし、である。ではマルクス主義は「物語」ではないのか? リオタールが「大きな物語は終焉した」と宣告したとき、当然ながらマルクス主義もその中に含まれていたはずだ。つまり事態は、大塚の言うのとは違い、マルクス主義が終わって物語的な世界認識が生じたのではなく、マルクス主義の物語から別の物語に世代交代がなされたに過ぎないのである。
無論、そうした「物語」的な世界認識の妥当性を問う作業は大いになされるべきだろう。しかしこの本で大塚がやっているのは、文字通りの意味で反動的な作業である。マルクス主義はあくまで「物語」ではなく、「社会を或る立場から正確に認識していく技術と、それを批評していく技術」を兼ねていた、と書く(218ページ)。北朝鮮を日韓併合に絡めて擁護したりもする(224ページ)。まさに僧衣から鎧、サブカルから旧左翼、と言いたくなるではないか。
断っておくが、私はマルクス主義や左翼だから駄目だ、と言っているのではない。その現代的な意義を説得的に述べているならそれなりに評価する。だが大塚にはそんな能力はない。サブカルにどっぷり浸かっていたから、なぜマルクス主義が破綻したのか、まともに考えたこともないのだろう。「物語」で世界を見ている、という批判に一番良くあてはまるのは、実は大塚自身だと言える。
また、近代文学の批評性を回復すべきと大塚は主張しつつ、その批評は狭義の文学だけに向けられるものではないとも書いているが、そんなことは当たり前である。小林秀雄が音楽や絵画を含めて芸術全体を扱ったこと、福田恆存が社会批評によってマルクス主義者の「物語性」を撃ったことくらい、46歳にもなってご存じないのだろうか。
近代文学についてちゃんと勉強してから出直してこい、と言いたくなる本であった。
14 件中 1 件~ 14 件を表示 |