紙の本
あなたも評論家になれる…わけではない
2004/11/21 17:13
7人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『もてない男』でブレイクした評論家の最新刊である。
今回は何と、「評論家入門」というタイトルである。平たく言えば、「あなたも評論家になれる」ということだ。ハウツー本もここまで来たか、と言いたくなるが、ちょっと待って欲しい。副題をよく読もう。「清貧でもいいから物書きになりたい人に」。この副題が曲者である。「清貧でもいいから」とあるが、清貧とはどのくらいの「貧」しさを指すのか? 一人暮らしをしていれば何とか食べていけるくらいの収入がある(しかない)ことを指すのだろうか?
小谷野敦氏はいまや有名人のひとりと言っていい。その有名人が、いったい評論家としてどの程度の収入を得ているのだろうか? 氏は正直に書いている。物書きはもうからない、と。そして収入が先細りになったらアパートを畳んで実家に帰るしかないだろう、とも。また、評論家仲間の岸本葉子氏が、この連載が終わったらどうやって暮らしていこうかと悩んだ経験を持つ、とも書かれている。
小谷野氏も岸本氏も東大卒の秀才・才媛である。秀才・才媛であるということは、物書きの必要条件である。たくさんの本を読み、様々な領域に目配りし、それを自分なりに練り上げて独自の産物としてアウトプットする。これは誰にでもできることではない。頭が良くなければ不可能な仕事なのである。特に氏が本書の中で推奨しているエッセイストという仕事は、漠然と日常茶飯事を書きつづるだけではすぐ種が尽きてしまうわけで、絶えざる勉強が欠かせない職業であるはずなのだ。
また、小谷野氏は大学時代にマスコミへの回路を比較的多く持った教授に教わっている。誰もが瞠目するほどの圧倒的な実力があるなら別だが、マスコミは基本的にコネ社会である。つまり、小谷野氏は実力とコネとをあわせ持つ恵まれた立場にあったのであって、かりに女にはモテなかった(笑)にせよ、評論家として立つには圧倒的に有利な場所にいたわけだ。
その小谷野氏にして、清貧を免れていない。したがって、この本の主張にもかかわらず、評論家を目指すのはよほど慎重にしなければ、と私は読者に老婆心から訴えたい。
では、この本は無価値なのだろうか? そうではない。これは小谷野敦氏の生活と意見を知るための書物である。評論や評論家について氏がどういう考えを持っているか、評論家として氏がどういう暮らしをしているかを読み取って、氏のさらなる発展を祈ればよいのだ。かつて岩井克人が柄谷行人に言ったように、日本ではエッセイとは有名人の日常を知るために存在する。小谷野氏のこの本も、そこをはずしていない点で、エッセイの常道に沿っているのである。
なお、「ヒエラルキー」はドイツ語とあるが(139ページ)、ドイツ語では「ヒエラルヒー」と発音される。ヒエラルキーというのは英語読みのハイアラーキーとドイツ語読みとの中間読みであり、おそらく学術用語としてのドイツ語がその地位を低下させていく中で英語との折衷読みとしてでっちあげられたものと推測される(少し古い日本語の学術書を読むと、ヒエラルヒーになっているのが分かるはず)。
また、伊藤整の名の読み方だが(216ページ)、本名では「ひとし」であるけれども、作家としては「せい」が正しいのではないだろうか。
紙の本
「採点!有名評論」
2004/12/07 20:50
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GG - この投稿者のレビュー一覧を見る
文芸批評(比較文学)と私憤エッセイのハイブリットである『もてない男』で文名をなした著者による「評論」論および「評論家」論。歯に衣着せない断定と、ときおり挟まれる法界悋気という小谷野節で、読者を楽しませてくれる。
断定の方からいこう。評論といえば、小林秀雄が代表的なスターだ。この代表的人物をとりあげた上で、小林秀雄は非論理的なので小林スタイルを真似てはいけないと強く強調している。評論は、著者のひらめき・思いつきから出発するにしても、事実に基づき論理的に組み立てられるべきもので、レトリックの力で押しきるものではないからである。小林秀雄の評論の多くは論理的に読むことができないので駄目なのである。初期作品はそうでもなかったのに何故こうなっていったのかというと…という謎解きまでついている。
さらには、「採点!有名評論」という項目まで設けられていて、有名評論がAからEまでの五段階で評価されている。井上章一『法隆寺への精神史』をA(学問でありながら評論でもある)とし、吉本隆明『共同幻想論』をE(あきらかにひどい)とする大胆さが痛快である。また、一章を設けて柄谷行人『日本近代文学の起源』を細かく読みなおしている。具体的な失点をいくつも挙げてはいるが、こちらはそれほど有効な批判になっている感じがしない。
また法界悋気といえば、著者の独擅場である。本書では第五章「評論家修行」が、それにあたる。有名ライターになるまでの苦節10年が、著者の周りの先輩学者などの実名入りで書かれていて、ゴシップとして楽しめる(まあ、あまりよい趣味とはいえないが)。本を一冊出して、雑誌「批評空間」に論文を二本出した頃に世間からまったく反応がないことに焦ったという記述がリアルである。
評論界のオールド・ファン(?)には、往年の栗本慎一郎『鉄の処女』(カッパブックス)を思い出してもらうとよいかもしれない。一種あの本の00年代版といえそうな気がする。
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小谷野さんの本の魅力は高尚と卑俗が同居している点にあるが、この本は高尚が卑俗をうわまわっている。それでも、同じ東大仲間が本をだしたり、原稿依頼がくることに対するねたみ、そねみ、そして焦りは十分伝わってくる。自分が本を出しても原稿依頼がこないというのもわかる。しかし、この本を読んで物書きになりたいという人がどのくらいでてくるだろうか。むしろ、物書きのたいへんさ、こわさを知るのではないだろうか。
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授業で読んだ本、その?。
以上、その?〜?までは半期の授業で教科書として毎週読んでいた本です。
テーマが定まっていないけれどそれもこの授業のひとつの特徴。
一体、どこに向かっていくのやら…
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辛口批評を交えた「評論」論と、著者自身の体験談を基にした評論家の実態・裏側についての文章とがメイン。柄谷行人批判に一章費やしているのは、少々ダルく感じる。
タイトルの付け方には若干問題があるかもしれない。これ高校生とかが手にとっちゃったらどうするんだろうなぁと思う。
100円。
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昨今の新書的なひねったタイトルなのかと思ったらガチだった。ちょっと困った。明らかに脱線している怨念めいたからみっぷりはおもろいが、突き放した見方をするとなんじゃこりゃですね。
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学問=研究だが、評論家は学術研究ではない。
学者というのはオーソドックスなもので地味に事実を研究する。
評論文において、言葉の定義というのは重要である。損会じれをないがしろにしている評論文も多い。研究でなく評論だからいいだろう、というのはプロフェッショナルではない。
文系の学問というものは、理系のように緻密な証明の体系がないから、あひどいのかひどくないのかあいまいであることも多い。
アカデミズムはもっと寛大になって、マスコミ系学者はもうちょっと真面目に書いた方がよい。
評論家を目指すのであれば、とにかく読書が好きでなければならない。
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[ 内容 ]
ものを書く仕事がしたいという人が増えている。
しかし、物書きは儲からない。
本を出したって、売れやしない。
批判されれば胃が痛み、論争をすれば神経がすり減る。
それでも「書いて生きていきたい」と言うのなら、本書を読んで、活字の世界に浮上せよ!
評論とは何か、その読み方、評論を書くにあたっての基本的な事柄を示し、物書きという仕事の苦しみと愉しみを説く。
“有名評論採点”付き。
[ 目次 ]
第1章 評論とは何か―「学問」との違い
第2章 基本的な事柄とよくある過ち
第3章 評論をどう読むか
第4章 『日本近代文学の起源』を読む
第5章 評論家修行
第6章 論争の愉しみと苦しみ
第7章 エッセイストのすすめ、清貧のすすめ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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不安定な身分(東大だけど非常勤)の著者が抱く「売れる」「儲かる」とは?
とりあえずこの本は:
・評論の歴史、修行の苦しみ、など
・著者の小林秀雄(高校の国語の教科書に必ず乗っている評論家)ギライ
・本を1、2冊出せても、あとはゼンゼン食っていけない作家がたんといる(北方謙三とかもそうだったらし)
でもなんかこの人ゲリラ的でさ。
俺は○○したんだ、そうしたら××が、「~~~」とか言ってたらしい。この野郎。みたいな内容が随所に見られ、気分が悪くなります。
この人のブログも読んだけど、カゲキストだ。あまり仲間はいない模様。
皆から悪く言われても書き続けることこそ、というかこの著者の行き様こそが、評論家の仕事を体現しているのかも。
あまりおもしろくなかった。
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「入門」なんて書いてありますが、あんまり実用的な役には立ちません。つーか、小谷野敦ですから。まともに「どうやったら評論家になれますか」なんてこと書いてあると期待するほうが間違いでしょ。『もてない男』のあふれるルサンチマンがここでもちゃんと炸裂してるので、あの鬱屈芸が楽しめる人にとっては買い。
評論家というのは、どうにもあんまりおいしい仕事じゃないらしい、ってことはわかります。「清貧でもいいからもの書きになりたい人に」とか「儲からなくても、論争で神経が参っても、『書いて生きていきたい』人へ!」とか、本書の帯にもエクスキューズがいっぱいです。それは小谷野さん、あなたのことですね、とズバリ指摘しても、その通りですと開き直られてしまうのでやめましょう。言い訳多い人生を、楽しむための「ひねくれ方」を学ぶべきです。
ファンにとっては、気持ちの良い一冊です。
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評論家になるためのマニュアル本というスタイルで、著者の評論理解が語られています。
歴史的実証的なアカデミズムの手法によるところが8割、そこからはみ出したひらめきによる部分が2割というバランスが、評論のあるべき姿だと著者は考えています。つまり、学術論文としては実証性や厳密性に欠けるところがあるけれども、著者の洞察によって論理的に展開される書き方がなされており、学問的・実証的に明らかに間違っているような議論を排除していればよいとのことです。
そのほか、有名評論家の本の採点をおこなったり、柄谷行人の代表作である『日本近代文学の起源』の評論としての出来映えを著者自身の基準によって検証したり、また評論家として一人立ちするまでの著者の苦労が語られていたりと、おもしろく読める内容になっています。
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図書館より。
タイトルから評論するときの視点の話とか、書き方の話などを期待したのですが、そういう話はほとんどなく著者の苦労話と近代評論のレビューが中心でした。
入門書と謳ってるのに他の評論のレビューをされても……というのが正直なところです。著者にとっては有名どころを評しているつもりだとは思いますが、こっちはかろうじて小林秀雄だとか柄谷行人の名前が分かる程度、その評論の内容はほとんど知らないので不親切だな、と思いました。そのレビューもある程度の知識がないと分からないと思うので、どの点が見習うべきポイントなのかも判断しきれません。
著者の方の屈折した感情が伝わってきたのは、ある意味面白かったですが、そういうものを求めていたわけではないので、正直評価はしきれないです。
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著者のコンプレックスは文学で浄化されるべきであったが、そうならずに膨大な読書に裏打ちされた「正しさ」を恃みとして自らの矜持を保ったということなのだろう。文学に正しさもへったくれもあるか、あほたれが。
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誰の本だったか、本書が出てきてメモしていたから手に取ってみたが、これはハウツー本ではない。そして、ここでいう評論とはほとんど文藝評論のこと。著者に興味がある人以外は読む価値なし。私は書名に騙された。
様々な文藝評論を評価しているが元の文章を読んでいないので何とも言えないし特段の興味もないから該当部飛ばし。文藝評論やるならこの程度は読んで当然ということか。
ただ、小林秀雄批判には大いに賛同する。音楽評論を覗いたことがあるけど私にとっては何の役にも立たなかった。
著者の実体験から予想以上に文筆業で食っていくのは難しいと。道楽で書いていくのがよいのだろうな。
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この人の持ち芸の著名人への絡みとルサンチマンが出ている。
題名の評論家入門とはかけ離れているが、文壇事情や売れたい物書きの心情を知りたければいいかも。
しかし、この人はどこにでも喧嘩を売るなあ。
見ている分には面白いが、絡まれる人は堪らないでしょう。