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<抜粋>
道教とは?
道教は、人間を宇宙・自然から超越したものではなく、つまり自然を支配するものではなく、その構成要素の一つとして位置つげ、 自然を一体化することを選んだ宗教である。さまざまな意味での陰と陽との均衡と調和を重視し、目に見えるもの,耳にきこえるもの、肌に感ずるもののみではなく、心の動きにも神が宿るという宗教観をもつ道数は.己れを取り巻くすべてのものに神性を認める。日々の不安、将来の無事、死後の安福など、人のさまざまな願望・欲望の多様性を反映して、それに応える霊験と機能を持つ神が.新たに次々とうみ出される。(略) それらの神々は太古以来存在していたものの、ようやく熟機を得て人間世界に出現した.と説かれることが多い。
神々と人間
現世・来世の安福を手にするために.人は自己を取り巻くさまざまな神の意向を知り、精神的・肉体的苦痛をもたらした?や邪などを排除するための祈りを棒げる。自然との調和のなかに、福・禄・寿などの現世的な利益に恵まれながら生活を営むことを理想とし、永遠の宇宙・自然との一体化を願望する道教は.人々に永世への願いを抱かせる。一道教の神々道教は「道」を神格化して信仰する宗教である。「道」はあらゆるところに存在するから、それを具体化した神もきわめて多数になる.
-仙術の由来
仙人は丹砂から黄金を作り、それにより不老不死をもたらすことができるという。このような考え方は、薬学と金属精練の発展を踏まえているはずで、戦国時代の命を張った武器テクノロジーと毒薬・解毒薬の開発の伝統にもとづくと思われる。
(略)こうして戦国時代の諸技術は、生命の危険にさらされる現実の下で、いかに敵を殺して己を生かし自身の子孫を繁栄させて権力を待つか、という問題に答えていたわけだが、統一国家になっていわば平和利用されたのである。
-日本と道教(P.239)
仏教が存在の神?信仰とは異質な外国の宗教と認識され(略)たのに対して、道教は存来の神祇信仰を補強する形でとりいれられたことにある。
(P242)ただし、その密教が、すでに中国において道教と習合していた、
<要約>
吉田神道は、ふるくは卜占を行っていて、中世には「日本書紀」を伝える家系だった。しかし、陰陽道・修験道・真言、天台の仏家神道、伊勢神道をとりいれることで、独自の「吉田神道」を打ち立てた。