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落花は枝に還らずとも 会津藩士・秋月悌次郎 下 みんなのレビュー
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紙の本
人間は苦難の中にあってこそその真価を見せ、その身の処し方でその品格を見せる
2005/03/09 13:09
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:苦楽 - この投稿者のレビュー一覧を見る
会津藩の公用人として、その赤誠と人格を持って薩会同盟の成立に寄与した本書の主人公、秋月悌次郎は後ろ盾となっていた家老横山主税の死後、蝦夷地に左遷される。
悌次郎が蝦夷地にいる間に政局は大きく動き、薩長同盟の成立、大政奉還、鳥羽・伏見の戦いを経て会津藩は朝敵として追討される立場になる。
この会津藩の難局に悌次郎は藩政の舞台に復帰し、なんとか会津藩の動きを理解してもらおうと努力を繰り返す。
しかし、その努力は悉く実らずに会津藩は戊辰戦争に敗北、落城に伴う板垣退助との交渉、そして謹慎中の身でありながら僧侶に身をやつして旧知の長州藩士奥平謙輔へ、藩の処分についての嘆願と、まさに苦難の中で悌次郎は奔走する。
その間の彼の努力、そして行動はまさに赤誠の一言があるのみである。嘆願の帰りに詠んだ『北越潜行(ほくえつせんこう)』の詩はどうにもならない状況の中でなお足掻かざるを得ない想いを血を吐くように綴ったもので、当時も、そして現代もなお見る人の心をうつ。
維新後、赦免されてからは熊本で教鞭を執った時期のエピソードが書かれているが、同僚となったラフカディオ・ハーン(小泉八雲)からは、「神のような人」、「秋月先生の側は焚き火のように暖かい」とその人格を評価され、生徒や同僚の教師達にも慕われている。 薩会同盟の交渉相手だった高崎佐太郎が自宅を訪れた次の日、「往事の友人が来たため歓談し予習が出来なかったために本日の授業は勘弁して頂きたい」と、授業を中止したというエピソードもまた悌次郎の篤実さを物語っている。
魯迅のノートを全て添削し、魯迅に人間の内なる光を見せ続けた「藤野先生」といい、この時期の教育者は人間の品格を感じさせる逸話が多い。
悌次郎にとっても、権謀渦巻く藩政より一人の教育者として人材の育成に当たる方がよほど向いた仕事であったのではないだろうか。
その意味では、悌次郎に会えた人々や、彼に学んだ生徒達が非常に羨ましい。是非一度直接会って教えを請いたい人物であった。
その後も、惜しまれつつ勇退し、畳の上で最期を遂げた秋月悌次郎は維新史に名を残す群像の中でも独特の穏やかな光を放っており、中村彰彦氏の落ち着いた筆致はよくその人柄を伝えていると思う。
維新の元勲や表舞台でその後も政治の大舞台で活躍し続けた人々とは少し趣の違う、侍の人生を味わうことが出来る一冊である。
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